La Pucelle"Great Mother" ~その頃の火焔の聖女4~
綺麗な嘘と、汚れた真実。 それでも、僕たちは生きてゆく。
【黒木勇斗語録・バテン・カイトスII キャッチコピー】
これまで送っていた日常が前触れもなく崩壊する。
これまで常識と思っていた価値観が非常識に塗り潰される。
これまで普通に送っていた日々が二度と戻らぬ非現実になる。
ただ普段どおりに道を歩いていただけなのに一変する世界観。
薄氷を踏み抜いて転げ落ちた先は、悪夢と紙一重の幻想世界。
この人はたったいま、自身の常識の通用しない異界に落ちた。
童話や寝物語の世界も同然の異世界に召喚されるということ。
それがどれだけ恐ろしいことか。自分にはとても想像が出来ない。
盗賊に誘拐されるとはワケが違う。これは文字通りの神隠し。
道を間違えたと思ったら外国にいたどころの騒ぎじゃないのだ。
「…………」
異邦人の女性はキョロキョロと周囲を見回しキョトンとしていた。
いきなり自分の知らない世界に飛ばされたら誰だって呆けもする。
多くの異邦人は訳も分からずこれは夢なんだと現実逃避するという。
まぁ、一部は夢の異世界転移だヒャッハーと歓喜するらしいですが。
ならこの人は、受け入れられない前者と受け入れる後者のどちらか?
「ん~っ」
そして彼女は最後に自分と神様を交互に見てから物思いに耽り。
「すみません。ちょっとおそとの様子を見てきますね~」
と、すっくと立ち上がって話し出すやいなや。
いきなりVIPルームのドアを開けて酒場のほうへ向かっていった。
「あっ」
「ちょっ」
あまりといえばあまりの自然な動きに、自分も神様も反応が遅れた。
自分の身になにが起こっているのかも理解できてない状況下だというのに、
まさかいきなり部屋の外へ逃げ出すなんて思ってもみなかった。
やばい、やばい、やばい。
この部屋の先にあるのは冒険者の酒場。異世界の景色の集大成。
酒場にいるのはヒュームだけじゃない。猫獣人やエルフやドワーフもいる。
向こうの世界には亜人はおらず、ヒュームだけが存在する世界だとか。
そんな単一種族だけの世界で生活している人が予備知識なしに外に出たら。
「早く連れ戻すぞ。ここで異邦人召喚やってたなんてバレたら一大事だ」
「了解っす。パニックになって大騒ぎになる前にとっ捕まえ……」
はれ──?
「なんか静かだなオイ」
「脳の処理がおいつかず気絶でもしたんすかね?」
召喚されたての異邦人が異世界を目撃したら普通は悲鳴を上げるのに。
耳をすませてもまるで反応がないってどういうことっすか?
「あらあらあら~、まぁまぁまぁ~」
それどころか異邦人が満面の笑顔でこちらに戻ってきたし。
「ゆーくんびっくりするかな~。おか~さん、絵本の中に入っちゃった☆」
…………
「やべぇ」
いきなり神様が物凄く深刻な口調で呟きました。
「やべぇぞクラテル。一刻も早く魔王の石をもってこい。帰還させっぞ!」
「そんなの持ってないっすよ。魔王石だって国宝級の超貴重品なんすよ」
「じゃあ聖竜神とこの糞天使を呼び出せ。あいつなら日本に帰せんだろ?」
「なにそんなに慌ててるんすか。いたって普通の若奥様風の人なのに」
自分の率直な異邦人を見ての感想に、神様はマジで言ってんのって顔。
「オメェ、キャラの濃い友人を作りすぎて感覚が麻痺ってねぇか?」
「はい?」
エスティエル先輩やタマ先輩のドぎついキャラクターに当てられ過ぎて、
常識的な感覚がおかしくなってるってことっすか?
