behind the scenes~舞台裏・ミル編その1~
このよを しはいするものは なにか?
それは ちからだ!!
おれは こうていに なったのだ!
そのちから てばなしはしない!!
さあ マリア そこを どけ!
【黒木勇斗語録 FF2 ダークナイト】
この世界は広い。隣接する異世界を含めればもっともっと広い。
魔界は何処までも深く、地上は丸く円環し、天界は果てしなく高い。
異邦人たちの故郷であり別世界【ちーきゅー】に到っては無限の未知。
第二次ダンジョンブームの火付け役、あるいは迷宮探索の良さを人間に伝える伝道師として自分がこの地上にやってきて、早くも一ヶ月が経過した。
毎日が冒険。毎日が挑戦。毎日が勉強。
旧体制派を統括する魔界大公の孫娘としてなに不自由なく育ち、それゆえにこの世のことなんてなにも分かっていない箱入り娘になってしまっていると自分でも分かっていたけれど、まさかこれほど魔族が地上で活動することが困難だとは思っていなかった。
ひとつだけ確実にいえること。
それは私が生まれ育った魔界の中層は退廃的で保守的で狭い世界だったこと。
さらにいえば私が知っていた世界はお城一つという箱庭だけだったこと。
地上に訪れて早々に、私は自分の世間知らずと無知蒙昧さに呆れ果てた。
自分はいつもそう──
生まれてからずっと、私は中庭で一人静かにミルクティーを飲んでいた。
両親を魔界領土紛争の小競り合いで早くに亡くした私は、親の残したお城の中で数人の使用人とともに静かに暮らす毎日を送っていた。
たまに様子見で城に訪れてくれるおじいさまと双剣のおじさまが、幼少期唯一の語り相手でした。
おじいさまの提案で魔王養成学校に入学したときも、人見知りで内気な性格なせいでほとんど友達を作れず、ひとりぼっちのまま。
図書室で勉強しながら飲むミルクティーが学校での数少ない心の癒し。
そんな学校生活の中で一人だけこんな私に構ってくれたイルちゃんには感謝。
私は最短ルートとされる三年のカリキュラムで魔王資格を得て無事に学校を卒業したけど、あの子は単位が足りなくて留年してたから少し心配。ううん、あの子なら今年の卒業試験こそ大丈夫。確信は無いけどきっとそう。
二段階変身どころかボス部屋の玉座にすら座れない雑魚魔王の私と違って、イルちゃんは正真正銘の邪竜神の末裔で肉弾戦特化型。
魔界創世記から生きる最古参の一角として魔界中層の三分の一を統治していたおじいさまが亡くなられ、そのときの旧体制派の混乱に乗じて蝕星王率いる八大魔王が急進派として魔界の支配権を広げ始めてたのに、社会情勢になんら干渉しないまま中庭でずっとミルクティーを飲んでいた臆病な私なんかとは違うから。
今にして思うと、私が箱入り娘から脱却しようともせず、ずっと無知な世間知らずだったのは、自分の足で世界に出るのが怖かったからだと思う。
私はクラスのみんなから茶葉のダシガラだとか脱脂粉乳だとか呼ばれてた。
東からやってきた異邦人の方の言葉を借りるなら『味噌っカス』。
お勉強と料理・掃除・洗濯はそれなりにできるけど、ただそれだけ。
そう、ただそれだけ。
魔王を目指す者にとって最も大切な『自主性』と『向上心』。
これが自分には致命的に足りなかった。
自分がダンジョンマスターを目指したのも敬愛する祖父の偉業の真似事をしたかっただけで、当初は特に人間界で魔王デビューして地上侵攻なんて考えもしていなかった。
地上に出て、いろいろな人間に出会って、世の中の仕組みを知って、地上から見た魔界のありようを客観視して、自分の無力さを痛感して、それでもあっぷあっぷしながらも唯一の取り柄である迷宮建築を協力者のみなさんに支えられながら涙目で頑張って──
「よしっ」
四日がけで設計中だった四つ目のダンジョンの最終セッティングを終えて、私は無意識に誰もいないマスタールームでガッツポーズをとった。
こんな私でもひとりで出来ることがある。
自分のためではなく誰かのために仕事を果たした達成感。
自分にしかできない仕事を地力だけで成し遂げるときに感じる喜び。
