第四話 幼馴染の絆
俺は一体、どのくらい寝ていたのだろう。
意識を失う前に見た、緋奈菊のほくそ笑むような顔が脳裏に焼き付いて離れない。
「そうだ、緋奈菊!!!」
勢いよく体を動かすと同時に、ガシャンと重金属の音が響く。
その原因は、両手足に付けられた枷だ。
どうやら、屋敷の一角にある狭い部屋に雑に押し込まれたのだろう。
「晴明。目覚めたんだね」
気配を一切感じさせずに現れた、大好きな幼馴染。
あまりの雰囲気の違いに、幼馴染の皮を被ったソレを鋭い眼光で睨みつけた。
「はははは、流石にバレたナァ?!
よくも俺様を殴った挙句、散り散りにしてくれたな?!陰陽師、風情がぁぁああああ!!!」
異臭を放つドス黒い煙が、叫びに呼応し、たちまち部屋を覆い尽くす。
一向に何かに襲われたりはしない。
ただ少しずつ煙は後を引いて、その代わりに幼馴染が全裸で俺を見下ろしていた。
「ひなぎ、や、やめろ!!緋奈菊の顔をして、触るな!!」
「だって晴明は、ずっと私とこうしたかったんでしょう?ひははははは」
俺が、一番抵抗できない状態にするつもりなのだろう。
初めて見た、好きな人の霰もない姿。
けれど、その中身は紛れもなく怪物なのだ。
いや、物怪の類いだろうが……。
兎に角目に毒だ、狭いこの空間で距離を保つも、ひたすら情けなく床を這いずりながら逃げるしかない。
欲になど、負けたくない。
ましてや、助けると約束した大好きな人に。
欲望のまま、ただの吐口のような扱いなど絶対にしたくない。
血が滲むほど歯を食いしばり、掌は爪が食い込んだ。
「どの口が言うのだ!!昨夜、貪るように接吻を交わしていた貴様が、己の欲望にどうして逆らえると言うのだヨォォォォォォ?」
「…………!?」
本人ではないにしろ、その顔で言われてしまうと全身の力が抜けてしまう。
その瞬間を狙われて、俺の上に跨り、物凄い怪力で首を絞められていく。
「ぁ…………がっ」
「あひゃぁひゃぁ!弱いなぁ陰陽師!
噂では、俺様たちのような悪霊を祓って回っていると聞いていたが、夢の領域では無防備も同然よ」
意識が飛びそうになり、グルンと目が回るも
ギリギリで耐える。
狼狽えた隙を見逃さぬまま、手の枷を思い切り振り上げれば、頭目掛けて殴り付けた。
「ガハッ………、ヒュゥ、ヒュウ」
膨張寸前の首に血が巡り、酸素を取り込めば鳥のように喉が鳴る。
相手は、物怪だ。緋奈菊ではない。
けれど、それでも俺は、どんな緋奈菊も……。
受け入れたいーー。
舌打ちが聞こえた後、また煙が立ち込めて今度はすぐに消えていく。
次に現れたのは、緋奈菊の身体がバラバラに引き裂かれ無造作に繋ぎ合わされた、変わり果てた肉塊だった。
「…た、けて」
声が、聞こえた。
か細く、俺に助けを求める悲痛な声が。
「なん……で、助けてくれなかったの?この二、三ヶ月。何度も何度も何度も何度も何度も。
私の身体は暴かれたのに!!もっと早く助けてくれたなら、怖い思いをせずに済んだのに!!」
心が軋んだ。
呼吸の仕方を忘れた。
嫌な動悸に、早鐘を打った。
間違いない、それは俺のせいだ。
だから、こそ。
だからこそ、緋奈菊。
俺は、心に決めたことがあるんだよ。
「俺は、どんなお前も好きだ。
好きで好きで仕方ないだ。身体は正直だって、よく言うだろ?今も、その通りなんだ。
例え肉片でも、肉塊でも、可愛いお前のままでもどんなお前でも、大好きだよ緋奈菊」
そっと、目前の肉塊を抱きしめた。
優しく優しく、慈しむように包み込んだ。
そっと、口付けを添えるのだ。
昨夜のような貪るものではなく、愛でるようにただひたすらに壊さぬように。
けれど、緋奈菊は簡単に骨のみを残して、身体はヘドロのように溶けてしまった。
手から滑り落ちて、まるで俺の恋心そのものを揶揄されているかのようだ。
「ひな、ぎく。緋奈菊、緋奈菊!!!
ああああああああぁぁぁぁ!!俺の緋奈菊がッ」
発狂しながら、骨を掻き分け夢中になってヘドロを必死にかき集めた。
けれど、何度掬おうが一滴残らず手から零れ落ちていく。
その度に耳元に、嗤い声だけが響いた。
「なぁ、お前はなぜ勝った気でいるんだ?」
ヘドロを間近で見下ろして、低い声音で言い放つ。
先程まで狂っていた面影は、まるでない。
あるのは、瞳に宿った殺気のみ。
「領域の中なら無防備だ、とか抜かしたな?
確かに、その通りだ。しかし、持ち込めない訳ではないだな、これが。一か八かの賭けになるが………お前で試させてもらう」
「ハッ!でまかせを!そんなもの、成功する訳があるか!」
「…………」
油断したヘドロと化した物怪は、あっという間に緋奈菊の姿へと戻る。
こいつの最後の保険であろうが、
夢の治安を守ると約束した以上。
例えそれが、彼女を傷つけることになっても成し遂げるべきだと、それが本物の愛ある行動だと疑わない。
狭い部屋が仇となり、閉まった戸を物怪が開けきる前に。
用意していた護符を取り出し無防備な背中へ貼り付ければ、指を構えた。
「急急如律令。
業火海禊、綿津見の舞!」
瞬く間に、物怪を業火の荒波が飲み込んでいく。
それも、声の一つも発しぬうちに。
苦しみは、それだけでは終わらない。
物怪を取り囲むように、同時に張られた結界内で、やがて荒波は渦を巻いて赤く赤く舞い踊る。
「泰山府君大神から賜りし、地獄を味わう究極奥義だ。まさかと、思うだろ?緋奈菊は潜在意識の中で、俺に応えたんだ。だから、具現化できた。幼馴染の絆を、舐める………なよ」
また視界が歪みだす。
頭が鈍器で殴られたように、痛んだ。
「……領域内で、術使用の反動……か」
立ってはいられぬ程の目眩に、ふらついた身体は床に打ち付けられるが痛みは、感じない。
ただ、業火の渦潮と同時に俺の後悔の念も渦巻く。
緋奈菊の悪夢は、恐らく俺が原因だったのだから。




