venture into the unknown ~犬侍・肆~
俺の死を 悲しむ暇があるなら、1歩でも 前へ行け
決して 振り向くな
子供達たちよ… 俺の屍を 越えてゆけッ
【黒木勇斗語録・俺の屍を越えてゆけ 初代当主】
なにが起きている。
その場にいる誰もが、目の前で起きている事態に現実味を感じていなかった。
遺棄された闘技場跡にモンスターが現れる。これそのものはいい。
無人の遺跡に野良モンスターが巣を張って住み着くことはよくあることだ。
または古代遺跡の防衛機構が現在も生きていて、遺跡の守護者が侵入者を感知して数百年ぶりに稼動する事例。
これも稀にだがダンジョン探索では見られることだ。
闘技場から呼び出されるように現れた赤き牛頭のデーモン。
この場合は後者だ。闘技場のシステムが武舞台に不用意に入り込んだ我々を剣闘士と勘違いして魔物を召喚した。
ここまでは分かる。
八年前の大戦を知らな若い世代の冒険者でも、いくらかの古代遺跡探索を経験しているBランクであれば推測できる範囲だ。
問題は突如として上空から武舞台に現れ、見るからにCランク以下では退治は厳しい赤き牛頭のデーモンを一刀で両断したこの乱入者だ。
黒い。
黒い。黒い。黒い。
身に纏う金属鎧。全身を覆う霧。だらりと無造作に下げた剛剣。
すべてが黒い。森に蠢く闇のように。生きる漆黒のごとく。
……おそらくは下着まで。
それだけに兜の下から覗く赤い眼光が異様に目立つ。
なによりもかによりも──この場にいる全員を威すくめる邪気。
動けなかった。
右手はいつでも抜刀できる構えを維持していたが身動きがとれなかった。
迂闊に動けばやられる。拙者の獣の本能がそう告げていたからだ。
発言することはおろか大きな呼吸すら躊躇わせるほどの警戒。
幾多の魔のモノと刃を交え、魔王との血戦をも経験する拙者ですらコレなのだ。
背後にいる経験不足の一同は阿呆のように口を開けて完全に我を失っていた。
当たり前だ。
いくらかの激しい冒険を重ねて中堅の域に達したBランク冒険者パーティーといえど、アレほどのモノと対峙するのは未経験のはず。
このダンジョンには得体の知れないナニカがいる。
そのこと自体はギルドからの報告で事前に知っていたし覚悟もしていた。
このダンジョンには迷宮王にまつわる強大な力が息を潜めて我々を見ている。
これも実際に迷宮の森に入っていくたびか実感している。
監視を行っている邪眼がその証拠だ。我々の動向を観察している何者かがいる。
しかし──
しかしだ──
こうして我々の前に現れた者が──
これほどのモノとは……
これほどのモノとはッッ
これほどのモノとは!!
「助けてくれた……ってワケじゃあねぇ……よな?」
呆然とするBランクパーティーの中で最初に我に返ったのはリーダーのイカル氏だった。
さすがはチームをまとめあげるパーティーリーダー。
だが、この局面で、この状況で、この場で、口火を切るのは悪手!
ゆらり……
これまで分解していく牛頭のデーモンの死骸を見つめていた黒きモノ──その容姿から黒騎士と呼ぼうか──が、彼の言葉に反応して注意の視線をこちらに向けた。
殺意は感じなかった。
害意は感じなかった。
敵意は感じなかった。
しかし味方ではない。
まだ拙者たちを外敵とみなしていないだけだ。
「インコ、あれはいったいなんなんだ?」
「わかんない」
「ならいつものように『索敵魔法』を」
「もうやってるわよイスカ。あいつが降ってきたときに」
「どういうこと?」
「アイツの名称・種族・属性・クラス・ステータス、そのすべてが【unknown】。ギルドのデーターベースを参照しても引っかからない。対象のステータスが完全にプロテクトされてる。こんなの初めて」
インコ殿はうろたえていた。
拙者にはよう分からぬことだが、上位魔術師の中には相手の身体的情報を種族名からなにまで看破する索敵魔法を得意とする者がいると聞く。
冒険者にとって情報は宝であり生命線。討伐すべき相手の情報ならなおさら。
魔物が現れたならばギルドが情報集積しているモンスター図鑑のデータから対象の正体を検索するのは基本中の基本。
これまで彼らはこうやって出遭った未確認の存在や不確定な存在の正体を看破し、弱点を探り、対処してきたのだろう。
「どれだけ精度を上げても頭に浮かび上がる情報イメージにノイズというか、黒いモヤがかかってなんにも見えない。強いのか弱いのかもわかんない」
冒険者としてソレは正解。情報収集は基礎である。しかしながら……
「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
それだけに頼りすぎるというのはあまりにも危険だ。
いるのだ。彼らには未体験のことだろうが、この世界にはいるのである。
どれだけ精度の高い検索魔法をかけてもステータス表記を無効化する特殊な輩だ。
総じてそいつらは──最低でも雑魚魔王、すなわちラスボスでござる。