第7章 吸う石
「ねえ、そろそろ、いきましょうよ」
ララが立ち上がった。
「わかるけど、こいつをどうする?」
床に転がっているドレイファスは、まだ、目を覚まさない。
「持っていくのは、重そうね」
「でも、放っておくわけにもいかないだろ」
「じゃ、引きずっていく?」
ララが、ドレイファスの左足をもちあげた。
「はい」
オレに渡す。
「オレ、ひとりで引きずるのか?」
「大丈夫よ、そこの扉を抜けるまでだから」
「その先は?」
「放っておけば」
しかたなく、左足を引っぱった。
「ボクしゃん、手伝いしゅ」
右足をもちあげたが、もちあげたところで、引っぱるところまでいかない。
オレは重たい体を、ずるずると引っぱって、扉を越した。
そこで、左足を下ろした。
「はぁ、重かったでしゅ」
ムーは、右足を降した。
「死ななかったのね」
ダイオプサイドを、壁から引きはがしていたクリスティンが、残念そうに言った。
「死んでるわよ。
あたしは優しいから、敵の死体でも放っておけないのよ」
ララが足底で、ドレイファスの頭をグリグリと踏んだ。
クリスティンが、なんともいえない顔をする。
ムーがトコトコと、クリスティンに近づいた。
「ダメっしゅ、返すっしゅ」
剥がれた土を、ビシッと指す。
「もっていきます。私はその為にきたのですから」
「ダメっしゅ!」
つかみかかろうとしたムーを、オレが後ろからつかまえた。
小脇に抱える。
「ウィルしゃん!放しゅ、っしゅ!」
手足をバタバタとさせる。
「あのな、ムー」
「放しゅ、っしゅ!」
「クリスティンは、ダイオプサイドを取りに来たんだ」
「もってくの、ダメっしゅ」
「でもな、力づくで止めても取る機会あれば、また持ち出そうとするだろ?」
「…はい、でしゅ」
「オレ達に理解できるかわからないが、話してみろよ、持ち出し禁止の理由を」
地面に降ろすと、ムーは小さな破片をひとつ持ってきた。
透明な緑の石は、神秘的な光を帯びている。
「いいでしゅか?」というと、くるりと後ろを向き、
クリスティンの眼前に、石をつきつけた。
「いやぁーーー!」
悲鳴をあげて、クリスティンは逃げた。
数メートル離れたところに立ち止まると、おびえた顔でムーを見ている。
「なにしたの?」
楽しそうなララ。
「なにも、してましぇん」
「怖がっているわよ?」
「この石しゃんが、怖いんでしゅ」
ムーは、石を手の中に握り込んだ。
「この石しゃんは、人をいじれるんでしゅ」
ララが眉をよせた。
「まさかだけど、マインドコントロールができるっていうの?」
頭を押さえて、かがみこんだ。
「んーー……」
ヒョイと、顔をあげる。
「……わかりましぇん」
「あ、そ」
「ムー」
「なんでしゅか、ウィルしゃん」
「お前の話したいように、話していいから」
「はい、でしゅ」
コックリとうなずく。
「人の気持ち、いっぱい、あるです。
これら、石しゃん、吸いましゅ」
「わからないわ」
きっぱりと、ララが言う。
「ええとでしゅ……この石しゃん、ララしゃんの目にかざしましゅ」
「なんで、目なんだ?」と、オレ。
「目、脳みそしゃんの末端っしゅ、
いんたーふぇいす、しゅ」
ララの手に、ずらりと長針が並んだ。
「さっさと、話を進めて」
「石しゃん、ララしゃんの、知識や感情や理性を、吸いましゅ」
ムーが前に言った意味が、ようやくわかった。
イシがイシを吸うは、石が意志を吸う、だ。
「全部、吸うのか?」
「違いましゅ。
使い手しゃんが、操作できましゅ」
「つまり、石で、人間の記憶を変えられるんだな」
ムーが、ふるふると首を横に振った。
「変えれません。吸うだけっしゅ」
「吸うだけ、なのか?」
「そうでしゅ。
たぶん、でしゅ、教団しゃん、考えたしゅ。
怖いものある人、怖い原因の記憶、吸っちゃうsでしゅ。
怖くなるなるっしゅ。
すごい、すごい、ことっしゅ」
「心的損傷の治療が石でできる、ってことね」と、腕組みをしたララ。
ムーが、困った顔をした。
「気にしないで、続けていいぞ」と、オレ。
「他にも、教団にお金あげた記憶、なしにしましゅ。
もう一回くれましゅ。
しょれから、
信者の人、困った家族、連れてきましゅ。
悪い記憶、怒る感情、けしけししましゅ。
新しい人、できましゅ。
家族、ありがと、教団にいいましゅ」
「吸うだけの石も、使いようというわけか」
「たっぷり、がっぽりと、寄付金ね」
ララが、たっぷりと嫌みを込めていう。
「なあ、ムー?」
「はい、でしゅ」
「もし、教団がムーのいうようなやりかたをしているとしたら、問題ありだろけどな、
うまく使えば、人のためにもなるんじゃないか。
魔術協会で研究する…」
「ダメッしゅ!」
強い拒否をのムー。
「こっから、出しちゃ、ダメッしゅ!」
「狼を、また怒らせるか?」
「それもありましゅ。
でも、それよりも、出すの、もっと、もっと、ダメっしゅ。
ウィルしゃん、ないでしゅ。わかりましぇん。
ララしゃん、ありましゅ。ちびと、わかりましゅ」
