-Episode:5「勇者と魔王のチカラ」-
亡霊だったはずの少女に、俺はいつの間にか溜まっていた唾を飲み込み、話し掛ける。
「…………久しぶり、か? ……"途上藍"」
そう俺が名前を呼ぶと、途上藍は少しだけ顔を顰めた後に苦笑いした。
「久しぶりやなぁ。確かに、久しぶりや。新崎と会うの、ほんまに」
声は最後になる程少しずつ低く、萎むように落ちていく。彼女であるならば似合わない口調だった。どうしてか、そんな事は分かり切っている。俺が、"途上藍"と呼んだからだ。だから彼女は俺に分かるような悲しみ方をした。
分かっていて俺は、無視する。
「どうしてまたこっちに来たんだ? 」
「あはは、乙女の秘密やそこらへんはな。すぐに聞いたら面白くないやろ? 」
彼女は悪戯っぽく笑い、花を咲かすように明るく続けた。その笑顔の影は深く刻まれながら。影は、昔よく一人でいる頃に見ていた物にとても似ていた。
「―――ていうか。えらい、冷静やな自分。もう少し驚くもんやと思ってたねんけど」
「……ある程度は色々予想してたからな」
予想、予想していた。途上藍の名を語るからには、魔王が寄越してくるからには、何かしら藍姉ちゃんに関係する事なのだと。
けれどまさかここまでの事とは考えてはいなかった。せいぜい、姿形だけだと……。いや、姿形すらも、似ていないと思っていた。
「"途上藍"、これを返すぞ」
俺は自宅の鍵に付けている熊のキーホルダーを外して渡す。当時俺が藍姉ちゃんから貰っていた熊のキーホルダーは、当に色褪せていたが未だ身に着けていた物だ。外出の出来ない彼女が父親から貰った物だと聞いている。
「…………まだ、持っとったんやな」
「……」
途上藍はキーホルダーを胸へと持っていき、握りしめる。
「新崎、うちは捨てても構わへんって言ったよな。……いなくなるかも知れないって、言ったよ、なぁ」
「…………」
捨てても構わへん、か。確かに、藍姉ちゃんにそういわれた。当時は意味が分からなく、後になって解かった事でもあるが。
こいつは、いや、"途上藍"は藍姉ちゃんの事を知っている。それも、本人でしか知りえない事まで。
本物かどうかはともかく、ここにいるのはあの頃の途上藍なのかもしれない。けれど、もしそうだとしたら、昔の彼女に会えて喜んでいいのか、怖がった方がいいのか、不思議がった方がいいのか、解らない。
一生不可能な邂逅をしたのに、笑う事すら出来ない。
きっと、俺も彼女も分かっているのだ。
素直に感じるには、お互いの事情はあまりにも違い過ぎるのだと。
だから、俺は途上藍として接したし、途上藍はその対応にすぐ気付いて、苦笑いをして答えた。心の距離を置いて。
俺の中の藍姉ちゃんは死んでいて、世界はそう出来ている。
……けれど、俺は純粋に彼女の事を知りたいと思った。彼女が"途上藍"だとしても、違ったとしても、だ。魔王から頼まれたから、というのが発端なのだとしても、この気持ちは嘘では無いのだろう。
「それで、新崎が聞きたいって事は終わったん? 」
「俺が聞いた所でお前は答えないだろう」
主にお前が死んでいる筈だとか、何で生きているんだとか、その他色々聞きたい事しかない。
「んー、分からへんで? っていう訳にもいかへんしなぁ……。うちにだって答えれない事が多いというか答えれない事しかないしなぁ」
途上は右手を顎に添えて、うーんと唸る。その仕草一つとっても今日会った頃の"途上藍"とは一切似ていない。むしろ、こちらの方が自然体にすら見える。
「そや、一つだけ答えれる事があるで。うちらがここに来たのは、勇魔ちゃんの力を手に入れる為や」
「……………………は? 」
あまりの事で一瞬言われた意味が分からなかった。それは、答えてもいい事なのだろうか。いや、駄目だろう。
「おい……、それは、どうなんだ」
「どうなんだって、どういう意味やねん?」
