序章 旅のはじまり
「よー、ウィル。慣れたか」
飼い葉を運んでいたオレに、陽気な声がかかった。
振り向くと、馬小屋の陰で、大柄な男が剣を磨いている。
「わからないことがあたったら、遠慮なく聞けよ」
「ありがとうございます」
オレが礼をいうと、男は「うんうん、がんばれよ」と言って、また、剣磨きに精を出しはじめた。
カーター・パランス。
風系の魔法を駆使する、凄腕の傭兵らしいが、
普段は面倒見のいいオッサンで、オレの職場の先輩だ。
そう、オレ、ウィル・バーカーは、呪われた悪夢のような卒業試験を乗り越えて、
無事、エンドリア王立兵士養成学校を卒業したのだ。
バランス先輩は、ふと、思い出したように剣を磨く手を止めた。
「そういえば、学校は元に戻ったのか?」
「まだ一部は使えないそうですが、先月から授業を再開したそうです」
オレ達の卒業試験は、長い苦難の連続だった。
ようやく、卒業できるところで、卒業証書を失い
卒業証書用の紙の材料、ホワイト・マンドラゴラを取りに行かなくてはならなくなった。
素直に採取しにいけばよかったのだが、それまでの過酷な試験内容に、オレ達の根性は切れていた。
秘境、セレザ砂漠を探し回る代わりに、学校のモンスター資料室からホワイト・マンドラゴラの種を盗んだ。
「それにしても、すげーことしたよな、お前達」
「はははっ……もう、それは言わないでくださいよ」
ホワイト・マンドラゴラは採取できる大きさまで育つのに、約10年かかる。
そこで、仲間のひとりララ・ファーンズワースが、もう一人の仲間、ムー・ペトリに魔法薬の作成を命じたのだ。
生育を早める魔法薬を。
「まあ、おめーが、思い出したくない気持ちもわかるけどなあ」
バランス先輩のいうとおり、思い出したくない。
いや、できるものならば、記憶からすっぱり消去してしまいたい。
「ありゃ、すごかったもんなあ」
校庭の片隅に、オレ達は種をまいた。
そこにムーが作った、発育促進剤をかけた。
見る間に芽がでて、葉が育って、花が咲いて、種ができて、枯れた。
ララが「これじゃ、使えないじゃないの」と、ムーの首を絞めているところで、また、芽が出た。
地面に落ちた種からでた10数個の芽は、あっという間に咲いて、枯れた。
次に出た芽の数は、100個を超えていた。
次は1000個というように、オレ達が青ざめるなか、ホワイト・マンドラゴラの数は、どんどん増えていった。
魔法薬の効果がようやく切れたときには、広々としていた校庭はホワイト・マンドラゴラの花びらが舞い散る花畑と変わっていた。
「なんの前触れもなく、あの一帯の住民の避難命令がでたときには、どんな凶悪モンスターがでたのかと思ったが、
ま、わからなくもないよな。
マンドラゴラだろ。うっかり引っこ抜けば、叫び声で皆殺しだもんな」
オレ達は、エンドリア魔法局と校長に、きつーーく叱られたが、おとがめはなく、無事卒業させてもらえた。
貴重なホワイト・マンドラゴラの大量収穫と、「もう、トラブルはごめんだ!とっとと、卒業させちまえ!」というエンドリア魔法局長の暖かい助言のおかげだ。
卒業したオレは、さっそく、職探しをした。
本当は拳法修行の旅に出たかったが、金もないし、オレの技量では一人旅には、まだ未熟だ。
そして、就職したのがエンドリアの東北にある商業都市ラゴタのバーウェル交易商会。
仕事の内容は、隊商の警護。
旅をしながら腕を磨き、金も貯まるという一石二鳥の美味しい職場だった。
「そうだ、ウィル」
「なんですか?」
「隊商の出発が明日の朝に決まった。足りない物があったら、いまのうちに買いそろえておけよ」
「わかりました。ついでに、買ってくるものは、ありますか?」
「酒」
「いいんですか、酒なんて」
「いいの、いいの、いっぱい買ってくるんだぞ」
「わかりました。いっぱい買ってくればいいんですね」と、返事をすると、
「さけ、酒、酒~酒~、さけさけ、酒~」と、歌いながら、また、剣を磨きだした。
オレは馬に飼い葉をやったあと、買い物に出た。
買い物は、薬草と酒。
重くなりそうな酒を後に行くことにして、オレはチャード通りの薬問屋を目指した。
チャード通りは、ラゴタの中心部を東から、西へと延びている商店街だ。
薬問屋に向かって歩いていたオレは、「どけどけ」と怒鳴りながら、走ってくる一団に出会った。
巻き込まれないように、脇道に入ろうしたオレの行く手を、先頭の男がさえぎった。
「そこの男、名をなんという?」
オレより頭ひとつ高いその男は、僧侶用の白ローブに鎧を着こんでいた。
「人に名前を聞くときには、先に名乗るのが礼儀だろ」
男は明らかにムッとした様子だったが、
「私の名はロビン・ドレイファス。 ローバール神聖騎士団のエンドリア支部で、分隊長をしている者だ」と、礼儀正しく答えた。
「オレは、ウィル・バーカー。答えたんだから、通せよ」
横をすりぬけようとしたオレを、神聖騎士団の一団が取り囲んだ。
数にして、8人。
「働いているところは、バーウェル交易商会か?」
「そんなこと、答える義務はないだろ。さっさと、どけよ!」