ララが拳骨を、ムーの頭に落とした。
「痛い、でしゅ!」
「いまの説明の内容が、わかっちゃったのよ。
わかったら、なんとなく、殴りたくなったのよね」と、言うと、
「ウィルは、魔力がないの?」
「学校の検査では、ゼロだったな」
「やっぱ、そうなのね。
あたし、少しだけだけど、魔力があるのよ。
それでね、ムーのいいたいことが、なんとなくわかるのよ」
ムーの手から、破片を取り上げた。
「この石、触れていると、気分がいいのよ。
体内の魔力が、この石からでてくる波動に共鳴するのよ」
石をポンと、ムーに投げ返す。
「あたしは魔力が少ないから、石を返すのにも抵抗ないけど、
魔力の多い人は、手放したくなくなるんじゃないかしら。
長く持つと、依存性がでそうよ、これ」
ムーが、こっくりとうなずいた。
石が危険だという理由はわかった。
「そういうことだそうだ。石は戻したほうがいい」
クリスティンは、後ずさりした。
袖の肘が垂れている。
石がかなり入っていそうだ。
「なあ、クリス。
それは、人に害を及ぼすものなんだ。置いていった方がいい」
クリスティンが、さらに後ずさる。
背が壁についたところで、とまった。
「……知っているわ。
これで心が操作できることも。
魔術師に高い依存性がついてしまうことも」
「わかっていて、持ち出すのか?」
クリスティンが、オレをキッとにらんだ。
「そうよ。この石を持っていけば、教皇様は私に司教の位をくれると約束したわ。
司教よ、司教。
この私が、女の私が、年を取っているだけのバカな司祭どもに、命令する力を手に入れるのよ」
「クリス…」
「説得しようとしても無駄よ。
私はここに来る前に、聖職者であることを捨てたわ。
清く正しい生活が、いったい何によ。
百の誠実も、一の不実に勝てないわ。
悪党どもが謳歌するこの世の中で、愛など踏みにじられるだけよ」
袖から、針水晶のロッドを出した。
「ドレイファスは死んだわ。
あとは、この石を持って帰るだけ。
あなた達に、邪魔はさせないわ」
ララの手に、短剣があらわれた。
「ドレイファスの殺害も、教皇に頼まれたの?」
「ドレイファスが死ねば、十年前の真相を知るものは教皇様だけになるはずだったわ。
まさか、十年間、沈黙を続けたドレイファスが、死ぬ直前にあなた達に話すとは、教皇様も思ってはいなかたでしょうね。
おかげで、私まで真相を知ることができたけれど」
クリスティンに十年前の悲劇を痛む様子はなかった。
純粋に、自分の切り札が増えたことを喜んでいた。
「でも、残念ね。その石、持って帰れないわよ。
3番目の扉、崩れて埋まったんだから」
ララが、一歩、踏み出した。
「来ないで!」
ロッドをオレ達に向ける。
「爆破騒ぎは教団が派遣した技術者による偽装工作よ。
他にも教団から派遣された者達が、私たちをずっと見張っていたのを、気がつかなかったの?」
気がついていた。
気がついていたから、昨夜オレは寝ていない。
「まもなく、扉は開きます。
私は石を届けにいきますから、あなた方は、ここでゆっくり過ごしてください」
「あたし達を、閉じこめるつもりなの?」
「ドレイファスの告白を聞いて、驚きましたわ。
人間、考えることは、同じなのかもしれません」
うつむいていたムーが、ぶるぶる震え出した。
顔をバッとあげる。
「石しゃんを返しゅでしゅ!!」
クリスティンの唇に浮かんだのは、嘲笑だった。
「召喚術しか使えない魔術師が、何を言うの」
ドレイファスは知らなかったが、クリスティンは知っているらしい。
ムーが叫んだ。
「ボクしゃん、時間が、ほしいっしゅ!」
ムーの襟首をつかんで、オレの後ろに回した。
ムーが、ひしっとオレの背中にしがみつく。
クリスティンのロッドが、白い炎を吹いた。
地面をなめるようにやってくる炎。
ムーを背中に、オレは跳んで炎をさけた。
ララは、ナイフを次々と飛ばして牽制しているが、ナイフが炎に溶かされて、クリスティンまで届かない。
「白色炎は、やっぱ温度が高いわねえ」
軽口をたたくララだが、いつもに比べて余裕がない。
「動かないで!」
焦れたクリスティンが、ひときわ大きな炎をだした。
オレとララは、炎が届かない場所へ、場所へと、跳んで逃げた。
炎はしだいに大きくなり、オレとララと背中のムーも含め、逃げられる範囲が狭まっていく。
「そこまでよ」
異次元の穴で逃げ場を失ったオレ達に、ロッドをもったクリスティンがジリジリとせまってきた。
ムーが、ピョンと降りた。
両手を上に掲げと、大声で叫んだ。
「我はムー、我が声にこたえよ、アーフヌゥ!」
オレの背中で、ぶつぶつと唱えていた召喚呪文は完成したらしい。
クリスティンの炎が、消えた。
ムーの突然の行動に、集中が途切れたらしい。
「我はムー、我が声にこたえよ」
部屋の空気が、緊張した。
そいつが”来る”のがわかった。
細かいトゲが無数に宙にだだよっているような、ピリピリした感触。
乳白色の渦から、そいつはやってきた。