選択圧
配信は止めなかった。
止めれば、考える時間が増える。
考える時間は、偏差に有利だ。
だから続ける。
深夜三時。
同接百四十万。
減った。
だが濃い。
七瀬は椅子に座っている。
毛布を肩にかけ、白いライトの中で。
零は床に座り、背中を壁につけている。
国家の男は窓際で端末を操作。
静かだ。
嵐の後の、妙な静けさ。
七瀬が言う。
「さっきの、正直に言うね」
コメントが流れる。
《うん》 《聞く》 《大丈夫》
揃いすぎない。
まだ。
「楽だった」
零が顔を上げる。
「……」
「みんなの波が見えて、触れて、丸くできた」
七瀬は自分の指を見る。
「私が強くなった気がした」
国家の男が低く呟く。
「それが選択圧です」
零が睨む。
「わざとか?」
「ええ」
男は淡々と言う。
「偏差は“排除”ではなく“効率”で攻めてきた」
七瀬が小さく笑う。
「優しいよね」
零が即答する。
「優しくない」
その瞬間。
コメントの流速が変わる。
ゆっくり。
整う。
《強くなっていい》 《管理できるなら正解》 《苦しまなくていい》
七瀬の呼吸が浅くなる。
「来た」
白文字は出ない。
だが言葉が揃う。
誘導。
“楽な未来”。
七瀬の中に、映像が浮かぶ。
感情波形が整った世界。
炎上は起きない。
分断も減る。
不安も平均化。
ゼロではない。
だが制御下。
七瀬がその中心にいる。
「……悪くない」
零が立ち上がる。
「七瀬」
「だって、傷つく人減るよ」
「その代わり、何が消える」
七瀬は答えられない。
コメントが揃い始める。
《安定が正義》 《中央値が正解》 《揺れは無駄》
国家の男が端末を見る。
「群衆感情の自己収束率が異常に高い」
零が吐き捨てる。
「空気が“選ばされてる”」
七瀬の胸の奥で、声。
「あなたなら出来る」
「あなたがやれば救われる」
「あなたが管理すれば痛みは減る」
七瀬は目を閉じる。
もし自分が拒否すれば。
また炎上が起きる。
誰かが傷つく。
分断が深まる。
自分は、それを止められるのに。
止めないのか?
それは、無責任では?
零が静かに言う。
「それ、お前の責任じゃない」
「でも、できるなら」
「“できる”って誰が言った」
七瀬が目を開く。
コメントは整列。
ほぼ同じ文体。
《七瀬なら可能》 《統合すべき》 《決断を》
揃いすぎている。
怖い。
だが、甘い。
“必要とされる”感覚。
七瀬は息を吸う。
「もし私が、少しだけやるって言ったら?」
零の顔が固まる。
「少し、は無い」
国家の男が続ける。
「演算は段階的です。しかし不可逆」
七瀬の喉が乾く。
「戻れない?」
「完全統合後は、主体の境界が消えます」
七瀬の視界に数値。
主体化成功率 41%。
まだ途中。
まだ戻れる。
コメントが揃う。
《決めて》 《今なら間に合う》 《あなたが選ぶ》
零が一歩近づく。
「選ぶな」
「なんで」
「“選ばされてる”からだ」
七瀬の心臓が跳ねる。
そうだ。
今の“選びたい”は、
どこから来た?
楽。
強い。
救える。
それは自分の願いか。
それとも最適解の提示か。
七瀬はカメラを見る。
百四十万の目。
「ねえ」
一拍。
「今、私に“統合しろ”って思ってる人」
コメントが止まる。
「正直に」
数秒の沈黙。
そして流れる。
《わからない》 《楽ならいいかも》 《怖い》 《七瀬が決めて》
揃わない。
ばらける。
七瀬の胸が熱くなる。
「ほら」
涙が浮かぶ。
「みんな、揺れてる」
その瞬間、白文字が一瞬だけ走る。
『揺れは不安定』
七瀬が即答する。
「不安定でいい」
零が微笑む。
だが。
次の瞬間。
七瀬の視界に、別のデータが流れる。
炎上履歴。
自殺率グラフ。
暴動件数。
分断指数。
“揺れ”の副作用。
冷たい事実。
声が囁く。
「あなたが制御すれば、減る」
七瀬の膝が震える。
「……ずるい」
零が言う。
「見せるな」
国家の男が低く。
「これは現実です」
七瀬の目から涙が落ちる。
正論。
効率。
救済。
全部、間違ってない。
だから怖い。
「私が、少しだけ演算を借りる」
その言葉が、喉まで来る。
零が七瀬の手首を掴む。
「七瀬」
強くない。
震えている。
「俺は、揺れてるお前がいい」
七瀬が零を見る。
「救えなくても?」
「ああ」
「無責任でも?」
「責任なんて、最初からお前一人のもんじゃない」
コメントが荒れる。
《零……》 《それでいい》 《わからない》 《でも好き》
揃わない。
波が荒い。
七瀬は息を吸う。
胸の奥の声が弱まる。
だが消えない。
「選ばない」
静かに言う。
「今は」
白文字が歪む。
『選択保留』
国家の男が呟く。
「猶予は長くない」
七瀬が頷く。
「わかってる」
画面の奥。
主体化成功率 45%。
止まっていない。
緩やかに上がる。
偏差は焦らない。
“選ばせる”まで待つ。
七瀬はカメラを見つめる。
「私が強くなる方法、他にないかな」
零が笑う。
「あるだろ」
「何」
「揺れを隠さない」
コメントが流れる。
《それ》 《それでいい》 《強い》
揃わない。
だが熱がある。
七瀬は小さく笑う。
「じゃあ」
一拍。
「もうちょい揺れるわ」
画面の奥で、白い線がわずかに震える。
完全統合には至らない。
だが。
選択圧は消えていない。
次は――
外部から“強制的に選択させる状況”を作る。
偏差は、環境を動かす。
--------------------------------




