-Episode:7「理の魔法技」-
家の離れにある道場へと辿り着いた俺達は、中心で向かい合っていた。
「真人、お前が守りたいってんなら。私ぐらいには勝って貰うぞ」
師匠は壁から取り外した二本の木刀の内、片方を俺に投げて身構える。
「勝負はどちらかが"参った"というまでだ。もしくは戦闘不能になるまでか。それ以外の勝敗は認めん」
「……分かりました。では、容赦なくいかせて貰います」
俺は木刀の先端を師匠へと向ける。
「まずはお前から先に掛かってこい。毎日手解きしてるからある程度分かってるが、本気でな」
師匠は手招きしていたので、俺は挨拶代わりにその顔面へと切っ先を滑らせる。
「舐めてるのか、お前」
そんな俺の太刀を彼女は合わせる事も無く弾き、そのまま力を変える事無く俺へと流した。受け継がれたベクトルをさらに俺は避ける。
「本気で来い、と言った筈だよな。……次やったら殺すぞ」
直後に俺の腹部に衝撃が伝わったかと思うと、床に転がされていた。
「ぐっ」
どうやら初手は様子見でやったらしく、倍の速度の連撃で殴られたらしい。
見上げた師匠は、冷たく陶器のような銀の瞳で俺を見下ろしていた。
「一回死ぬ手前までやってみるか。そうすりゃ危機感ってもんが芽生えるだろうしな」
「! 」
俺は只ならぬ殺気を感じ咄嗟に横へと転がる。避けるとほぼ同時に鈍い音が部屋に響いた。
つい先ほどまで俺のいた場所には師匠の木刀が突き刺さっており、床を突き抜けてしまっている。
立ち上がりながら、睨む。
「師匠、それ誰が直すと思っているんですか? 」
「ン、ああ。悪いな。まあそんなことより、いい加減本気を出せ」
「本気ですよ、俺は」
「舐めた事言ってんじゃねえぞ。お前の得意な"眼"を使ってねえ癖に、全力もクソもあるか」
「使って避けてますよ」
「ふざけるな。これくらい誰にだって避けられる! 」
喋りながら殴りかかってきた。いや、誰にでも避けれる訳がないだろ、これ。寸前でその刀身は空を切ったが、嫌な音が耳元を過る。というかバキって音おかしくないか? 普通空を切る音って、ブンとかサッとかそういうもんじゃないのか? 避けているはずなのに俺の肌が裂けていたりしていた。
「もっとスピード上げてくぞ」
徐々に常人の眼では追えない速度になっていく。刀の速度は音を切り、風を断つ。直撃したらただでは済まないであろう太刀の数々。
だが、俺の瞳はその動きを全て捉える。右斜め上右下左上正面下左右、あらゆる方向からの攻撃の流れを掴む。
所々に師匠はフェイントを加えてきたり、普通ならありえない曲げ方で斬りかかってきたりする。
だが、見える。全て見抜く。何をするかも、何をしているかも。
師匠の木刀を肩で弾き、そのまま脇腹へと木刀を叩きこむ。
「ぐっう! 」
痛みで表情を歪ませながらも、師匠は受けた衝撃をそのまま喰らわずしっかりと受け身を取る。しかも美少女?がしてはいけない酷く険しい表情をしながら立ち上がった。
「ふん……。やはりお前の"眼"は個人に対しては脅威だな」
「それだけが取り柄ですから」
「ちっ、餓鬼が。調子に乗るんじゃない。"これ"を避けてから大口叩け」
師匠は木刀を正面へと構える。
「はぁぁぁぁぁぁぁ………ッッ」
「………」
一見すると無防備だが、周りには鬼気迫るような威圧を感じる。手を出せば即座に攻撃が飛んでくるだろう。次の一撃に掛けるつもりだろうか。……まずいな。
「喰らえ」
長い前置きにしては随分しょっぱい、ただただ早い一撃が師匠から放たれた。
剣筋は一直線。当然、早いだけなら俺には見えている。が、
「……ふん、これくらいは避けれるのも当たり前だからな」
先程よりも深く、俺の身体を抉るように傷跡が残った。
「お前の"眼"はいいだけだからな」
師匠は笑みを携える。――そう、俺の"眼"は極端に良いだけだ。身体もそれに合わせて動ける訳じゃない。見えたとしても俺には師匠の攻撃は避け切れないのだ。弾けばいいのだが、弾きにくい面の当て方をしてくるので力をズラすという事が出来ない。受け止めれば、……恐らく力の差がありすぎてそのまま防御ごと床に叩き潰されるだろう。
