Maize of Doom"Winners in Bosselia" ~迷宮血風録・拾~
Never tell me the odds.
確率なんざクソ喰らえだ。
【黒木勇斗語録・スターウォーズEP5 ハンソロ】
──色即是空──
──空即是色──
森羅万象に因と縁が在れば。
色すなわち此れ空なり。
世は無常。されど有情。
存在が滅する真理あれば。
存在が生まれる真理もあり。
奇しくも。
この剣の意味成すところは。
可能性と実現を称する神威顕象と理を同じくしている。
仰々しい技名は要らぬ。
物々しい予備動作も要らぬ。
無我のまま無造作に無名の剣を無明の中で振り下ろすのみ。
「────!」
反射的にユートどのが太刀筋の一直線上から飛び退く。
彼の戦場のカンが踏み込んで攻撃することよりも回避することを選んだ。
ただしい選択。同時におろかな選択。
スッ……
同時に放たれたのは氷面を滑るような軽い斬撃であった。
大した力みもなく、ただ真っ直ぐ下へ、振り上げた太刀を真一文字に。
斬った場所にはなにもない。
敵のいない虚空だ。
正面に斬らねばならぬ敵はいるが。
敵との間合いは切っ先の遥か遠く。
避けられた。
ユートどののダメージは皆無。
一方で──
「かはぁっ」
この一撃に気とスキルのすべてを使い切った拙者は被害甚大。
闘気はおろか精気まで絞った一閃は使い手を疲労困憊に貶める。
この剣に弐の太刀はない。その一撃に己のすべてをかけるから。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
振り下ろされた奥義の刃は空を斬るだけに終わった。
無意味な空振り。
無価値な素振り。
無駄。無傷。無用。無謀。
それでいい──
それでいいのだ──
それだけでことはたりる──
ああ──
ひさしぶりだ──
この一刀を放つのはいつぶりか──
八年前の鬼城王の一戦で彼奴の核を断ち割って以来か──
あのときと同じだ──!
ビキィン!
耳にこびりつくような異音を立てて目の前で砕け散る愛刀。
折れず曲がらずのひんがしの剣が技の威力に耐えられず砕け折れる。
ハナから分かっていたとことだ。分かっていて禁じ手を解き放った。
この剣に弐の太刀はなし。一撃目でなにもかもが失われる切り札。
もし決まらなければそこでオワリ。
「……た」
これだけの犠牲を払いながら、相手を斬った手応えはなかった。
なかったからこそ拙者は崩れ落ちながらも笑みを浮かべる。
気を使い果たし、途方も無い疲労感に身を委ね、呼吸も絶え絶えの中で。
「……斬り申した……」
それらの苦痛を埋め合わせる逆転の実感を噛み締める。
「コクロウ先生」
ユートどのは動かなかった。
拙者はもはや意識を繋ぎとめているのがやっとの状態。
いま飛び込めば必ず斬れる状況の中で彼は一歩も動かなかった。
「ここにきて卓袱台返しとはやってくれますね……」
三流のボスならばここで勝ちを宣言していただろう。
二流でも拙者のとっておきが空振りに終わったことに安堵する。
しかし彼は余裕も安堵もせず拙者に対しての警戒を解かなかった。
ピシッ……
昔からユートどのは展開の先読みがうまかった。
このあと相手がどんな台詞を吐くか、どんな行動をとるかを的中させる。
なぜだかこの世界の御約束のようなものを熟知しているきらいがある。
だから拙者の渾身の空振りを見て先の展開を察したのでござろうな。
このあと何が起きるのかを。自分の身になにが降りかかるのかを。
ここから不用意に動けば確定した敗北がより早まることを。
ピシッ……ピシッ……
「まさか──」
ビキィッッッ!!!!
