設計者
夜。
部屋は暗い。
モニターの光だけが、零の顔を照らしている。
七瀬はベッドに座り、何も言わない。
公開実験まで、あと六時間。
偏差――tri_axisは、場所も時間も隠していない。
隠す必要がないからだ。
零が来ると分かっている。
「止めに行く?」
七瀬が聞く。
零は首を振る。
「止められない」
「じゃあ」
沈黙。
零は画面に向かって新規配信を立ち上げる。
タイトル:
『設計開始』
七瀬が息を呑む。
「零、それ……」
「俺がやる」
開始ボタンを押す。
同接が跳ねる。
《設計?》 《どういう意味》
零はカメラを真っ直ぐ見る。
「今日、公開実験がある」
ざわめき。
「止めない」
《は?》 《裏切り?》
「代わりに、上書きする」
コメントが一瞬止まる。
零は続ける。
「単語は三つ」
七瀬が立ち上がる。
「本気なの?」
「本気だ」
零はキーボードを打つ。
表示される三語。
拡散
分散
拮抗
七瀬の顔色が変わる。
「それ……」
「三角形を固定させない」
零の声は静かだ。
「中心を三つに集約するから、圧が生まれる」
ならば。
「力を拡散させる」
《拡散》 《分散》
コメントが揃い始める。
零は続ける。
「拮抗は、均衡だ」
七瀬が理解する。
「三点を、潰すんじゃなくて……」
「溶かす」
同接が十万を超える。
零は深呼吸する。
「俺は今日から、設計する」
その言葉は宣言だった。
「事故は起こさせない」
《どうやって?》
「揃いを、揃わせない」
七瀬が零を見る。
それは。
観測そのものを歪める行為。
偏差と同じ場所。
だが目的は違う。
零は言う。
「単語は常に三つ出す」
「流れを固定させない」
コメントが三方向に割れる。
《拡散》 《分散》 《拮抗》
流れが交差する。
揃いが鈍る。
鋭さが消える。
零は感じる。
圧が生まれない。
ベクトルが打ち消し合う。
七瀬が小さく言う。
「……これ、効いてる」
その瞬間。
tri_axisから配信通知。
公開実験開始。
場所は予告通り、商業施設。
吹き抜けの中央に立つ人物。
顔は見えない。
だがマイクを握っている。
『予定通り、始めよう』
偏差の声。
観客はまだ何も知らない。
スマホを構える者はいるが、意味を理解していない。
偏差が言う。
『単語は』
零は即座に叫ぶ。
「拡散!」
七瀬が続ける。
「分散!」
コメント欄が三色に割れる。
tri_axisの画面で、偏差が微かに間を置く。
『……固定』
出した。
だが揃わない。
《拡散》 《分散》 《拮抗》
波が分裂する。
商業施設の空気が震えるが、圧は生まれない。
ガラスは歪まない。
人々は異変に気づかない。
偏差の声がわずかに低くなる。
『抵抗するか』
零は静かに言う。
「設計は、俺もできる」
七瀬がカメラに近づく。
「あなたの三角形、弱いよ」
挑発。
偏差が初めて笑う。
『面白い』
だが公開実験は崩れていく。
揃いが固定しない。
圧が生まれない。
三方向の力が打ち消し合う。
零は理解する。
これが設計。
破壊ではない。
制御。
数分後。
tri_axisの配信が途切れる。
公開実験は、不発に終わる。
零の部屋。
沈黙。
七瀬が座り込む。
「……勝った?」
零は首を振る。
「違う」
スマホが震える。
偏差からDM。
『合格だ。』
血が冷える。
『君は、設計者になった。』
零は画面を睨む。
『次は本番だ。』
「本番?」
七瀬が呟く。
零の喉が乾く。
『拡散と分散は、防御だ。』
『攻撃はどうする?』
零の指が止まる。
設計するということは。
守るだけでは終わらない。
利用もできる。
書き換えもできる。
七瀬が静かに言う。
「零」
「……ああ」
「戻れなくなるよ」
零は目を閉じる。
あの夜の落下。
七瀬の浮遊。
圧縮された教室。
すべてを思い出す。
そして、目を開ける。
「もう戻れない」
小さく。
「最初から」
配信画面の同接は、過去最大。
観測は加速している。
零はゆっくり言う。
「次は、俺がルールを作る」
それは宣戦布告だった。
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