「次、行くぞ」
今度は構えずに横一文字に斬りかかってきた。見える。が、避け切るのが遅く紫色の蚯蚓腫れが現れる。
「……次だ」
斜め一線。ただの力任せな技じゃない一撃が俺を襲う。今度は今までで一番早い、避ける事は出来ないだろう。けれど、俺もこのままやられる訳にはいかないのだ。
身体の機能を向上させるようなイメージをして、魔法を願う。
大よそ木刀とは思えないような音が道場に響いた。
「魔法か。そうだな、見えていても動けないというのは話にならんからな」
師匠は特に意に介する事無く、手を休めずに連撃し続ける。受けては流し、流しては返し、返しては受ける。それを時を忘れる位に音を鳴らし続けた。
「……ちっ」
少しずつだが師匠が防戦へと回っていく。当たり前だ、魔法を使うのと使わないのとでは雲泥の差がある。徐々に徐々に、師匠の身体に触れていく回数が増えていった。
「真人、お前私が魔法を使わないと思ってるな? 」
不意に出てきた言葉。
「………」
「確かにな。私は"絶対"と言っていい程魔法は使いたくない。大体の出来事に関しちゃ私は使うつもりも毛頭無い。けどな、"これ"に関しちゃ別なんだよ。――――お前、本気でみんなを守るつもりだろう? ……タチが悪い。過去の贖罪とか、いろいろなもんがお前の中にあるのかもしれねーが。何にそんなに怖がってるんだ、失う事か? 傷付く勇魔を守ってやれないとか。死ぬしかない桜を止める事が出来ないとか。死んだ途上藍の悩みに気づいてやれなかったとか。そういうのはお前が背負うもんでもねーだろうが。"守る"なんて言葉で着飾るな、お前のそれはただの勝手な逃げだ」
「……そんな事は無いです。俺は」
「なら、守って見せろよ。私みたいな化け物の力から、日向町以外の世界から、守ってみせろよ!!!! 出来もしねえ餓鬼が一丁前にでかい口を叩くなッ!! 夢希望なんてものは何も守れやしねーんだよ!! だから私はお前に剣術を教えた! せめて家族だけでも守れるようにな! 人間にはあいつらは重過ぎる。友達になるなとか、関わるなとかそういう事じゃねえ。……お前じゃ無理だ。私達大人に任せとけばいいんだよ、真人。魔王には私が言っておくから、途上藍からも手を引け」
「………」
師匠の言葉に、俺はつい数時間前の勇魔の姿を思い出す。いや、それだけじゃない。隣で見てきた勇魔の心を想い起す。途上藍の悲痛な顔を浮かべる。
「勇魔は、泣いてたんです。私の力が足りないから、助けられなかったって。勇者と魔王の子供っていう以前に、あいつは勇魔だったんです。一人の女の子だったんです。俺の、大事な幼馴染は泣いてたんです。キッカケは途上藍の再来でしょうが、あいつは滅多に出さない素顔を出してくれたんです。途上藍だってまだ俺には分からない事ばっかりです。でも、あいつだって苦しそうな顔をしていました。……ここで、下がったら男じゃないですよ。俺は、自分を曲げるくらいなら死んだ方がマシです」
「……そうかよ、そうか。そうかよッ!! なら、避けて見ろよ。これを、なぁ!!! 」
唐突に打ち合いをやめたかと思うと、師匠は半歩下がって構えた。そして瞬きをする間も無く、構えた木刀を上から振り下ろす。
刀身が、刀身が、刀身が、刀身が、幾多の斬撃が"同時"に落とされている。大よそ俺が魔法を使っても避け切れぬような範囲と、囲み方で。
「な……」
"眼"を使えば使う程に、一部の隙間も力の強弱すらも無い事を知る。恐らく、師匠が魔法で単純に物量と質量を増やしたのだろうが。
俺には、捌き切れない。師匠の魔法を打ち消すには、相応の魔力が必要だろう。
シンプルで、分かりやすい師匠なりの絶望の与え方だった。
