逆流
配信は終わった。
はずだった。
零はスマートフォンをポケットに入れ、地下通路を戻る。
階段を上がる。
地上に出る。
夜風が頬を撫でる。
画面は真っ黒。
通知だけが止まらない。
振動。
振動。
振動。
零は立ち止まり、ポケットから端末を取り出す。
画面を確認する。
――配信中。
赤い点が、まだ灯っている。
「……切ったよな」
履歴を確認する。
終了操作は記録されている。
ログもある。
なのに、ライブは継続中。
同時接続、二万三千。
《今どこ?》
《歩いてる》
《外出たな》
《後ろ》
コメントが流れている。
零はゆっくり振り返る。
何もない。
住宅街。
遠くの街灯。
静かな夜。
「お前ら、何見てる」
《お前だよ》
《歩いてる》
《今止まった》
《顔青い》
零は自分の顔を確認する。
インカメラは黒い。
映像は映っていない。
なのに、視聴者は“見えている”。
《瞬き減った》
《さっきから呼吸浅い》
《汗》
零は額に触れる。
確かに、汗が滲んでいる。
「……映像出てない」
《出てる》
《普通に見えてる》
《街灯の下》
視点が合わない。
零は立ち止まる。
街灯の下へ移動する。
光の円の中心。
深呼吸。
「今、俺は何してる」
《立ってる》
《こっち見てる》
《笑ってる》
零は笑っていない。
「笑ってない」
《笑ってる》
《口上がってる》
《気味悪い》
胸の奥が冷える。
「……揃えるな」
ぽつり。
《何を》
《またそれか》
「俺が笑ってるって、揃えるな」
一瞬の沈黙。
それから、爆発的に流れる。
《笑ってる》
《笑ってる》
《笑ってる》
同じ文字列が画面を埋める。
零の頬が、勝手に引きつる。
口角が上がる。
「……やめろ」
顎の筋肉が震える。
意図していない。
止まらない。
《ほら笑ってる》
《証明された》
《怖》
零は両手で顔を押さえる。
皮膚の下で、何かが引っ張られる感覚。
視聴者の断定が、形になる。
今度は外ではない。
内側だ。
「揃えれば、形になる」
自分が言った言葉が、返ってくる。
逆流。
観測が、零自身を素材にしている。
《泣いてる?》
《目赤い》
《泣きそう》
否定しようとした瞬間。
視界が滲む。
涙が落ちる。
「……違う」
《泣いた》
《やっぱり》
零は歯を食いしばる。
「揃えるなって言ってる」
《怖がってる》
《震えてる》
手が震える。
止められない。
零はスマートフォンを地面に置く。
レンズを空へ向ける。
「見えないだろ」
《見えてる》
《空だな》
《星ない》
星は出ている。
だがコメントは揃う。
《星ない》
《真っ黒》
《何もない》
空が、黒く塗り潰されていく。
雲が集まり、街灯の光が弱まる。
断定が環境を塗り替える。
「……外も内も、同じか」
零は端末を拾う。
画面を覗く。
自分の顔。
確かに、笑っている。
涙を流しながら。
「俺を素材にするな」
《素材》
《素材》
《実験体》
単語が揃う。
胸の奥が圧迫される。
呼吸が浅くなる。
《息苦しい》
《過呼吸》
喉が締まる。
零は膝をつく。
「やめろ……」
《倒れる》
《失神》
視界が暗くなる。
“失神”の文字が増える。
意識が遠のく。
零は、最後の力で言葉を吐く。
「逆に、いくぞ」
一瞬、コメントが止まる。
「今から俺は――平気だ」
静かな宣言。
《無理》
《顔やばい》
《倒れる》
「平気だ」
繰り返す。
「呼吸も、正常」
ゆっくり吸う。
ゆっくり吐く。
「笑ってない」
口角を下げる。
「泣いてない」
目を見開く。
「俺は、普通だ」
断定。
自分で、揃える。
《……》
《どうだ?》
《変わった?》
コメントが揺れる。
揃いが弱まる。
零は立ち上がる。
呼吸は、整っている。
震えも止まっている。
「数は、向きで変わる」
小さく笑う。
今度は、自分の意志で。
「お前らが俺を揃えるなら」
「俺も、お前らを揃える」
《は?》
《何言ってる》
零はカメラを真正面に向ける。
「今、見えてる俺は」
「落ち着いてる」
間。
《……落ち着いてる》
《確かに》
《さっきより》
揃いが変わる。
零の体は安定する。
逆流を押し返す。
観測の綱引き。
「なあ」
低い声。
「お前ら、どこまで揃えられる?」
コメントが止まる。
躊躇。
その隙間。
背後の闇で、何かが動く。
今度は零にも見える。
街灯の外。
黒い円。
瞳。
《後ろ》
《いる》
《目》
単語が再び揃う。
円が、濃くなる。
だが零は振り返らない。
「揃えろ」
挑発。
「今いるのは――何だ」
《目》
《目》
《目》
瞳が開く。
瞬き。
空気が歪む。
零はゆっくり言う。
「違う」
間。
「“何もない”」
一瞬、コメントが止まる。
《何もない?》
《でも見えてる》
「何もない」
繰り返す。
視線はカメラの向こう。
「ただの影だ」
《影》
《影か?》
《影だろ》
揃いが揺れる。
瞳が、歪む。
輪郭が崩れる。
《薄くなった》
《消える?》
「何もない」
三度目。
黒い円が、溶ける。
空気に溶解する。
完全に消える。
静寂。
零は振り返る。
何もない。
《消えた》
《今の消した?》
零は小さく息を吐く。
「揃えたのは、お前らだ」
配信画面に自分の顔。
今度は、自然な表情。
同時接続、三万を超える。
《やば》
《今の鳥肌》
《逆転した》
零はカメラに近づく。
「でもな」
声が低くなる。
「今、揃いかけた単語がある」
《?》
「“面白い”」
コメント欄に、その文字が増えている。
《面白い》
《神回》
《神》
零は目を細める。
「面白い、で揃え続けたら」
間。
「次は、何が起きると思う?」
コメントが一斉に止まる。
沈黙。
その静止が、何よりも重い。
零は微笑む。
「今日はここまで」
今度は確実に終了ボタンを押す。
赤い点が消える。
画面が暗転する。
振動は止まらない。
だが、ライブは終了表示。
零はスマートフォンを見つめる。
黒い画面に、自分の顔。
――背後に、薄く。
笑っている“もう一人”。
瞬き。
消える。
零は、何も言わない。




