-Episode:3「ただひた隠しに」-
俺と途上は女性の意識がある程度覚醒した事を契機に一階のフロアへと戻っていたのだが。
「本当に申し訳ありませんでした!! 」
謝られているこちらが萎縮してしまいそうになるくらいに、深々と頭を下げる受付の女性。そしてその体は小刻みに震えていたが、恐らくそれは後悔の念が強いからという事だけではない。
「……」
やや俺達の輪から離れるようにして佇んでいる黒服のスーツに身を包んだボディーガード風の男。こいつがいるからだろう。
「あ、あの、その。わ、私…。その。えと、あの…」
女性はというと、筋肉をガッチガチに凝り固まらせ、脳内に浮かんだ単語を一生懸命全て吐き出そうとして、ついさっきまで真っ赤だった顔を真っ青にしながら口早に答えようとしている。お陰で断片的な情報こそは分かりはするものの、はっきりとした事情が聞き出せないでいた。…駄目だな、これは。
「深呼吸」
「え、え? 」
「してからだ」
「は、はい」
言われるなり女性は「すぅー、はぁー。すぅー、はぁー。すぅー、はぁぁぁー…」と深呼吸を済ませた。
そうしてようやく落ち着いたのか、女性は深呼吸前に比べて幾分か興奮が冷めた様子で語りだした。
「さきほどお客様をご案内した後に、お腹をすかせた私は一旦休憩室へと戻らせて貰い、置いてある冷蔵庫から献血したての血液が入ったワインボトルを取り出しました。そしてそのワインをそれはもう堪え切れなかったのでゴクッとコップに注がず一気にご馳走になったんです…。そしたら…」
「そしたら? 」
「頭が呆けてしまって、気がついたら、ああなっていたんです」
「……それ、単純にワインを飲んだけじゃないのか? 」
「あっ、……いえ、それはそれでありえないんです。きちんと献血用と書かれていたシールが貼られていましたし、何より私達は業務用にワインを置くことはあっても、休憩室にアルコールの入った物は持ち込んだりしたりしません」
「その業務用が置かれていた可能性とかは……」
「それも無いはずなのです……。きちんとそういった専用のお部屋もありますし……」
だとしたら、一体誰が何の目的で?
「まぁ、良かった。こっちには特に被害なんてないしな」
被害という被害といえば藍の部屋が粉塵が舞うくらいにゴチャゴチャ破壊された事ぐらいだろうか。それでも怪我をするよりは遥かにマシだ。
「すいませんお客様方、こちらの不手際で、なんて申し上げたらよろしいか……」
「いや、いい。俺としてはある意味美味しい思いさせてもらったし、どっちかというと途上の方が」
「…………あ、……大丈夫、です」
先程までのテンションと打って変わったようにモジモジと俺の背後に隠れたまま喋る途上。……いや、どんだけだよ。
「すぐにお部屋を治させて頂きますので、お帰りになられる頃には元のお部屋になられていると思います。……治すのは私ではないのですが」
「………」
治すのが、という気になる単語が出てきたが、それはそれとして、彼女が治せないのは後ろのムキムキマッチョメンがこれから取調べを行うからだろう。
「あ、後。お客様、これを」
そう言って女性が手渡してきたのは、『アミューズメント市民プール入場券』といった物だった。……、市民プール、なのだろうか? どっちだ。
「住宅街の外れに出来た新設のプールがあるのですが、そちらの方の入場券を友達から頂いていたので、お客様方でお楽しみになられてはどうでしょうか。ご迷惑を掛けたので……」
俺と途上のそれぞれにそのチケットを手渡してくる。と思ったら、俺にだけやたら多い枚数のチケットを渡してきていた。その数ざっと8枚ぐらいだろうか。しかも使用期限はたったの一日当日限り。たったの一日、と、う、じ、つ、限り。その日以外使えないのだ、過ぎてしまえばただの紙くずになるのだ。
「………………」
「……、余って、しまったので、貰って頂けは、しないでしょうか?」
「…………………………………」
「お、お願いします」
「ありがとう……」
何故か貰ったのに嬉しくない。勇魔などと一緒に行けばチケット使い切る事は出来るのだろうが、なんだろうか、この在庫処分を任されたような複雑な気持ちは。
「それでは、私はこれで……」
