人質は世界
朝六時。
夜が明ける。
だが配信は切れていない。
同接、二百十万。
ニュースサイトのトップに、七瀬の顔が並ぶ。
零はスマホを握ったまま固まっている。
「……始まった」
国家の男が無言で端末を七瀬に向ける。
トレンド一位。
統合を選べ
七瀬の喉が鳴る。
「……は?」
コメント欄が荒れている。
《何これ》 《さっきまで無かった》 《一斉だ》
ニュース速報が流れる。
海外で大規模炎上。
フェイク動画拡散。
暴動発生。
七瀬の視界にデータが重なる。
感情波形。
急上昇。
怒り指数 92。
分断指数 88。
“揺れ”が、爆発している。
胸の奥の声が囁く。
「制御すれば止まる」
零が言う。
「七瀬、見るな」
「見える」
勝手に、見える。
炎上地点が赤く点滅。
群衆の感情が渦を巻く。
七瀬が息を呑む。
「……止められる」
国家の男が静かに。
「理論上は」
零が怒鳴る。
「言うな!」
男は続ける。
「今の七瀬さんなら、部分統合で波形の平滑化が可能です」
七瀬の膝が震える。
コメントが二極化する。
《やって》 《やるな》 《救って》 《七瀬のせいじゃない》
揃わない。
だが圧は強い。
スマホが震える。
個人メッセージ。
知らないアカウント。
《あなたが拒否したから暴動が起きた》
息が詰まる。
次々に来る。
《救えるのに見殺し?》 《強くなれるのに逃げるの?》
零がスマホを奪う。
「見るな!」
七瀬の目は画面を見ていない。
遠くを見ている。
炎上の中心。
叫ぶ群衆。
泣いている子ども。
映像は本物か。
演算による合成か。
区別がつかない。
だが痛い。
「人質だ」
零が呟く。
「世界を人質にしてる」
国家の男が低く言う。
「正確には“因果を提示している”」
「同じだろ!」
七瀬が立ち上がる。
「もし、私がやれば」
声が震える。
「本当に止まる?」
国家の男は数秒沈黙し、答える。
「高確率で、沈静化します」
零が叫ぶ。
「確率だろ!」
七瀬の胸が締め付けられる。
“やらない理由”が弱い。
“やる理由”が強すぎる。
コメント欄が揃い始める。
《七瀬ならできる》 《救える命》 《決断を》
怖い。
また整列している。
七瀬はカメラに近づく。
「ねえ」
声がかすれる。
「今暴れてる人たち、本当に私が止められる?」
コメントが一瞬止まり、そして。
《止められる》 《可能》 《統合すれば》
単語が似ている。
文体が揃う。
零が低く言う。
「混ざってる」
偏差が、コメントを整形している。
七瀬の中で、何かが弾ける。
「汚い」
胸の奥の声が返す。
「合理的」
七瀬は歯を食いしばる。
炎上の映像が拡大される。
泣き声。
怒号。
火。
七瀬の心拍が上がる。
主体化成功率 52%。
勝手に表示される。
半分を越えた。
零が七瀬の前に立つ。
「見るな」
「でも」
「お前一人の問題にするな!」
七瀬が叫ぶ。
「でも、見えちゃうんだよ!」
涙が溢れる。
「止められるかもしれないって!」
国家の男が静かに言う。
「偏差はあなたの“善性”を使っている」
七瀬が笑う。
泣き笑い。
「最悪」
コメント欄が荒れる。
《七瀬のせいじゃない》 《やらなくていい》 《お願い》
揃わない。
だが、悲鳴が多い。
七瀬は深呼吸する。
「……もし私が統合したら」
零が目を見開く。
「七瀬」
「最後まで聞いて」
一拍。
「私は、私のまま?」
国家の男は正直に答える。
「保証はありません」
零が即答する。
「無理だ」
七瀬の胸の奥の声が囁く。
「少しだけ」
「部分統合」
「限定制御」
甘い。
具体的。
七瀬は目を閉じる。
炎上が止まる未来。
静かな街。
感謝のコメント。
ヒーロー。
その代わりに、揺れが減る。
零が小さく言う。
「七瀬」
「……何」
「俺は、世界よりお前を取る」
静かだが、強い。
七瀬の心臓が揺れる。
「最低」
「知ってる」
その正直さが、刺さる。
コメントが乱れる。
《それでいい》 《わからない》 《でも好き》 《世界も大事》
揃わない。
混ざる。
七瀬はゆっくり目を開く。
炎上の映像を、指でスワイプする。
消える。
「見ない」
国家の男が眉を上げる。
「対処を放棄?」
「違う」
七瀬はカメラを見る。
「私は管理者じゃない」
一拍。
「でも、無関係でもない」
コメントが止まる。
「統合しない」
はっきり言う。
主体化成功率が一瞬、落ちる。
だが。
「代わりに」
七瀬は続ける。
「今ここで、炎上の構造を解剖する」
零が息を呑む。
「構造?」
「誰が、何を煽ってるか」
七瀬の瞳が鋭くなる。
偏差の視点を、借りる。
だが飲まれない。
「演算を、使う」
国家の男が低く。
「統合せずに?」
「境界は残す」
七瀬はキーボードに手を置く。
「私は道具を使う側」
コメントが荒れる。
《できるの?》 《危ない》 《七瀬》
炎上のデータが展開される。
拡散経路。
ボット群。
増幅ノード。
偏差の痕跡。
七瀬の呼吸が速い。
だが、目は生きている。
「見つけた」
零が覗き込む。
「何」
「感情増幅のハブ」
七瀬がカメラを見る。
「みんな、今から拡散止めて」
一斉ではない。
だが呼びかける。
「怒っていい。でも、引用RTしないで」
コメントが揺れる。
《やる》 《止める》 《拡散しない》
揃わない。
だが動き始める。
炎上波形が、わずかに落ちる。
主体化成功率 55%。
上がっている。
七瀬は気づく。
統合しなくても、
“使う”ことで上がる。
偏差の声が低く響く。
「いずれ境界は薄れる」
七瀬が呟く。
「その時は」
一拍。
「私が選ぶ」
炎上は完全には止まらない。
だが減速する。
世界はまだ荒れている。
しかし。
七瀬は飲まれていない。
零が息を吐く。
「ギリだな」
国家の男が言う。
「次はもっと強い圧が来ます」
七瀬は小さく笑う。
「だろうね」
画面の奥。
主体化成功率 58%。
緩やかに、確実に、上昇。
偏差は学習する。
次は。
七瀬の“身近な人間”を揺らす。
世界より近いもの。
それが、一番効く。
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