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「これなんか、どうだ?」
溝口が妻に差し出したのは、可愛らしい白いスマートホンだった。
通常のものよりもやや小ぶりだ。
聡美は不思議そうに顔をしかめた。
「なに、これ? あたし、自分のスマホぐらい持っているけど。もしかして、プレゼントなのかしら?」
「違う。なんで、俺がおまえの携帯を買わなくちゃならないんだ。誕生日や結婚記念日でもないのに」
「あら。誕生日なら買ってくれるの?」
「詩織のだよ。わざわざ、昼に会社を抜け出して買ってきたんだ。あとで、渡しておいてくれ」
「詩織の?」
「そうだ」
夫から受け取ったスマホをじろじろと眺めて、
「まだ、早いわよ。あまり小さい時から携帯電話を持っていると、変な風に育っちゃう子もいるって話だから。悪いんだけど、解約してきて。あたしの教育方針に反します」
「別にずっと持たせるって訳じゃない。例の変質者が逮捕されるまでだ」
「どういうこと?」
溝口は、カバンの中のパンフレットを取り出して、
「子供のためのGPS機能付きで、想定していない地域に動くと親のスマホに連絡が入るようなアプリが入っている。よく知らないが、ケルベロスとかいう奴の改良版らしい。あと、こっちから連絡すれば強制的に通話ができるアプリとかもいれてある。これ一つあれば、いざという時にすぐ俺かおまえが駆けつけられるようにだ」
黙って聞いている聡美に、溝口はカバンから電子ホイッスルを出して握らせる。
「これは、押せばすぐに音が出る仕組みだ。口に回さなくてもいいから、すぐに使うことができる。さっき河原で試したら結構音が響くから効くと思うんだ。これも詩織に渡しておいて」
「ねえ」
「なんだ」
「会社を抜け出してあたしのパート先に押しかけるほど、詩織が心配なの?」
「あたりまえじゃないか。おまえと俺の子供なんだぞ」
「そっかー、そうだよね」
またもいつものニンマリ笑いをする妻に、溝口はやや警戒した。
なんだ、今度はなんのつもりだ。
すると、聡美はポンポンと旦那の肩を叩き、
「”あたし”とあんたの子供のために、そこまで一生懸命になれるのかー。偉いゾ、溝口クン。あたしは妻として鼻が高いや」
異様に気分が良くなったらしい妻が恐ろしくなり、少し腰が引けながらも、溝口は捨て台詞のように言った。
「とにかく、今日の詩織の迎えはおまえなんだから、きちんと渡しておけよ。帰ったら、詩織には俺からも伝えるけど、絶対に変質者には気をつけろってな」
「はいはい、わかりました、旦那様」
「やかましいわ」
言い捨てると、溝口はこそこそと妻のパート先を後にした。
仕事を抜け出した言い訳はどうするつもりなのか、必死に脳内でシミュレーションしながら。
なけなしの小遣いをはたいて買ったスマホが大活躍する機会が訪れることになるとは、この時の彼は夢にも思っていなかったが、それだけ娘への愛情が深かったのだ。
だが、その機会は意外と早く訪れることになる……。
◇◆◇
ある日、一人の男の子が死んだ。
七階建てビルの屋上から落ちて。
しばらくして、一人の女の子が死んだ。
十階建てのマンションの手摺から落ちて。
その数日後、また女の子が死んだ。
建物なんてどこにもない高速道路の路上に叩きつけられて。
三人目の彼女はいったいどこから落ちたのだろう?
そして、さらに何日か経って。
……溝口詩織が、小学校の庭で掃除をしていたときに行方不明になる。