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母性愛

作者: 山中幸盛

 幸盛が住む愛知県海部郡蟹江町は、一昔前までは水郷として知られ、四十年ほど前に埼玉県の釣り好きの叔父から「全国でもヘラブナ釣りで有名」と聞いて納得したものだ。

 ところが現在では見る影もない。第二十四代内閣総理大臣加藤高明の母の実家があった関係で、高明は三歳から十一歳ごろまで蟹江町須成で育ち、伯父さんと蟹江川で泳ぎ、魚を捕まえ、しじみを捕って遊んだと伝えられているが、現在の蟹江川でそんなことをすれば気が触れたと思われるだろう。

 また、あちこちに在った大小の野池のほとんどが埋め立てられて家屋や娯楽施設が建ち並び、網の目のように走っていた用水路の多くも埋め立てられ、蟹江川はむろんのこと水路はすべてコンクリートで護岸化されて、場所によっては暗渠化し歩道になっている。

 つい昨年も、JR蟹江駅のすぐ北側に大きな池があって、何匹もの大きな亀が泳いでいる様子を名古屋行き電車を待つ間プラットホームから容易に見て取れたが、駅開発とかであっという間に車ロータリーに変わってしまった。


 幸盛が中学生の頃はまだ水田や野池が多く残っていて、用水路ではフナがよく釣れた。田植えの頃になるとウシガエルがやかましく鳴き叫び、田んぼで捕まえた小さなカエルを釣り針に刺して餌にし、水辺の葦の間に潜む大きなウシガエルを釣って町内の蒲鉾屋に売りに行ったこともある。

 カエルを餌にして、といえばライギョ(雷魚)もよく釣れた。ライギョはまれに一メートル以上にもなる魚なので、専用の太いサオと太い糸とごついイカダ針が必要だった。ライギョには上鰓器官という空気呼吸器官があるため、水面に浮上して空気呼吸を行う姿をよく見かけた。食性は魚類や両生類、昆虫や甲殻類などを捕食する動物食性だから、カエルを針に刺してそれで水面をペタペタ叩いていれば、アホなライギョがガバッと食らいついてくる。

 今、ライギョについてインターネットで調べてみると「その親魚は雌雄ともに卵および仔稚魚を保護する」とあるが、中学生の幸盛にはそんな知識はまるでなかった。しかし現在では心の底から納得している。中学生の幸盛の目の前で「保護する」実態を目撃したことがあるからだ。


 そうなのだ、最近いろんなマスコミで児童虐待が話題になっているが、魚の種類によっては、その親たちは子供を育てるためにかいがいしく世話をする。例えば、トゲウオはオスが巣づくりをし、お腹の大きいメスを誘って巣のなかに産卵させ、卵はオスが育てる。オヤニラミは葦に卵を産みつけ、オスが卵を外敵から守り、新鮮な空気を送ってやって孵化まで守る。ティラピア・ニロチカのメスは卵を口のなかで育て、卵が孵化しても、少し大きくなるまで口のなかで育てる。

 また、レッドジェル・フィッシュというアフリカ産の淡水魚やスパイニーダムセルというスズメダイの一種は、子育て中は孵化した稚魚を守るために自分よりはるかに大きな魚にも向かっていく。まったく、きょうびの人間社会の児童虐待の親どもに、彼らのえらの垢でも煎じて飲ませたいものだ。


 中学生の幸盛がある日、釣りザオをかついで近所の用水に行ってみると、体長が二、三センチほどの小魚が大群を成して泳いでいるのに遭遇した。ライギョの体にはニシキヘビそっくりの斑文があるので、その小魚がライギョの幼魚ということが一目で分かった。初めて見る光景に胸が躍り、本能的にタモですくいたくなって急いで家に戻ってバケツとタモを持ち出した。当時はまだコンクリートで護岸化されていなかったから、足を滑らさないように注意して、葦の間からタモでその群れをすくおうとした。と、その時、突然巨大なライギョが水上に躍り出て、大きな口をガバッと開いてタモの柄を握っていた幸盛の右手に噛みついてきたのだ。

 ギョギョギョッ、驚いたのなんの。カエルで水面をペタペタ叩けば反射的に襲いかかってくる馬鹿な魚だと内心蔑んでいたので、自分の子供を守るためにそこまでするなんて信じられなかった。手の甲にはライギョの歯形が幾筋もついて、そのほとんどから血がにじみ出ていた。しかし、幸盛は怒るどころか心の底から感動した。

 ごめん悪かった、とライギョの親に謝り、すぐさま家に引き返した。犬に噛まれたら狂犬病が怖いが、ライギョの歯に毒はないのだろうか。薬箱にあったオキシドールで傷口を消毒していると、当時はまだ生きていた祖母が奥の部屋から出てきた。祖母は新聞を読むときに歌うように節をつけて読む佐賀県出身者で、ある時など記事を読んで「みぞげに(かわいそうに)なあ」と涙を流すほど、心やさしい人だった。

「そげん血がよんにゅう(たくさん)出て、どげんしたと?」

「ライギョに噛まれた」

「らいぎょって何ね?」

「大きな獰猛な魚だよ。いきなり飛び上がってきて、タモを握っていたこの手に噛みついてきたんだ」

「そいはえすか(怖い)魚たい。そん魚はまだ川におっとね」

「いっぱいいるよ」

もりば貸しんさい。こいから(これから)川ば行って、バーちゃんが突いて来ちゃるけん」 



* 文芸同人誌「北斗」第576号(平成23年4月号)に掲載 

*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ  http://12393912.at.webry.info/ 


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