判決
朝。
空気が冷たい。
法廷前には、これまでで一番多くの人がいた。
記者。
傍聴希望者の列。
スマホを握る人々。
七瀬は車を降りる。
フラッシュはない。
だが視線はある。
零が隣を歩く。
「顔色悪いぞ」
「寝てない」
「だろうな」
国家の男は無言で先導する。
今日は、言葉はいらない。
法廷。
全員起立。
裁判官が入廷する。
着席。
静寂。
紙をめくる音だけが響く。
「主文」
その一言で、心臓が跳ねる。
「原告の請求を棄却する」
一瞬、意味が入らない。
次の言葉で確定する。
「訴訟費用は原告の負担とする」
ざわめきが波のように広がる。
七瀬の指先が震える。
零が小さく息を吐く。
「……勝ったな」
まだ続きがある。
「理由」
裁判官が淡々と読み上げる。
「被告の発信内容は、重要部分において真実と認められる」
「本件製品の不具合予測値及び内部判断の存在は争いがない」
社長の顔が固い。
「また、消費者安全に関する情報は公共性を有する」
空気が張り詰める。
「被告は動画内で資料確認を促し、断定を避ける表現を用いている」
「以上より、本件発信は公益目的に基づくものと認められる」
一拍。
最後の一文。
「名誉毀損は成立しない」
木槌の音。
閉廷。
音が戻る。
ざわめき。
記者が走る。
七瀬は立ち上がる。
足が少し震えている。
国家の男が言う。
「おめでとうございます」
短い。
だが重い。
「ありがとうございます」
七瀬は頭を下げる。
廊下。
マイクが向けられる。
「判決をどう受け止めますか」
七瀬は一瞬、言葉を探す。
「裁判所の判断を尊重します」
それだけでは足りない。
「これは僕の勝ちではありません」
一拍。
「事実が守られたということです」
零が横で小さく笑う。
「優等生だな」
七瀬は苦笑する。
本音は、少し違う。
嬉しい。
安心した。
怖さが抜けた。
でも同時に、重さが残る。
企業側。
社長は無言で去る。
記者の質問に答えない。
弁護士が短くコメントする。
「判決内容を精査の上、対応を検討します」
控訴の可能性。
まだ終わりではない。
外。
空は晴れている。
七瀬は空を見上げる。
数ヶ月前、ここに来たときは孤立していた。
今は違う。
スマホが震える。
通知の嵐。
《おめでとう》
《信じてた》
《これで終わりじゃないよね》
零が覗き込む。
「配信するか?」
七瀬は頷く。
「やる」
夜。
ライブ配信。
同時接続、過去最高を更新する。
コメントが滝のように流れる。
七瀬はカメラを見つめる。
「今日、判決が出ました」
一拍。
「請求は棄却されました」
コメント欄が爆発する。
祝福。
歓喜。
怒りの声もある。
《当然》
《企業ざまあ》
《でも終わり?》
七瀬は静かに言う。
「企業を叩く配信はしません」
一瞬、コメントが止まる。
「今日で終わりです」
零が横を見る。
国家の男も静かに聞く。
「僕は、勝ちたくてやったわけじゃない」
一拍。
「忘れられないようにしたかった」
あのメモ。
“世間は忘れる”。
「忘れなかったのは、裁判所でも、僕でもなく」
画面を見る。
「見てくれた人です」
コメントが静かになる。
「これからも、確認してください」
「僕も、企業も、誰でも」
声は穏やかだ。
煽らない。
勝利宣言もしない。
「今日はそれだけです」
深く頭を下げる。
配信終了。
静かな部屋。
零がソファに倒れ込む。
「終わったな」
「うん」
「どうする?」
七瀬は窓の外を見る。
街はいつも通りだ。
「次を探す」
「もう?」
「忘れるから」
小さく笑う。
勝った。
だが、何かが始まった気もする。
スマホがまた震える。
高坂から。
《社長、辞任の方向です》
一行。
七瀬は息を吐く。
静かに。
戦いは終わった。
でも、構造は残る。
机の上に、あのメモのコピーがある。
七瀬はそれを引き出しにしまう。
証拠ではなく、戒めとして。
「世間は忘れる」
なら、忘れない側にいる。
それだけだ。
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第七十五話。
裁判後の波紋。
企業内部の変化。
そして七瀬の“次”。
【第七十四話 終】
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