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Maize of Doom"Danse Macabre"~迷宮血風録・六~

     Our meeting was not a coincidence.

       Nothing happens by accident.


    出会いは偶然ではない。すべては運命なのです。


 【黒木勇斗語録・スターウォーズEP1 クワイ=ガン・ジン】

 もりそばどのが防御行動に入る前に、ユートどのの魔法が完成する。

 バチンと掌にあった気弾が破裂すると同時に彼の背後の景色が歪曲する。

 穴だ。穴が生まれた。その穴からおぞましいなにかが這い出してくる。


 空間穴ワームホール──これは召喚魔法の一種か。

 亜空間から這い出してきたのは髪を振り乱した巨大な女の霊体だった。

 焦点の合わぬ虚ろな目。狂気的な形相。目に見えて分かる悪意に満ちた貌。

 ヒステリックに己の顔を掻き毟るその様相には正気を欠片ほども感じない。


「バンシー……?」


 イカルどのが呟く。

 拙者もバンシーの名は聞いたことがある。

 闇竜神が使役する精霊のひとつで、家人の死を予告すると言われている。

 バンシーの泣き声が聞こえた家では近いうちに死者が出るとされてるが、

 本体そのものは無害なモノで、このように巨大で悪意的とは聞いていない。


 ただし例外はある。

 和魂ニギミタマ荒魂アラミタマ

 精霊には正負の面が両極端に存在し、通常は和の面を見せているものだが、

 自然の調和に乱れが起きると急激に荒の面を剥き出しにすることがある。

 自然破壊によって理性を失った精霊が厄を招くことはよく知られている。


 荒ぶる水の精霊は氾濫などの水害を招き、荒ぶる火の精霊は大火災を呼ぶ。

 狂える精霊の力は無軌道な暴力。理性なく無差別に襲い掛かる自然災害。

 その地に住まう精霊たちの存在を軽視すれば、必ずや災厄に見舞われる。


 なので王国の人々は自然の調和が乱れるほどの大がかりな工事のさいには、

 その地に鎮魂の祠を立てて、精霊が荒ぶらぬよう祈ることを欠かさない。


 ならば荒ぶる精霊と化した死の予告者はどのようなモノになるのか。

 察するに余りある結論に達した拙者とイカルどのは同時に耳を塞ぐ。

 バンシーの泣き声にはマンドラゴラの悲鳴に似た力があるという。

 彼女たちの死を予告する慟哭は即ち黄泉路への誘い。聞けば死ぬ呪言。

 そんなものが荒魂と化した狂える精霊の攻撃となって襲い掛かったら……


「響き渡るは死の恐慌──『狂魔絶唱ハウリング・ディモス』──」


 巨女が吼えた。

 上半身を逸らし、顔を掻き毟りながら、泣き女が死の叫びを上げる。

 口から放たれるは狂える精霊の絶唱は、触れるモノすべてを死に誘う歌。

 直に耳にしたら終わり。その悲鳴は心臓の鼓動を容易く止めるだろう。


 耳を塞いでも鼓膜をゆるがせるほどの衝撃波。

 生で耳にすれば魂まで破砕されかねない精神にも作用する破壊力。

 マンドラゴラの奇声にも似た、否、それ以上の威力を内包した音響攻撃。

 