そういって受付のお姉さんは俺達の元を離れ、後ろの方で待機していてくれた警察官の方へと小走り気味に歩いていった。
「さてと、俺達は『新入式』に向かうとするか」
「……はい」
途上の方はあからさまに浮かない態度で返事をしていた。
1
「――で、お前は。何の用なんだ? 」
紺色に近い配色のカーテンから漏れ出す淡い日差しを背中に受け、黒々としながらも染みどころか皺の一つすらない新品同様のスーツを着こなした"私"のパパが、腰元を据えればいつの間にか寝てしまった程の柔らかさを誇る椅子に腰掛けながら"私"に尋ねてきた。
「聞きたい事があるの」
「ん? 珍しいな。俺に物を頼むなんて、お前らしくない」
「いいから――」
――その下種笑いもやめて。とまで言いかけた所を、飲み込む。どうせ、分かっていてパパはやっているのだろう。そして不機嫌そうな顔をしている私を見てニヤニヤしているに違いない。というか現にニヤニヤしている。腹立つわね…、殴ろうとしても避けるだろうし……。
「……パパ、今年編入してきた新入生の途上藍って子。何でまた新崎に?」
「何だお前、新崎の事が気になるのか?」
「………。真面目に聞いてるの。パパ? 分かる? 」
「真面目に答えてやっただろう? 」
絶対真面目じゃないわね。ニヤニヤどころかニマニマまで進化してきているし…。
埒があかないので私は回りくどい言い方をせずに、本題を切り出す形で話し始めた。
「……。この魔法学校にやってくる新入生は全員"厄介"持ちで、そしてその厄介持ちでも別格なのをああやって特別枠として扱う事もある。…それが途上藍に当てはまるっていう所までは理解出来るわ。でも、何で一般人の新崎にその扱いを任せたの? 」
「そりゃあ気分だ」
嘘だ。いくら身内、それも家族とはいえ絶対に任せる訳がない。むしろ、家族だからこそ時として"危険"にもなるであろう仕事を任せないに決まっている。
「これまでは私やパパを含めた『異界』関係者がその特例者を任されてた。こっちの人達を巻き込まなければ、私達『異界』の人の責任。っていう事で済むから」
あくまで全てがそういった事で解決出来る訳ではない。だが、罪を背負うのは私達だけに収まるようには出来る。
「でも新崎はれっきとした『こっち』の人間よ? いくらパパが阿呆で馬鹿で野蛮で無茶で唯我独尊だとしても、ちゃんと考えてくれてるのは知ってる」
するとパパは、まるで用意していたかのように言葉を並べた。一番聞きたくない、大人の都合のような、理屈だけを込めた言葉の羅列。
「んー、まぁ。そりゃあれだ。あまり身内だけで処理していくのは今後を考えるとあんまりよろしくないと思ってな。今回みたいに段々輪を広げてやってかねぇと、人間いつ死ぬか分からねぇぞ? そうなった時の事を考えての処――」
「――もういいわ。分かった。何を考えてるのかは知らないけど、そういった揉め事に"私達"を巻き込まないでくれればいいわ! 」
答えるつもりなんてないらしいパパを相手しているぐらいなら、もう、ここを出て行って様子なりを見た方がまだ良い。
私はパパに一瞬だけ睨みを効かした後に、踵を返して茶色のドアを破壊するぐらい強く開閉して部屋を出て行った。それでも、やはり後ろの気配の様子が変わる事は無かった。
「パパの、馬鹿」
踏み心地が良い、という変な感想しか沸かないカーペットを踏みしめながら、廊下を歩き続ける。瞬間移動の魔法を使えば一瞬で別の所へ行けるのだけれど、それほど集中出来る心持ではない。例え出来たとしても、今の自分としては何かに当たらなければ気がすまない程苛立っていた。腹が立つ、その一言に尽きる。
「……? 」
ブブブ、と生徒用に配布されているタブレット端末がバイブ音を発しながら小刻みに揺れた。入学と同時に渡されて結構使い心地がいいので自分の好きなようにカスタムしているそれは、電話とは違うメールなど特有のリズムを鳴らしている。苛立ちが一瞬だけ先行したが、気を落ち着かせつつタブレット端末のホーム画面を開く。
「これ…」
途上藍に関するプロフィールがある程度乗っているファイルが送られてきていた。それも、差出人は朝倉淳ときている。メアド拒否などしたはずなのに……。それ自体は今回の出来事とはまったく関係ない所でだけれど。