そういわれると否定しきれないですけど、そんなにヘンすかねこの人。
「なにか問題でもあるんすか?」
おっとりとしていて穏やかで、母性をとても感じる包容性のある女性で、
自分も結婚して母親になったら、こんな風になりたいなって思えるほど、
この異邦人の女性はごく平凡な家庭にいる普通の主婦に見えるんすけど。
実は裏で伝説の傭兵をやっていたとか、昔はスゴ腕の暗殺者だったとか、
そういう裏世界の住人ならヤバイかもしれないけど、そんな気配はない。
裏の人種には独特の暗いオーラがある。聖女にはそれを見切る目がある。
自分が見る限り、この人はただの一般人。やましいところはない。
だから自分には神様がどうしてそこまで焦るのかが理解できない。
「このスケ、動じてねーんだよ。異世界に召喚されて、異世界の景色を見て、
明らかに自分とは外見も服装も違う異世界人と母国語で会話できてるのに、
それを当たり前に受け入れてて、かつ異界送りにあった自覚がありやがる」
「あ……」
そういわれてみればたしかに。
この異邦人の人、異世界転移という異常事態に物怖じ一つしていない。
それどころか右も左も分からない状況を愉しんでいるそぶりすら感じる。
「こいつは天然だ。光竜神と同じ臭いを感じる。キャラも微妙にかぶってる。
このままセーヌリアスに居座らせたらヘタすっと前の聖竜騎士のときよりも
とんでもねーことになるぞ。手遅れになる前に早いとこ帰還させねぇと」
「あのクロキユートさんよりもですか? いくらなんでもそこまでは」
このとき自分は、とてつもない失言をしたことに気がついていなかった。
「くろきゆーと?」
自分の言葉に反応を示す異邦人の人。
「あら~、もしかしてみなさんはユーくんのおともだちなんですか?」
はい?
パンと拍手をして大喜びする異邦人にポカンとなる自分と神様。
「まぁまぁまぁ、それじゃあわたし、前にユーくんと天使ちゃんが言ってた
ゲームみたいな世界に入っちゃったってことなのね~。おかあさん感激☆」
ぞわっ。
なんだろこの悪寒……
「んもぉ~っ、ユーくんも天使ちゃんも独り占めしてズルいんだからぁ~。
おかあさんは信じてたのよ。ユーくんがゲームの世界で暮らしてたって。
おかあさんだってファミコン世代なんだから、ドラクエみたいな異世界に
憧れがないってわけじゃなかったし、絵本の中に入りたいって思ってたし」
今、この発言で自分は察した。
この人はエスティエル先輩と同じタイプの常識の埒外にいる人種だと。
覚悟もなしに迂闊に関わるとロクなことにならないヤバイやつだと。
「あっ、ごめんなさい。一人で浮かれちゃってて自己紹介が遅れましたぁ~」
彼女はここでようやく我に帰って自分と神様へ向き直る。
「ええっと、はじめまして。わたし日本という国で主婦をやっております、
黒木菜々子ともうします。いつぞやは息子の勇斗がおせわになりました」
と、ペコリと一礼。
「むすこ?」
挨拶時の発言に物凄い違和感を感じて聞き返してしまった。
え? ムスコのユート? 弟とか従弟とかでなく? 息子?
どう見てもユートさんの姉、ともすれば妹に見えるんですが。
「えと、その、あなたは、もしかしてユートさんのお母様で?」
「はい☆ ユーくんのおかあさんです。うちの息子は元気でしょうか。
天使ちゃんと一緒に仕事探しでこっちに来ているはずなんですけど、
一ヶ月たってもうちに連絡が来なくて心配してたんですよぉ~」
「あ、ああ、まぁ、就職したっていえばしたのかねアレは」
「そちらでもエスティエル先輩がさんざんごめいわくかけたようで……」
心の中で叫んでいいですか? いいですよね?
いいぃぃぃいいぃいやゃゃゃあぁぁぁぁぁあッッッッ!
とんでもないの引いちゃったあぁああぁぁあぁぁッ!!!
どうしよう……いや真面目にどうしよう……これ……
「クラテル」
「はい」
「オメェが召喚したんだからオメェが責任取れよな」
「そんな殺生なぁ~」
この日ほど、自分の籤運の悪さを恨んだ日はありませんでした。