中庭でミルクティーを啜っていただけの当時の自分にはなかった経験。
迷宮経営を開始して一ヶ月目になってようやく、自分がダンジョンマスターの見習いとしてそれなりにサマになってきたのを実感するようになりました。
世の中はなにが起きるか分からない。
魔界の創造主『邪竜神』こと魔皇帝が人間界の英雄『聖王』によって討伐され、その魂が魔界最深部『深淵』に堕とされたのが約六百年の昔。
その間ずっと空席だった魔皇帝の座を巡って八大魔王が争いあい、地上侵攻を兼ねた壮大な椅子取りゲームを始め、最終的に誰一人勝つことなく神々が選抜した勇者たちに滅ぼされたのが八年前のこと。
この大敗戦を皮切りに魔界の主流派となっていた急進派が解体され、辺境に追いやられていた旧体制の穏健派が復権を果たしたのが、ちょうど私が試験に合格して第三級魔王免許を取得したときと同時期。
穏健派が最も輝いていた千年前よもう一度と、おじいさまの御親友であり、魔王ギルド長であり、穏健派現統括であり、魔界の副王でもあるルキル・フルス様が、こんな私に第二次ダンジョン企画を持ちかけてきたのが半年前。
なんで魔王資格を得たばかりの自分なんかが、八大魔王の暴走のせいでボロボロになった魔界のイメージアップ戦略の看板を背負うことになったのかいまだに分かりません。
魔王の中でも最低ランクの三級免許を取得したばかりの自分なんかよりも、ダンジョン経営に秀でている二級以上の魔王の方たちがまだ穏健派の中にはいくらでもいるというのに。
「迷魔王の孫というブラントが上にとって大事なんじゃない?」
と、イルちゃんが言ってたときは、目から鱗の納得。
きっとそれだけの理由なんだと思う。失敗することも視野に入れられてる。
あくまでも長期企画のスタートとして派遣されたダメでもともとの人選。
私も私で次の方に繋げる捨て駒になることもやぶさかでないと思ってました。
魔王にとって不倶戴天の敵であるはずの異邦人、ユートさまに出会う瞬間まで──
あの人のことを考えると、ふと胸がキュッと締め付けられることがある。
奇妙な感覚。これまで感じたことのない違和感。なにかの病気かも。
このことを天空人のエスティエルさんに相談したら──
「それは恋の病」
と、悪戯っぽく笑われました。
世の中には【コイノヤマイ】という謎の風土病があるそうです。
なんでも人間はこの病気にかかって初めて恋愛をするそうです。
隷属と支配の概念しかない魔界の男女関係からは考えにくいプロセス。
地上は、人間界は、世界は、やっぱり未知でいっぱい。
あとユートさまは【チューニビョウ】という不治の病を抱えているそうです。
普段はあんなにお元気なのに……エスティエルさん曰く「もう手遅れ」。
病は深刻で、もはや手の施しようがないほど進行しているそうなのです。
辛く悲しいことです。勇者とはやはり重い業を背負う宿命なのですね。
迷宮のアイデアも、外交も、ボス役も、みんなユートさま任せ。
あの人には苦労ばかりをかけさせて、こんな自分がすごく恥ずかしい。
いまのところ、ユートさまのお役に立てることといえば料理だけ。
本当はお掃除とお洗濯もしてあげたいところなんですけど、
「だめだめ、あのニートは甘やかすとどこまでも堕落するから」
と、エスティエルさんに真顔で止められました。
ところでエスティエルさんはユートさまのことをニートさんと呼ぶのですが、あれは天界の訛りによる語感の変化なのでしょうか? よく分かりません。
私はまだまだ箱入り娘だけど、ちょっとずつ前に進めている感触はあります。
あの人への負担を軽くするために日進月歩の気持ちで頑張ろう。
幸運にも今の私には一年前の自分からは考えられない多くの協力者がいる。
だから、こんな私を支えてくれるみんなのためにも失敗なんかできません。
見ていてください双剣のおじさま──
迷姫王ミルは、必ずこのダンジョン企画を成功させてみせます!
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