「避けれないだろう? 何故ならお前は人間だからだ!! お前の魔力じゃ私の魔法を打ち消すことも、変えることも叶わない! これが、"差"だッ!!! 力の無いお前には、全部なんか守れやしねぇぇええええんだッッ!! 」
絶望した俺が参ったなどと言うとは一寸も思っていないだろう。だからこそ、潰しに来た。師匠の本気を持って俺を壊しに来たのだ。
俺には防ぐ事も受ける事も避ける事も触れる事も出来ないだろう。それだけの実力と魔力の差で上から踏みにじりに来た。俺には無い、剣術の才能と魔法の才能で。身体と心を折りに、お前には、
才能が、
無いのだと。
守るなんて言葉を、
呟く事すら駄目なのだと。
けれど、それでも、だが、どうしても、
俺は勇魔達を救いたい。気負うなと、苦しむなと、悲しむなと、隣で支えてやりたい。護ってやりたい。
少しずつ少しずつだが確実に迫ってくる暴力を見ながら、俺の心に一切の乱れは無い。むしろ、あの技を使うべく。心は一心に、一心に。壊れかけた時計をイメージする。
「――――――≪クロック・ゼロ≫」
そして俺は、呟いた。
直後、世界は壊れる。
俺の見ていたスローの世界よりも更に遅く、遅く、遅く遅く遅く遅く遅く遅く遅く――――――――――ッッッッッ!!!
動いているのか、動いていないのかも曖昧に。静と動の境界は混ぜられ、同一の存在へと変わる。時すらも動く事を忘れ、炎は揺らぐことも無い。
最終的に俺の知覚する存在全ての動きは、その存在を奪われたかのように止まっていた。
けれども、俺はその中を悠然と歩く。まるで何事も無いかのように、この世を支配してしまったかのように。
これが俺の技でもあり、世界でたった一つの魔法だ。
魔法は基本的には誰でも使える。だが、それでもやはり人には向き不向きな魔法も存在するのだ。
例えば料理を作る事が得意ではない師匠は、料理の過程や原理を知らないから料理に関しての魔法は得意ではない。
不向きを極限まで尖らしたのが理論上可能だが現実的ではない、人の生き死にだ。どちらも魔力さえ払えば可能だが、不可能さが高ければ高い程魔力は比例して倍になっていく。
だが、逆に。
得意でさえあれば、人は現実を越えた魔法を使える。決して少なくはない魔力の消費量だが、枠組みを壊せるのだ。
そうした魔法は"奇跡"を表す魔法技という呼称を付けられる。
俺の≪クロック・ゼロ≫もそうだ。
俺の"眼"は人とは違って物事全てを捉える事が出来る。目を凝らせば凝らすほど、どんなに早かろうが俺には遅く見える。けれど、それだけだ。
知覚は出来ようとも、俺自身も動けなかった。当然だ、俺はただ見ているだけなのだから。
俺にはその世界に辿り着ける程の力は持ち合わせてはいない。
だから俺はこの"眼"を恨んだ。見えているのに、見えているのに、見えているのに。干渉が出来ない、俺だけの世界を。
藍お姉ちゃんが死んだ時にも、見ているだけだった。無力を味わった。止められないこの世界を。
だが、ある時ふと考えた。
魔法は『そうぞう』さえ出来るのなら、何でも出来る。それならば、この狂った世界にも介入出来るのではないのかと。
毎日毎日毎日、人目を憚りながらも俺は訓練を続けた。
魔力切れを起こし血反吐を吐き、ついていけない身体が悲鳴を上げる。
それでも俺は力が欲しかった。勇魔や師匠や魔王に追いつくには、それしかないと思った。
一年では足りなかった。数年でやっと数センチ動けるようになった。十年で少しだけ理解した。十数年で数秒だけ戦えるようになった。
そうして俺は、やっと誰も動けない空間へと触る事が出来るようになる。
ただし代償として魔力をほぼ全て使うし、無理して動いているのだから身体は体感時間と共に壊れていくが。十分だ。
師匠の繰り出した攻撃を歩きながら弾いて避けて、ゆっくりと歩み寄る。一歩踏みしめれば踏みしめるほど、身体から気力が抜け出るのを感じた。もって後数秒ぐらいだろう。だが、勝てる。
「師匠、終わりです」
師匠の喉元へと木刀を突き立て、魔法を解く。時間の壊れた世界は命を取り戻した。