「駄目だろう。なんか、いろいろと。こういう空気でいう事でも無いだろうし、もうちょっと俺とお前が親しくなってからじゃないのか? それは……」
「ええねんええねん。うちは隠し事出来る性格やないし、勇魔ちゃんも知らんうちに何かされたくないやろ」
「…………」
真面目にしていた空気が一気に緩んだ……。
そういえば藍姉ちゃんには確かにそういう茶化すというか和らげるような言動や行動をしていた。今の今まで忘れていた、……というよりは忘れようとしていた事だったんだろう。
「変わらないな、そういう所は」
「んんん? せやろか? ……まあ、うちはうちやし。元がこっちで気が弱っていたのは病弱なせいや。気にせんでええで」
絡み辛え上に激しく面倒臭い。
「ははは、あはははは! 懐かしいなあその困り顔、何て答えてええんか分からへんって表情しとる。それ見るの昔から好きやったなあ」
「…………」
こいつかなりぶっ飛ばしたい。
「でもな、冗談やないで」
途上は笑いながら、俺の瞳をしっかりと見据えていた。その瞳は一時間前の物とは真逆の、意思しかない覚悟に塗りつぶされていた。いや、……覚悟せざる負えないような、強迫観念に駆られているような悲しさを奥底に仕舞っているように見える。
「必ず、必ずや。うちらは朝倉勇魔の力を手に入れる。強大な魔王と強力な勇者の力、それだけあれば一個人なんて簡単に救えるやろ? 」
声は震えていた。まるで、そうだと信じたいかのように。嘘だとしても、突き進むしかないかのように。
「……新崎だって、欲しいやろ。勇者と魔王のハイブリッドの力」
「……は? 」
「世界全てのどんな願いすら叶えられる、膨大な量の魔力を持つあの子。うちは欲しい、欲しいんや。魔王や勇者だけじゃ足りへん、理を変える力や」
途上は口元を歪ませながら、こちらへと視線を移す。その眼には揺れる信念と崩れ落ちそうな常識だけが残されていた。
「途上、お前」
「うちは、出来る限り手荒な真似なんてしたくない。けどな、時間はうちらを待ってくれへん。……だから正々堂々言わせて貰ったで。時期も場所も何も間違えてへん、これはうちらなりの覚悟や」
「ふぅん、ずいぶん面倒くさそうなことになったわね」
太陽のない空より黒い髪と下手な金の財宝より輝く金髪の髪を揺らしながら、勇魔は少し嗤う。整った顔立ちには似合わない、下卑た笑いだ。
俺はあの後途上に別れを告げ、勇魔へと電話を掛けると「とりあえず私の家に来なさい」と言われたので、こうして勇魔の部屋で座っている。
勇魔の部屋は凶暴な性格と打って変わってメルヘンちっくに構成されており、うさぎのぬいぐるみを抱きかかえピンクのベッドに座っている勇魔がシュールだ。たぶんその事を呟くと間違いなく勇魔にぶん殴られるので、黙っているのだが。
勇魔と違って床に座布団を敷いて座っている俺は見上げる形で、微妙にスカートの中身が見えそうで見えない。
「…………勇魔は、どう見ている? 」
「一口に言っても幾つもパターンはあるわよ。蘇生、代替、依代、転生、とかね。そもそもあの時本当は死んでなくて、実は生きていたなんてあるかもしれない」
「死んでいなかった、なんてことがあるのか? 」
「分からないわ。クソ親父は特に何も答えてくれないし。…………でも、蘇生はそもそも"生物"には不可能だから多分違うわね」
「それはまだ決めるには――」
「ないわ」
勇魔は俺に目もくれず薄く口元を曲げ笑う。自虐するかのように。
「魔法は、"奇跡"なんかじゃない。そんなの、新崎が一番分かってるじゃない」
そしてそのまま壁に置いてある時計を見上げる。
「死んだ人間は、生き返らない」
時計の針はちくたくちくたくと、体を休めることなく動かし続ける。
「時間は戻らない」
丁度六時になったのか、今の現代において似つかわしくない重音が部屋に響いた。
「ありえない事は、起こせないのが『魔法』よ」
勇魔は視線を俺に合わせて、一瞬だけ視線を落とした。再び見上げた黄色と黒の瞳には後悔の念が滲んでいる。