「掌返しならぬ意趣返しもいいとこよ」
愚痴るように指で画面をスライドさせながら、テキストタイプにされた情報を覗いていく。――体重、身長、バスト、などはもちろん履歴から学校に来た際の志望内容を。
「…………………」
うん、やっぱりあいつ殺そう。その方が世界の為にとっても良いだろう。
「あのクズパパは後でぶっ殺しておくとして」
なんで乙女の秘密三原則のうち全部載ってるのよ、確かにプロフィールとかだから載ってるのは当たり前だけど、それにしたって何でパパが全部普通に見れるのよ。ここは同じ管理者でもあるお母さんだけが見れる配慮をしているはずなのに。まぁ……、それはいい。志望内容や履歴なんて"そんな些細な事"はどうでもいいの。どうせ、私達の"秘密"には関係無い。
「――――………載って、ない」
いくらどこを探してもやはり載っていない。彼女が、途上藍のありとあらゆる記録が載っているはずのに。肝心の知りたい内容が、いや、そうであるだろうと確信出来る裏づけがまるで最初から無いかのように書かれていない。或いは、"意図的に"書いていないのか。
「途上藍、あの子は一体誰なの……」
その名は、私の知る人物。それは私の知る罪。それは、私達の、記憶。途上藍は、"過去"でなければならないのだ。今にいてはいけない。
―――本物の途上藍は数年前に死んでいるのだから。
2
『新入式』の式場である学校へと向かう為、俺と途上藍は歩き続ける。どちらかというと俺がやや途上よりも前へと半歩早く、途上がそれに追従するような形であるが。……それにしても途上のこの身の変わりよう。いや、ある程度は予測がつくのだが。対人恐怖であるからこそ、自身のサークル内に入った人間には極端に甘えたり人格が変貌したりする。……まあ、正直ありきたりな範囲内で済んで良かった。これが札付きの悪だとか、面倒臭い方向でなくて。
「…ところで、に、にい… ―――さん、…です、よね? 」
「新崎真人だ。何か微妙に最初の頭文字だけ当てて他を濁らせて強引に名前を呼んでる風に言うのやめてくれ」
地味に「兄さん」って呼んでるようにも聞こえたので少しだけ嬉しかったが。決して妹フェチでは無い。というか今の呼び方、こいつもしかして俺の名前覚えていなかったとか? ……ありうる。
「…す、すいません」
途上は先ほどとは打って変わって鈍く濁った藍色の髪を揺らしながら、少しだけ気まずそうな表情で謝る。
「まぁそれはいいんだ。問題なのは新入式が後少しで始まるという事なんだが……、このままだと遅刻は確定しそうだな」
「…すいません」
「謝る必要は無い。ついでに言うと、簡単に謝る癖をつけるな。そういう癖は価値観を決める」
「………ごめんなさい」
しまった、つい必要の無い事を言ってしまった。
未だ学校にすら到着していないのに、重苦しい空気が流れる。朝風といえば涼しく清清しいものであるのに、今ではその逆を担ってしまっていた。主に俺の所為なのだが、このままではあまりよろしくない。この町の印象的にも、途上の極端すぎる人見知り的にも。
「なあ、途上。この町はどうだ? 住みやすいか? 」
「……はい。私のような、人でも、……とても住みやすいです」
なんてネガティブ発言なのだろうか。相手を持ち上げつつ自分を下げているのは別にいいのだが、下がる元の位置がいわゆる普通のラインなのでマイナス方向に振り切れてしまっている。これは俺が余計な事を言ったからなのか、いや、恐らく途上の元からの性格なのだろう。難儀な性格だと思うが、魔王に頼まれている以上、根気よく付き合うとしよう。
「そうだ、途上。前の学校はどんな感じだったんだ? 俺は日向町から出た事が無いから、普通の学校という物がよく分からないんだ。聞いてる限りじゃ大して変わらないらしいが、そこの所どうなんだ? 」
「…………」
会話が成り立たたない、というか、途上の顔に先程よりも大きな影が差し込んだようにも見えた。もしかすると話題のチョイスが悪かったのだろうか、確かに俺はよく勇魔や色々な奴からデリカシーが無いと言われる。……それにしても、"学校"という言葉に反応していたのは確かだが、さて。
「俺達の学校は変わった奴らが多い。どこかネジが飛んでいるというかなんというか、それでも十分楽しいんだけどな」