「チェックメイトです。師匠」
そう告げると同時に、俺の後方から耳をつんざくような破壊音が響き渡る。
「な!? お前、一体どうやって」
得意げにしていた師匠はその表情を一瞬だけ驚愕に染め上げ、すぐさま得心したようにする。
「………あぁ、そうか。それがお前の切り札か」
「そうです。時を壊す魔法、クロック・ゼロです」
「ははは! 時間に干渉する魔法か!! そりゃ無敵だな。そうか、そうか。素晴らしいよ、やっぱりお前は」
そこで一息ついて
「――――馬鹿なんだなぁ」
師匠の姿が、消え。
――ると同時に視界がくるりと一回転した後に、背中に衝撃が走った。
「一つ。お前のその魔法技は"任意"だな? てことはこういう不意打ちには弱い訳だ。二つ、お前はやはり人間だよ。息切れしている所と、今の攻撃を見切れなかった事から魔力の消費量は尋常じゃないと見た。―――三つ! 私は"参った"なんて言ってないのにお前は勝手に勝負を終えたと思い油断した。これがテロ構成員だったらどうするんだ? まさか殺す事が出来なかったから殺されました、なんて間抜けどころか阿呆みたいな事を言うんじゃあるまいな? ………お前の負けだよ、真人。降参させるまでも、戦闘不能にさせるまでも、無い」
「……ふざけないで下さい。俺はまだ終わっちゃいないです。師匠が今言ったでしょう、降参してないから負けていないです」
「ふん。まぁ良いが、死ぬなよ」
「≪クロック・ゼ―――≫」
「わざわざ演唱させると思う、のか? 甘えるな……ッッ!! 」
「ぐ、が……ッ」
木刀で殴られ床に転がされる。
「お前の魔法技、一度キリの切り札だったんだろう? 身体がボロボロになっているのが分かるぞ。――私の、勝ちだ」
師匠は倒れて仰いでいる俺の顔へと切っ先を突きつけ、勝利宣言をしてきた。天井からの照明が彼女を照らしていて、妙に大きく感じる。けれども本人の表情は俺の予想していた勝ち誇ったような顔ではなく、悪戯を終えた下卑た笑みだった。
「ははは、勇魔。こいつの覚悟はこんなもんだったが、どうだ? 」
突き立てた木刀を肩へと担ぎ、師匠は道場の入口へと顔を向ける。
そこには勇魔が立っていた。しかも頬を染めるとかいうそういう次元ではないレベルで顔を真っ赤にして俯いている。
「な? なんで、勇魔がここに? というか何時からいたんだ? 」
「……………………」
何か喋ろよ。
「勇魔は私達が縁側で喋ってる時に来てたぞ、勇魔が手にしてるのはお前のタブレットじゃないか? 大よそ、忘れ物を届けに来たんだろうよ。……ククク、雰囲気が物々しかったから入れなかったみたいだがなぁ」
師匠が満面の笑みで答える。妙にいやらしく、含みのある表情で。もしかしないでも、狙ってあんな雰囲気にしたのだろうか? ……師匠ならやりそうだ。
「師匠は俺じゃ勇魔を守るのに役不足だから怒っていたんじゃ? 」
「確かにお前は力不足だろーよ。……けどまぁ、いいんじゃないか? 大事なのはお前に意志があるって事だ。誰に阻止されようと誰に負けてようと成し遂げられるならそれは立派だと私は思うぞ。それでも駄目なら今以上にもっと強くなれ、想像力を働かせろ。魔法の力は有限じゃない、奇跡は出来なくとも、奇跡を行えるだろうよ」
「師匠……」
「人の恋路を邪魔するほど野暮じゃないんでねぇ。クククク、良かったなぁ勇魔、こんだけ真人に愛されて」
「ば、ばかにゃこと言わないで下さい」
「ハハハハハハハハッ! あーあ、強くなったなぁ真人も。私の力だけじゃ勝てないぞ」
「………」
師匠は本気だったが、切り札は出してはいなかった。あの師匠が『魔法技』を持っていない訳がない。意図的に俺の全力を出させる形で、手加減されていたんだろう。
それに、今の試合にしても俺は最後には負けていた。最初から負けていて、最後にも負けた。……それだけの、実力差があった。
笑う師匠と顔を真っ赤にして俯く勇魔を見ながら、俺は自分の実力不足を痛感した。