「このボスエリアの空間そのものを切り裂くとは──!」
宇宙が割れる。
空間が一文字に裂ける。
我々の立つ世界が真っ二つに断たれて次元の裂け目から覗くのは。
「このままダンジョンの外までスっ飛んでくれるとありがたい……」
迷いの森のド真ん中! 空間の裂け目はダンジョンの外への一方通行。
拙者の一刀で断ち割られた異空間は大黒柱を失い崩壊を開始する。
砕けた石畳が、柱の砕片が、次元の裂け目に吸引され外に排出される。
割れた水瓶のように場にいるすべてが漏れ水が如く穴から流れ落ちる。
「おおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」
裂け目の近くにいたユートどのが吸い込まれまいと剣を突き立てるも、
石畳が捲れ上がるほどの吸引力の中では力尽きるのは時間の問題。
もしトドメを刺しにこちらに飛び込んでいたら一瞬で吸われていた。
古来よりダンジョンには絶対不変のルールがある。
ダンジョンの中枢となるボス部屋を守る最後の守護者『ラスボス』。
侵入者はこの守護者を倒すことで勝利者となるわけだが。
なにも勝利条件はボスの討伐だけに限らない。
ボス部屋からボスがいなくなれば、そこで我々の勝利は確定する。
「イカルどの! 一秒でも長く耐えてくれでござる!」
「了解です!」
イカルどのも裂け目に吸い込まれまいと柱に縄をくくりつけている。
さすがは運送屋。自身を縛る手際がいい。荷造りはお手の物だ。
気絶したもりそばどのが裂け目に落ちぬよう縄を繋ぐのも忘れない。
あとは我々が先に落ちるか、ユートどのが先に落ちるかの根競べ。
この卓袱台返しの裏技。
八年前、鬼城王シダテルの魔王空間をこの太刀にて裂いたときに知った。
鬼城王の核が異次元に飛ばされた瞬間に、本体が活動を停止したのだ。
元は敵の張った魔王空間を破壊する対界斬撃として編み出した奥義だが、
おもわぬ方向から別の使い道を編み出す結果となった。
このダンジョンは鬼城王の体内回廊と同様に現世に亜空間を挟み込んだ
特殊結界型の迷宮。その箱庭を断てば迷宮は崩壊し我々は現世に還る。
我々三人の誰かがユートどのよりも後までフィールドに残っていれば。
拙者たちのパーティーの勝利でござ……
ギッ……
次元が割れる音とはまるで違う異音がした。
ギッ。ギッ。ギッ。
なんだこれは──!?
「裂け目が……ふさがっていく?」
イカルどのの呟き。
「馬鹿な」
早すぎる。
たしかに空間には自己修復能力がある。
人が自己再生で裂傷をかさぶたで塞いでしだいに癒えるようにだ。
召喚魔法による空間の穴や転移魔法による空間の歪曲も同じ。
これらのスキルも発動後に自動で歪みが修正されるようになっている。
この空間断裂もまた時間をおけば自然と塞がるように出来ているが……
こうまで早く時空の裂け目が修復されていくのは見たことがない。
自然修復の速度ではない。かなり強引に傷口を縫い合わせている。
このダンジョンにはそれほど堅固な修復システムが施されているのか。
それとも──
空間操作に卓越した高度な結界技術士が魔王軍内にいるのか?
「っぶないなぁもうっ、まさか対界スキルなんて予想もしてなかったわ」
後者であった。
「これはちょっと対策考えないとなぁ。リアルのウルテクはマジで勘弁」
空間の裂け目が素人の裁縫の如くいびつに縫い付けられる。
あらゆるものを外へ吐き出す吸引が停止し、部屋の崩壊も停滞する。
これはユートどのの力ではない。突如空間転移してきた別の者の仕業。
「天使……?」
そう、天使であった。
ユートどのと同じく黒を基調とした露出多めのチュニックを纏う天空人。
背中から生える眩い光の翼は天空人の中でも高位にあたる大天使の特徴。
この匂い……以前にどこかで……?
「加勢を頼んだおぼえはないぞ」
ユートどのにとっても彼女の登場は予想外だったらしい。
大事な戦いに水をさされたのが不愉快なのかキッと乱入者を睨みつける。
「顔見世興行なんかでボス役がやられちゃシャレにならないのよ」
顔見世興行?
対等に会話しているところを見るに、彼女も魔王軍幹部のひとりか。
「それにね」
「それに?」
「ニートさんのピンチに、彼女が我慢できなくなったみたいでね」
「なっ……」
ボス部屋に現れたのは天使だけではなかった。
「冒険者のみなさん。初めまして……」
天使の背後から影法師のように浮かび上がる一人の少女。
上位魔族特有の角に漆黒の髪。育ちのよさを伺わせる貴人の風格。
拙者は一目見て即座に察する。
「わたくしはこのダンジョンの主、迷姫王のミルと申します」
彼女がこのダンジョンを生み出したすべての元凶であると──