 これだけ距離を離していても骨振動を通じて伝わってくる音の痛打。

 狂える泣き女の絶叫は射線上にあるあらゆる物体を粉砕した。

 石床も、石柱も、突風に浸食される砂岩のように風化してチリと化す。


 これは超音波振動による破砕か。

 吟遊詩人の使う歌唱魔法にそのように分野があるとは聞いている。

 ただしコレは規模も威力も吟遊詩人の使うそれとは桁違いだ。


「!!!!!」


 ガードが間に合わず泣き女の絶唱を正面から浴びるもりそばどの。

 音の振動波が、叫の衝撃波が、心を砕く恐慌が彼女の身体を吹き飛ばす。

 まともに入った。耳を塞ぐ余裕も構えを取る間もなかった。直撃だった。


「もりそばどの!」

「嬢ちゃん!」 


 たまらず拙者とイカルどのが声を上げる。

 今のはまずい。今の直撃は聖竜騎士といえど致命傷になる入り方だった。

 絶唱が破壊するのはなにも鼓膜だけではない。

 超音波の振動は対象の骨をも破砕し、砕片は臓腑を内部から破壊する。

 体内の水分も激しく振り動かされたはずだ。全身の血管破裂もありうる。


 そして聞く者に想像を絶する恐慌をもたらす泣き女の悲鳴。

 もし精神抵抗が成功していなければ、最悪の場合は死にいたる。

 ショック死という言葉があるように、恐怖によっても人は死ぬのだ。


「壊れたか? そっと柔肌を撫でてやったつもりだったのだがな」


 大の字に倒れ伏すもりそばどのへユートどのは煽るように言った。

 兄に勝る妹などいない。師の全盛を超えられる弟子などいない。

 そう思わせてしまうほどに二人の実力差は歴然。


 レベルが違いすぎる。

 終わってしまえばなんのことはなく、当然といえば当然の結末。

 同じ聖竜騎士でも魔王討伐を果たした者と新米とでは雲泥の差がある。

 練度が足りない。経験が足りない。なによりも覚悟の量が足りない。


 もりそばどのは答えない。

 これは勝負あったか。そう目を伏せざるえない敗れ方をしていた。

 勇者職には【不屈の闘士】なる致命傷からでも蘇る復活スキルがあるが。

 いかにスキルの恩恵があろうと、心が折れればどうしようもない。


 傷や体力の云々の問題ではない。

 戦の場には『そういう』ダメージの受け方があるのだ。

 戦意を喪失させ、心を挫き、二度と戦場に上がれなくさせる敗れ方が。


 兄として慕っていた存在が時を経て敵として現れた辛い現実。

 これまで培ってきた聖竜騎士の技術がまるで通用しなかった絶望。

 おそらくは今まで経験してこなかったであろう絶対強者との遭遇。


 なまじ才能があり、トントン拍子に進んできたところでの挫折と頓挫。

 これだけの不運が重なった大敗は勇者としての誇りを砕くのに十分すぎる。

 拙者は知っている。こういう場面で敗北した勇者は二度と立ち上がれない。


 誰も彼女の敗北を非難するまい。

 これほどの力量差を見せ付けられては、誰が挑んでも同じであったろう。

 もりそばどのは一言も我々に加勢や救援の助けを請おうとはしなかった。

 勇者としての誇りが、兄妹の絆が、他の介入をよしとしなかったのである。

 ここまで追い込まれながら、独りでよく健闘したと彼女を讃えるべきだ。


 もはやこれまでか──


 暗闇の中に勝利の道しるべを照らそうとした灯台は砕け崩れ落ちた。

 もしかしたら……という僅かな希望は潰え、戦場に残るは拙者ら塵芥。

 このまま諦めて命乞いでもするか? やぶれかぶれで特攻でもするか?