ぴくり、とやはり"学校"という単語が出た直後に反応していた。やはり、そういう事なんだろうな。
「途上、お前―――」
「あの……」
俺の言葉に被せた途上は、引き笑いのような苦々しい笑みを浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「もう……、十分です。ここを真っ直ぐに行けば……、学校なんですよね」
「あ、ああ」
十分、です。その言葉には何かを推し量る事の出来ない重みがあった。カラカラに堰切らして、何度も言いなれたかのような、悲しい重さ。途上の瞳には誰にも期待していないという疎外感からの絶望というよりは、期待して裏切られて裏切られたかのような黒い、濁った嫌な色が滲み出ていた。俺が心底嫌っている、理不尽に諦めた意志。
「……道案内、ありがとうございました。これからは、独りでも、大丈夫なので……」
「………」
独りでも大丈夫。なんて簡単に言葉に出来るのだろうか。普通の人間は一人で大丈夫、なんては言わない。人間は一人でいられるほど、強くないのだから。希望を持つにも、明日を夢見るのにも、未来を思い描くのも。
「…魔王さんにも、…私の方から、…言っておこうと思います。…私は一人ででも大丈夫、だと。…ですので、…新崎さんが気に病む必要なんて」
くそったれな、感情を滲ませている。どうしもうもないんだって、泣き寝入りするかのような。それだけ言うと、途上がペコリと会釈をする。その際にしっかりと手入れされているのだと一目で分かる藍色の髪がふわりと揺れる。そうして顔を上げた途上藍の表情は、張り紙よりも酷い笑顔をしていた。
「………」
ああ、何となく分かった。俺はきっとこいつの事を放っておけない。魔王が寄越してきた時点で相当きな臭いのだろう、困難を極めるのかもしれない。だが、それでも、それ以上に、助けになりたいと思ってしまったのだ。
こちらを振り返る事無く途上はゆっくりと独りで歩いていこうとする、俺は、その手を
「―――ふざけるな」
掴んだ。
「…え? 」
完全に予想外の行動であったのだろう。意識にない出来事が起こって、間の抜けたような声を洩らしながら、振り返ってきた。
「なぁ、途上」
「…は、はい」
「お前がどんな道を歩んできたかは知らないし、昔の事はどうしようもない。道は戻らないし、過去は変わらない。でもよ、そうだとしても、諦めるな」
「………」
「独りが良いって言ったな。独りなら大丈夫だって、言ったよな。独りで大丈夫な奴は、そんな事すら言ってくれないんだ。勝手に終わらせて、気付いた時には片付けてる。途上、お前は違う。独りでいたいんだろうけど、独りにはなれない奴だ。現実から目を逸らして、嗤って過ごすような人間を俺は知っている、迎えた最後を俺は知っている。俺はお前の言う事を認めない、"諦める"奴を絶対に、だ」
「………」
「…ありがとう、ございます。…でも、私は、駄目な人間です。…あはは、こんなこと言っても、…仕方が無い、のですが。…駄目な、人間、なんです」
「俺が決める事だ、途上が駄目な人間かどうかなんて――」
「駄目な、人間なんです……!! 」
先ほどの意思表示とは打って変わって強く苦しく絞りだしたかのような声を出しながら、俺の掴んでいる手を両手で包み込んだ。
「…だから、お願い、しますっ。……もう、放っておいて、欲しいの、です」
懇願にもにた頼み事に、俺は思わず腕の力を緩めてしまった。
「…あ、ご、ごめんなさい。……すいません」
その俺の表情を読み取りながら、緩んでしまった力の意味を理解してしまいながら、途上藍はそれでも笑う。違う、違う。そういう、事じゃないんだ。
「…先に失礼しますね」
逃げるように走り出した途上。その後姿を見ながら俺は、追いかけてやる事が出来なかった。誤解を解くべきなのだが、それでも、俺の脚は動かずに。
「…くそ」
やるせない気持ちを抑えながら、俺は学校へと歩き出した。
暫く今後について考えながら歩いていたら、途上藍が壁に寄りかかりながら立っていた。こちらに気付くと、やや恥ずかし半分、後ろめたさ半分の苦笑いで。
「…すいません、道に迷いました」
「……おい」
一本道なはずなのだが……。というか脇道さえ入らなければ真っ直ぐ……。