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 溝口は警察がくるまで、純の相手をしていた。

 仕事については課長が今日のところはいいと言ってくれたので、今回の女の子の件については会社の代表者として彼が対応することになった。

 娘の詩織で慣れているとはいえ、さすがに初対面の女の子相手には苦労したが、娘の同年代ということもあり話のとっかかりなどはスムーズに進んだ。

 彼は、まず娘の好きなプリキュアの話題から入り、それから両親や幼稚園の友達の話につなげるというコンボを駆使して、なんとか場を繕った。

 ただ、問題なのはこの幼女をこのビルの屋上に連れてきたという変質者についてだった。

 以前妻から聞いていた「置き去り事件」を念頭に入れた上で、幼女に誰が連れてきたのかを焦らずに尋ねてみたが、結果はあまり芳しくなかった。

 どうやら、幼女はここに連れてこられた時のことについては混乱しているらしく、「ぴゅーとお空を飛んできたの」とか「くるっと輪をかいたの」とかいうだけで話にならなかった。

 まだ小学校に入る前の未就学児童とはいえ、空を飛んだ妄想にとりつかれるとはよほど怖い目にあったんだなと思ってしまい、溝口はちょっと可哀想になった

「もう大丈夫だよ。もうすぐ、お母さんとお父さんが来てくれるからね」

 頭を撫でてまた飴を与える。

 こんなに甘いものばかり渡すと親御さんに嫌がられるかもしれないが、溝口のお父さん回路が勝手に発動してしまったのだ。

 甘いものを口にして嬉しそうな女の子を見て、自分の娘にこんなことが起きたら私はどうなってしまうのだろうなと溝口は思う。 

 しばらくすると、警察が幼女の両親を連れてきて、簡単な事情聴取を受けた。

 事件については父親と溝口が警察と話をすることになり、純自身は母親に連れられて家に帰った。

 純の父親はごく普通の人のいい公務員らしく、溝口に一生懸命頭を下げていた。

 警察の事情聴取が終わるのには数時間掛かったが、それで彼が提供できた情報はたいしたことのないものばかりだった。

 まず、純が見つかった時の状況を説明し、会社の入っているビルの警備の内容について知っている限りのことを話した。

 彼の話の裏取りは警察の方でしてくれるだろうから、溝口としては嘘さえつかなければ知っている範囲で答えればいいだけのことだった。

 ビルには配られているカードキーがなければ入ることができず、出入り口には警備会社のガードマンの目が光っていることから無理に侵入することはできない。

 それにテナントにしている会社も意外と顔見知りが多く、いかにも怪しい風体の人物が子供連れで忍び込めばすぐに発覚するだろうことも説明した。

 警察としては、女の子の誘拐・置き去り事件の手がかりが欲しかったのだろうが、なにも収穫はなく終わった。

 溝口自身、何も知らないのだから、警察に協力したくてもなにもできずに終わって当然だった。

 警察署から家に直帰した溝口は、ネクタイを緩めながら、夕食の支度をしている妻の聡美(さとみ)に愚痴った。

「……滅多にない体験だけどさ、もうやりたくはないな。同じことを何度も聞かれて、めんどくさくなって端折ると『さっきと違いますねぇ』とか言われてまた話すことになるんだぜ。まだ、俺の場合は参考人だからいいけどさ、犯人だったらもっとねちっこくやられるんだろうな。根性のない犯人だったら三日も保たないね」