 否だ。無論、否だ。

 勇者とは勇ましきのみならず、その生き様で他に勇気を与えられる者。

 勇者の熱き雄志は伝染する。勇者の誇り高き炎は皆の心を焚き付ける。

 ブレイブハート。ウォークライ。この現象には様々な表現があるが。


「次はお前だと言われる前に、ぼちぼちいきますかね先生」

「左様でござるな」


「嬢ちゃんのおかげで挫けかけていた心にいい熱が入りましたよ」

「同感でござる」


 とにもかくにも、


「まだ年端も行かない女子ガキにここまでやらせておいて」

「大人である拙者らが何もできぬまま終わるわけにはいくまいよ」


 拙者らを突き動かすのは男としての安いプライド。

 互いに戦力は枯渇。ユートどのとマトモに戦えるような状態ではない。

 塵芥ごときでは竜は殺せない。ハッタリだけでは竜は倒せない

 ならば何故に拙者は前に進むのか。どうしてイカルどのは共に歩むのか。


「先生、回復は?」

「もう少し欲しかったでござるが、まぁ、多少を凌ぎ切れればどうにか」


「なら、彼女の変わりに俺が捨て駒になりますよ」

「それなら、万全な回復まであと三分ばかりお願いしたい」


「ハハッ、永遠に時間を稼げといってるようなもんですね」

「無理を承知で、お願いするでござるよ」


 まだ拙者には一噛みの力が残っている。

 狂犬の毒牙の一噛みが。竜の喉笛に喰らいつける致命の一撃が。

 百の戦術は要らぬ。千の小細工などいらぬ。

 どれほどの策を弄したところで彼は紙屑のように引き裂くだろう。

 万の一刺しの幾重にもわたる攻撃の積み重ねを、大槌で叩き壊すように、

 竜の化身は我々の武芸の粋を砂の楼閣のように破壊してしまうだろう。


 ならば我々の持つすべてを、なりふりかまわず、たったの一撃にかける。

 一撃を喰らってしまえば、拙者らはそれだけで致命傷。

 一撃を与えられることができれば、もしかしたら必殺と成り得る。

 これからやるのはそういういくさ


 強大なる竜の攻撃を全て完璧に避け続け、そして、ひとつひとつ丹念に、

 薄皮を張り合わせていくように、金塊を金箔になるまで叩き伸ばすように、 

 延々に延々に繰り返さなければならないような小技の応酬など無用!


「終わったか。もう少し試したいことがあったのだがな……」


 倒れたまま動かない彼女に見切りをつけ、ユートどのがこちらを向く。


「時世の句は考え付きました?」

「この戦いに勝てたら考えるでござるよ」


 狂狼よ、竜の首に毒の牙を突きたてろ。


 もりそばどののように勇ましく!

 もりそばどののように力強く!

 もりそばどのような超激情を!


「コクロウ先生、次はあな──」


 ゾワッ……


 拙者は感じた。

 イカルどのも感じた。

 もっとも感じたのは敵意を叩きつけられたユートどの本人。


 この悪寒はなんだ。

 まるで野獣が突如として自分たちのいる空間に湧き出したような。

 あるいは獣の群れの中に予期せぬタイミングで投げ込まれたような。


「なっ……」


 誰の吐いた言葉か。もしかしたら全員が同時に漏らした言葉かもしれない。

 ぞくりとした得体の知れぬ戦慄が戦場にいる三人の背筋を凍らせる。

 拙者は、イカルどのは、ユートどのは、其処に信じられぬものを見た。


 起きられるものか。

 起きてくるわけがない。

 起きてこられるはずがない。

 なのに──!


 立っていたのである。

 いつのまにか。倒れ伏していたはずの勇者が立っていたのだ。

 ゾンビとして黄泉返ったのかと錯覚するようなあまりにも無惨な姿。

 生きているのか死んでいるかもあやふやな気配。


 あれはもはや希望の灯火ではなく、吹き消えた蝋燭の残骸。

 ただ立っているだけだ。無力な死骸が意地だけで動いただけだ。

 なのになぜだ?

 そんなものからどうして、これほど身を震わせる畏怖を感じる……!?


「もりそばどの……」


 即座に拙者は理解した。

 ついに引きちぎれたのである。

 正気のタガが、理性の安全装置が、頚木が、鉄鎖が、足枷が、格子が……


 吠えている。吼えている。生ける死骸の中でナニカが咆え猛っている。

 繋ぎとめていたモノ! 封じ込めていたモノ! 抑えつけていたモノ!

 これまで彼女の精神の奥底で眠っていたモノが目覚めようとしている。


 拙者はこのとき──

 今の今まで彼女の理性に拘束されていた凶悪なモノが飛び出す音を。

 見たこともない獰猛な魔竜が外に解き放たれる音をたしかに聞いた。


 ──ぶつん♪

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