ドレイファスが、すらりと剣を抜いた。刃に神聖文字が刻まれている。
「もう一度聞く。バーウェル交易商会に勤めているのか?」
「それがどうしたっていうんだよ」
「そうならば…」
剣を正面に構えた。
「一緒に来てもらおう」
ドレイファスの剣が、殺気を帯びた。
「ローバール神聖騎士団だったよな。オレになんか用なのか?」
「話すことはない」
「理由くらい話せよ!」
答えの代わりに、騎士団の男のひとりが、縄を手に寄ってきた。
「おい!」
「抵抗するなら、容赦はしない」
他の男達も、剣を抜いた。縄をもった男は、別の男に片端を渡すと、ふたりはオレを中心して円を描くように、縄を引き絞った。剣に囲まれたオレは、おとなしく縄を巻かれるしかなかった。
「さあ、来い」
縄でしばられたオレは、チャード通りをひっぱられて歩くことになった。
道行く人々が、縄を掛けられたオレを見て、何をしたのだろうかと小声で話している。
んなこと、オレの方が聞きたい。
卒業試験でエンドリア魔法局に目をつけられたオレは、人の数倍も清く正しく、道のコイン一個猫ババしない品行方正な生活を送ってきたのだ。
人々の冷たい目線にさらされながら、オレが連れて行かれたのは、石造りの巨大な教会だった。
礼拝堂にはいったオレ達は、荘厳なたたずまいの祈りの広間を抜け、奥へ奥へと進んだ。
アーチ型の高い天井。
窓にはめ込まれた、巨大なステンドグラスが、聖人達の偉業を伝えている。
「連れて参りました、ハーウッド司教」
正面に置かれた祭壇の前に、でっぷりと太った男が立っていた。
ドレイファスは、男の前でひざまづいた。
「お疲れ様でした、ドレイファス分隊長」
おっとりとした口調で、労をねぎらうと、オレを手でまねいた。
白い僧侶用ローブに、司教を表す赤い肩掛けをしている。
「よくきてくれましたね、ウィル・バーカー。私はこの聖ストルゥナ教団のエンドリア支局を預かるハーウッドというものです」
友好的な態度に、疑問が湧いた。
「ちょっと待てよ、おっさん」
ハーウッド司教が驚いた顔をした。
司教をおっさん呼ばわりするやつなどいないのかもしれないが、いきなり引っ張られてきてニコニコするほど、オレは人間ができていない。
「オレは確かにウィル・バーカーだけど、人違いじゃないのか?教団につかまることなんてしていないぜ」
つかまると言われて、ようやく、オレが縄で縛られているのに気づいたらしい。
「おおー、これは失礼しました。ドレイファス、縄をほどきなさい」
「しかし…」
「いいから、ほどきなさい。それが終わったら、お前達はさがりなさい」
「はっ」
オレの縄をほどくと、他の男達と礼拝堂をでていった。
縛られた手をさすっているオレに、司教はいかにも悪かったという顔であやまった。
「私がドレイファスに事情を説明をしておかなかったせいで、あなたに痛い思いをさせました。許してください」
「まあ、わかってくれればいいけどよ」
「それでは、話をきいてくれますね?」
近づいてくるアップの笑顔。
オレは、脂ぎった初老の男の笑顔に、あっさりと折れた。
「聞くだけなら」
「それは、よかった」というと、隣の小部屋にオレを案内した。
古びた椅子にオレに勧めると、司教は一枚の地図を取り出した。
「実はあなたに護衛をお願いしたいのです」
「護衛?、オレに?」
「そうです。隣国のダイメンのルゴモ村までお願いしたいのです」
太い指が示している場所は、ダイメンの西端。
このエンドリアとの国境に近い、山沿いの地点だ。
馬なら1日、徒歩でも3日もあれば、楽に着く。
「報酬は、金貨20枚」
オレは、目を見開いた。
金貨20枚あれば、家族四人が半年は暮らせる。
大金だ。
「引き受けてもらえるだろうか?」
「悪いが、バーウェル交易商会と契約済みだ。仕事は受けられない」
いくらいい条件の仕事でも、先約がある以上、そっちが優先だ。
「バーウェル交易商会には、私どもから事情を説明いたします。もちろん、違約金を私どもが支払わせてもらいます」
良すぎる条件に、オレは疑問をいだいた。
「ちょっと、聞いてもいいか?」
「なんでしょうか?」
「オレに護衛の経験はない。そのオレを高額な報酬で雇う理由は何だ?」
「心配ありません。あなた以外にも、3人の護衛がつきます」
「オレのきいているのは、そういうことじゃない。なんで、オレを雇うのかという理由だ」
司教は眉を八の字にして、困ったという顔をした。
「引き受けてくれたら、説明いたします」
「理由をきかなければ、引き受けられない」
八の字に下がった眉を、さらに下げた。
「どうしても引き受けていただきたいのです。お願いできませんでしょうか?」
「理由を聞いてからだ!」
話が平行線にはいったところで、扉が開いた。
「理由は私から説明しましょう」
現れた人物は、ゆっくりとした足取りで部屋の真ん中にくると、オレと顔を向き合わせた。
司教が深々とお辞儀をする。
銀色の短いマントをはおったその人物は、にこやかに微笑んだ。
「ひさししぶりですね。ウィル・バーカー」
オレは腕を組んで、その人物を冷ややかに見おろした。
「なんの冗談だ?ムー」