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 昼休みに珍しい人から電話がかかってきた。

 溝口は煙草を吸う訳でもないのに、同僚につきあっていた喫煙スペースから離れて、携帯を通話にする。

『あ、どうも純の父親です。お久しぶりです、溝口さん』

「ああ、純ちゃんの。先日はどうも。純ちゃんは元気ですか?」

『……そのことについて、ちょっとお聞きしたいことがありまして。確か、溝口さんの娘さんもうちのと同じ世代でしたよね』

 公務員の父親は声を潜めて、何かおかしな様子だった。

 何かまずいことでもあったのか、さすがに心配してしまった。

 そして、溝口には彼がそんな声を出す理由が想像できた。

「ええ、純ちゃんより一つ上で、今年小学校にあがったばかりです」

『……学校に行かせてますか?』

「学校からは心配なら来なくていいという連絡メールが回ってきましたよ……。どこの学校もかなり気にしているみたいですからね。ただ、行きも帰りも妻が送り迎えするということで、今日は学校に行かせました」

『うちの娘は幼稚園に行かせないで、今日は妻と家にいるはずです。一度、あんなことがあったものですから……』

「それは仕方ありませんよ。ここ数日で市内の三人が子供が亡くなってますしね」

『私は心配で、心配で』

「同じ娘を持つ父親として、その気持ち、わかりますよ」

『溝口さん……』

 懐かれてしまったな、と心の中で思った。

 あれ以来、何度か相談に乗っていたのだが、ここまで懐かれるというのはちょっと意外だった。

 よほど職場に相談できる相手がいないのだろう。

 たまたま知り合った溝口ぐらいしか愚痴や相談の吐き出し口がないというのは、ちょっと困ったものだ。

『そういえば、溝口さん。例の変質者、天狗だって言われているのご存知ですか?』

「天狗? あの鼻が高くて空を飛ぶ、天狗ですか? また、なんでそんな話が」

『うちの子……というよりもうちの子の幼稚園でそういう噂が広まっているらしいのです。妻が聞きつけてきたんですが』

「なんで、天狗なんですか?」

『子供たちを連れて行って、高いところに置き去りにするなんて普通は誰にもできないから、オバケの仕業だという話から始まったらしいんです。それに、うちの純がいってたおじさんとかいう奴がコートと山高帽姿だったこともあって、なんか天狗さんとか子供たちの中では言われているそうですよ』

「山高帽とコート……。また、時代錯誤な」

 溝口にはその情報はなかった。

 純以外の子供の証言を合わせた結果なのだろう、と推測する。

 だが、それだけ特徴的な格好をしていたというのならすぐに発見されそうなものだが、どうしていまだに逮捕されないのだろう。

 少なくとも、ここ数日間に立て続けに起こった子供の落下事故―――殺人という見方もあった―――の重要参考人はその山高帽の男のはずなのに。

『それに、私もこの間初めて知ったのですが、この町には昔からちょっとした天狗伝説があるらしいんです』

「……天狗伝説?」

『はい。なんでも町の裏にあるK山とその麓を含めた周辺地域には、昔、武蔵野と呼ばれていた時代に天狗が棲んでいたんだそうです』

「今は普通に切り崩されたりしてどうということにない山ですよね、K山って」

『そうなんですけどね。で、その天狗が子供をさらって神隠しにしていたらしいんです。そんな物語があるものだから、事情を知っているお婆ちゃんたちとかが躾とか言って子供を怖がらせちゃって広がった噂みたいです』

「なるほど。神隠し。よく聞く話ですね」

『今、うちの子の幼稚園だけでなくて、いろんな学校で広まっているそうですよ、この噂』

 ……それからしばらく雑談をして、溝口は純の父親との通話を終わらせた。

 通話中、どうしてもその話が頭の中から離れなかった。

 午後の仕事が始まっても、溝口の心の大部分を天狗の話が占めていた。

 何かひっかかるのだ。

 すると、後輩の赤嶺がお茶を持ってやって来て、隣の空いていた椅子に座る。

「どうっすか、お茶」

「ああ、もらうよ」

「元気ないっすね、溝口さん。課長がちょっと心配してましたよ」

 課長席には誰もいなかった。

 おそらく赤嶺に溝口の不調の様子を探ってくるように命令したのだろう。

 その間だけ席を外すというのは、簡単な気遣いに違いない。

「……隠しても仕方ないが、例の子供の転落死のせいで娘のことが心配でなあ」

「やっぱり、詩織ちゃんのことっすか。溝口さん、親バカだからそんなことだろうと思ったっすよ」

「親バカいうな」

「まあ、三人も子供が転落死したら、親だったら心配になりますよね。例のうちのビルに置いてかれた子のこともありますし。そういえば、あれ、天狗の仕業らしいですよ」

「天狗っておまえもかよ」

「え、なんすか、その対応」

 溝口は例の天狗の話をした。

「はあ、俺なんかは、このあたりの出身だから知ってましたけど、溝口さん、神奈川の方ですよね。知らなくて当然なのに。誰に聞いたんすか?」

「それよりも、なんで転落死が天狗のせいなんだよ」

「簡単すよ。ネットでもあがってますけど、最初のふたりは多分足を滑らせただけでしょうけど、最後の一人については何もないところからの落下ッスよ。高い建物もないのに。そんなことができるのは、ヘリコプターか、それとも空を飛べる何かだけって話ッス。だから、きっと天狗の話に信ぴょう性が増したんじゃないっすかね」

「まさか」

「そうでなければ、うちの屋上になんか誰も入れませんよ。今はもう完全に鍵で塞いじゃっていますけど、あの時だって社員じゃなければあがれない場所なのに、どうやってはいったんだといったら、天狗だから空を飛んでという答えになるんじゃないすかね」

 赤嶺の話はきっとネットの受け売りだろう。

 それでも不思議と笑い飛ばしたりはできないものがあった。

 おかしなことに、溝口は赤嶺の話す荒唐無稽な説を信じかけていたのだ。

 その時、胸のポケットにいれておいたスマホが鳴った。

 聞いたことのない警告音。

 慌てて画面を見た溝口は死ぬほどに驚いた。

 そこに表示されていたのは、ある場所の地図とそこに映った詩織の位置情報だった。

 アプリが作動したのだ。

 詩織が予定していない範囲に移動したと。

 そして、その位置とは……。

 溝口の頭上。

 会社の屋上であった。


 今、そこにどういう訳か彼の娘がいるのだ。


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