「私達の魔法は、人の『そうぞう』で生まれているの。想像、創造、どっちでもいいのだけれど。魔力を込めて意識する、それだけで何だって出来る。そう信じられているわ」
勇魔が右手だけで人形を抱え、空いている方の掌を俺の前に差し出す。その上に黄土色の炎が沸き上がった。炎は僅かながらにゆらりゆらりと揺れ、不安定に存在を誇示している。
「想像できるのなら、ね」
そして勇魔は炎を握りつぶす。まるで何も無かったかのように、意図もたやすく。消えた際に出るであろう煙は一切として拳の隙間から出ない。
「私達は"死んだ人間"が"生き返る"なんて想像出来る? 出来はしないわ。どんなに狂っていたとしても、常識を知らなくても、私達は"死"という物を直観的に理解しているから」
再び開かれた掌には何一つ残っていなかった。透き通った肌に焼け跡は無く、鼻にくるであろう少し焦げ臭い匂いすらしない。
「不可能さを本能的に理解すればするほど魔力の消費は桁外れになるわ。……それこそ、私達勇者の血族や魔王の血族でも不可能な程に。―――それくらい、新崎は分かっているはずよ。誰よりも私の力が欲しくて、誰よりも私が憎くて、誰よりも……」
「よせ、俺はそんな事が聞きたい訳じゃない」
俺は話の途中で立ち上がり、掌を呆けるように見つめる勇魔の肩を掴む。すると思った以上に勇魔は力を入れていなかったらしく、そのままベッドへ押し倒す形となった。
波紋が広がるように勇魔の髪が分かれていく光景は綺麗で。心が弱っているせいでいつもと違う勇魔も、息を一時止めてしまう程綺麗だった。
けれど、それ以上に。
勇魔の悔やんでいた姿に俺は声を掛けれなかった。
「だって、そうでしょ。私には誰も救えないって、誰も、救えないって。何が、勇者と魔王の子供よ。目の前で救いたい人を何度も見てきたわ。でも私には助けられない。ごめんね、ごめんなさいって、言って苦痛を和らげたりする魔法を掛けるだけ。『藍お姉ちゃん』だって、『新崎の妹の桜ちゃん』だって助けれないのよ……」
「………」
「……"蘇生"をしようと思えば私の力と命を使えば、或いは出来るのかもしれないわね。だって、命と命は等価だもの。……それをするには膨大な魔力を必要とするんだろうけれど。―――でも、私は出来ない。死ぬのが、怖いから。死ぬのが、……怖い」
涙をぽろぽろと流す勇魔。
そんな事、当たり前だろう。死ぬのが怖くない人間なんているのか。
けれど勇魔にとってそれは魅惑の誘いだったのだろう。彼女は俺と同じくらい、それ以上に藍姉ちゃんに浸っていた。自殺したあの日から、こいつは何度も何度も頭を過ったに違いない。
俺の妹の桜も、正体不明の病で今床に伏せている。健康体な筈なのに、刻一刻と身体が弱っていく。ゆっくりと心拍が止まってきている、朝目が覚めたら死んでしまっている。なんてこともあり得るかもしれない。
出来る出来ないではない、選択肢があるのが問題だった。"もしかしたら"は、希望を持てば持つほど落ちた時に地獄を見る。
この魔法町は、希望であると共に絶望を味わう処でもある。少しでも改善策があれば病気などは治せるが、一切不明の原因に対してはどうしようもない。不可能を可能にすることは出来ない。
だからこそ勇魔はいろんな地獄を見てきた。救ってきた人以上の悲しみを一心に受け、夢を潰されてきたのだ。見えない死人からの罪と罰を"心"で受けてきた。勇魔は直接関係なんて無い事の方が多い、それでも彼女はこの世界で"唯一"救えたかもしれない存在だった。
途上藍の再来は、そんな苦しみを抉るような出来事だったのだろう。日常では気丈に振舞っていても、忘れることは出来ないから。
どうしようもなく不器用な勇魔を見て、俺は彼女を引っ張り起こし抱いた。彼女の身体は柔らかく本能をくすぐられる匂いがした。
「俺だけはお前の味方だ」
「……馬鹿ね。馬鹿よ、馬鹿」