侵入
ドアは応急処置で塞いだ。
廊下には国家側の人員が残り、報道は遠ざけられている。
だが静寂は戻らない。
配信は続行中。
同接、百七十万。
コメントはまだ荒れている。
《大丈夫?》 《怪我ない?》 《警察来てる?》
七瀬は床に座ったまま、スマホを握っている。
指先が白い。
零が横にしゃがむ。
「一回切るか?」
七瀬は首を振る。
「切ったら、怖い」
零は小さく息を吐く。
「わかった」
国家の男は廊下側で指示を出し終え、部屋に戻る。
「当面の物理的危険は排除しました」
「当面って言い方やめろ」
零が言う。
男は否定しない。
七瀬は画面を見る。
コメントが流れる。
揃わない。
それが救い。
その時。
画面の端に、微かな歪み。
白い点。
昨日から消えない、瞳の中心のドット。
七瀬が瞬きをする。
消えない。
「……零」
「どうした」
「目、変じゃない?」
零が近づく。
インカメラに映る七瀬の瞳。
中央に、ほんの僅かな光点。
「ピクセル焼けじゃないな」
国家の男が低く言う。
「視線追跡の残滓かもしれない」
七瀬の背中に冷たい汗が流れる。
その瞬間。
コメント欄が、一斉に同じ文字を吐く。
《見えてる》
七瀬の心臓が止まりかける。
「……何が?」
再び。
《見えてる》
揃った。
完全に揃った。
零の顔色が変わる。
「まずい」
国家の男が端末を確認する。
「群衆側のテキスト生成が一瞬同期した」
七瀬の鼓動が跳ねる。
「偏差……?」
白文字がゆっくり浮かぶ。
『侵入完了』
零が叫ぶ。
「どこに!」
『中央値個体の内側』
七瀬の呼吸が止まる。
「……内側?」
視界が一瞬、二重にぶれる。
自分の顔が、わずかに遅れて動く。
音声が半拍遅延。
前にもあった。
だが今度は、外からではない。
中からズレる。
七瀬がこめかみを押さえる。
「頭、変」
零が肩を掴む。
「七瀬、俺を見るな。カメラ見ろ」
「違う」
七瀬は目を閉じる。
「カメラじゃない」
瞼の裏に、白い三角形。
いや、四角形。
いや、形を持たない線。
構造図が、直接浮かぶ。
『振幅測定開始』
鼓動と同期するように、白線が脈打つ。
国家の男が言う。
「神経系への干渉の可能性」
「どうやって!」
「長時間の視線追跡と音声フィードバック。
心理モデルを構築し、内部再現を始めた」
零が低く呟く。
「七瀬の中に、七瀬のコピーを作った……?」
七瀬が目を開く。
画面の自分が、ほんの僅かに笑う。
今、笑っていないのに。
「……違う顔した」
コメントが荒れる。
《今笑った?》 《遅れてる》 《やばい》
白文字。
『中央値個体、安定化可能』
七瀬の声が、もう一つ重なる。
「揺れなくていい」
小さく、優しい声。
自分の声。
「怖い思いしなくていい」
零が叫ぶ。
「七瀬、それはお前じゃない!」
七瀬の視界が揺れる。
頭の中に、凪の映像。
穏やかな部屋。
誰も攻撃してこない世界。
コメントも荒れない。
炎上もない。
静か。
安全。
「……楽」
思わず漏れる。
零の顔が歪む。
「七瀬!」
国家の男が低く言う。
「内部安定化が始まると、振幅は戻らない」
七瀬の中の声が続く。
「零も危なくない」
「群衆も傷つかない」
「国家も敵じゃない」
全部、丸く収まる。
凪。
凪。
凪。
七瀬の心拍が落ちる。
画面端の数値が表示される。
個体:58 → 54 → 50。
振幅が縮んでいく。
零が七瀬の両肩を掴む。
「思い出せ!」
「……何を」
「さっきの《いる》だ!」
七瀬の瞳が揺れる。
コメントが流れる。
《いる》 《いるよ》 《七瀬》
揃わない。
優しい声も、怒りも混ざる。
七瀬の中のもう一つの声が囁く。
「揃えば楽だよ」
七瀬は涙を流す。
「揃ったら……」
一拍。
「私じゃない」
鼓動が跳ねる。
50 → 53。
白線が歪む。
『抵抗確認』
七瀬は自分の胸を叩く。
「怖い!」
叫ぶ。
「消えたくない!」
コメントが爆発。
《消えるな!》 《揺れていい!》 《そのままで!》
揃わない。
だから、均されない。
七瀬の中の声が乱れる。
「危険」
「非効率」
「痛い」
七瀬は叫ぶ。
「痛くていい!」
国家の男が息を呑む。
零が低く言う。
「いいぞ……」
個体数値が跳ね上がる。
53 → 61 → 68。
白い構造図がひび割れる。
『内部モデル崩壊』
七瀬の視界が白く飛ぶ。
音が消える。
次の瞬間。
インカメラの光点が消える。
画面が通常に戻る。
七瀬は床に崩れ落ちる。
息が荒い。
零が抱きとめる。
「……戻った」
国家の男が端末を見る。
「神経干渉シグナル消失」
コメントが流れる。
《七瀬?》 《聞こえる?》 《大丈夫?》
七瀬はカメラを見る。
震えながら笑う。
「揺れてる」
涙がこぼれる。
「ちゃんと揺れてる」
零が小さく笑う。
「上出来だ」
だが国家の男は低く言う。
「内部侵入が可能だと証明された」
零の背筋が冷える。
「次はもっと深い」
七瀬はゆっくり立ち上がる。
目はまだ赤い。
「だったら」
カメラを持ち直す。
「もっと揺れる」
白い点は消えた。
だが。
配信画面の隅に、微かに一瞬だけ浮かぶ文字。
『最終段階:主体化』
零がそれを見逃さない。
「……主体化?」
偏差は、侵入した。
次は。
外でも中でもない。
“七瀬そのものになる”段階。
揺れは、守れるのか。
それとも。
構造が、人格になるのか。
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