「カツ丼はでたの?」

「あれは都市伝説らしいぞ。普通に近所の食堂から自費で出前になるという話だ」

「へえ、特捜最前線でよく大滝秀治さんが勧めていたのはウソだったのね」

「……君、昭和六十年代の生まれだよね?」

「それで、その女の子を拐った犯人は結局どうなったの?」

 溝口は背広をハンガーにかけてからスーツボックスに仕舞うと、ソファーに腰掛けてようやく一息ついた。

 聡美は彼に背中を向けて、油物の調理に熱中していた。

 ややそそかっしいところのある彼女は危険な行動をするときは、気を抜かないように振舞う。

 何をするかわからない小さい子がいるのだから、当然だ。

 油物も、今日は溝口が早めに帰宅して詩織を見ていてくれると思ったからやってみただけで、普段は手をつけたりしない。

 溝口は大好きなプリキュアの録画を観ている娘を膝に乗せてあやしながら、妻の質問に答える。

「わからん」

「……わからんってどういうことよ。貴方の会社って普通の人は入れてくれないぐらいしっかりとしているじゃない。カメラとかで録画だってしているでしょ」

「警察が全部調べたんだけど、何も映っていなかったそうだ」

「不思議ね」

「ああ、そうだな」

 そのまま会話を続けようとすると、膝の上の娘が彼を睨みつけて、「パパ、静かにして。プリキュアが聞こえない」と苦情を言ってきた。

 娘の訴えを聞き入れて、溝口たちは黙ることにした。

 今、溝口家のヒエラルキーの最上位に位置するのはこの長女なのだから仕方の無いところだった。

 画面の中で暴れまわる黒と白のキャラクターを観ながら、溝口は今日の出来事を思い返す。

 特に彼が手助けした女の子―――純の呟いた言葉が謎だった。

『おじさんがね、純をここまで空を飛んで連れてきてくれたの。でも、おじさんは純を置いてまた飛んで行っちゃった』

 純を置き去りにしたのが、小さな女の子から見て「おじさん」と呼ばれる人物であることは確かだった。

 だが、どうやって彼女を連れ込んだかが定かではない。少なくとも普通の方法ではたどり着けない場所なのだから。

 果たしてどんな変質者の仕業なのだろうか。

「……空でも飛ばないと無理だよな」

 彼の好むゲームでの話でいえば、ヘリコプターで運ばれる強襲部隊ならばなんとか可能な話だろう。

 ミッション的には重要人物誘拐が目的となり、強襲舞台は屋上から下の階に下っていき、同時にビルの四方に配置された部隊が中からの脱出を防ぐ。目標を拉致したら、そのまま一階から出て陸上部隊と共に装甲車で離脱というシナリオになるだろう。

 まて、ブラックホークダウンのようにヘリが墜落し、機械化部隊が道に迷ったせいで到着できなくなり、部隊は徒歩で脱出しなければならなくなるというシナリオに変わることもありうる。

 その場合の装備としては……。

 などとFPSゲームオタクらしい妄想に浸りだした時、ふとテーブルの上にある地方新聞が目に入った。

 例のヘリコプターの墜落の記事が小さく載っていた。

「……聡美」

 詩織に怒られないように小声で問いかける。

「なに?」

「ヘリの墜落原因、まだわかっていないのか? もう一ヶ月は立つだろ?」

「ああ、それ。エンジンに故障があったってことになるらしいよ」

「んな、馬鹿な。俺も再現CG見たけど、あんなに見事にまっすぐヘリが落ちるもんか。絶対、パイロットのミスだろ。ブラックホークダウン観ていないのか?」

「あなたの好きな戦争映画であたしが認めてもいいのはプライベートライアンだけよ」

「あんな偽善的な駄作、どこがいいんだか」

「パパ、しっ!」

 つい感情的になってしまったところで、また詩織が父親を叱った。

 今度はちょっと怒っている。

 娘の逆鱗にこれ以上触れないように、溝口は今度こそ完璧に口をつぐんだ。

 この話はここで終わったが、このヘリコプターの墜落事件については身近な重大事故として興味はつきなかった。

 溝口家のある市内では、つい一ヶ月ほど前に民間の航空会社に所属するヘリコプターの墜落事件があった。

 ある日の夕方、市内の上空からの様子を撮影していたヘリコプターが突然河原に叩きつけられるように落下し、炎上した。

 操縦者と同乗していたカメラマンが死亡、遺体は原型をとどめぬ程にバラバラになっていた。

 警察と消防は墜落の原因を調べたが、理由は不明。

 落下の寸前に同ヘリを目撃していた複数の人物によると、「まるで、自殺するかのようにまっすぐ地面に向かって行った」ということだった。

 ただし、操縦者は二十年のキャリアをもつベテランで、体調管理にも技術にも問題のない人物であることから、操縦ミスよりは整備不良のおそれがあると報告されていた。

 溝口には「やはり操縦ミス」としかいいようのない事故だったが。

 もっとも、例の置き去り事件が起こって以来、溝口にとってはヘリの墜落事故よりは娘の安全の方が大切である。

 そのため、事故のことはすぐに忘れてしまった。


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