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捕縛

 アドラルド王城の正門に近づいたところで、リグルドは期せずしてパラギア軍の作戦の全貌を垣間見ることになった。物陰に隠れて正門を伺うリグルドの目に映ったのは、正門に立っている見慣れた4つの漆黒の鎧だった。思わず、リグルドは口の中に湧き上がる唾液を飲み込んだ。


(……もう制圧されているのか? 近衛兵団はどうしたんだ!?)


 正門が既に制圧されているとなれば、王城の中も同様に制圧されていると推測するのは、想像に易かった。そうであるならば、もはやリグルドは、成す術が何も無いように思われた。王城が制圧されているのだとすれば、パラギア軍の侵攻を報告すべき近衛兵団長も既に捕縛、あるいは抹殺されているだろう。


 一方で目的を失ったからと言って、孤軍奮闘して”誉れ高きアドラルド・ナイツ”として誇りある死を受け入れるほど、リグルドは兵士になり切れていなかった。死んでいった兵士たちには申し訳ないが、まだ死にたくはない。


 リグルドは踵を返して元来た道を戻ることにした。マイアーにこのことを報告し、彼とともに今後のことを考えたかった。リグルドにとっての隊長マイアーは、奇想天外な戦術家の師であると同時に、兄の様に頼り信頼している存在であった。彼と一緒に居れば、このような絶望的な状況にも希望を見いだせるはずだ。そして、マイアーと落ち合った後は、王都に住む老いた両親と妹を連れてこの国を逃げ出そう――。そう考えると、まだまだ自分には生きる意味があるように思われた。


 しかし、リグルドの感覚は度重なる緊張と恐怖の繰り返しで、既に麻痺してしまっていた。王都のアドラルド軍が練兵場で壊滅し、王城も陥落に至り、もはや王城周辺はパラギア兵だらけだというのに、リグルドの行軍はあまりにも迂闊だった。練兵場での戦闘を終えたマルルカ以下のパラギア軍が、すぐ近くまで迫っていた物音に気付かなかったのである。


 物陰を出たリグルドが、真正面からやって来るパラギア軍の軍勢に気が付いたときには、全てが遅かった。降伏の意を示すために両手を挙げたが、リグルドは自らの死を悟って震えた。

 練兵場で数多の兵士が無残に殺されたのを見た。アドラルド兵の死体を嬲るパラギア兵を見た。彼らが今更、己を見逃すとは思えなかった。


 リグルドは、死を覚悟して固く目を瞑った。それはすべてを受け入れたようであり、しかし同時に外界の刺激すべてを拒絶した行為であった。


「目を開けなさい」


 穏やかな調子の声には、聞き覚えがあった。つい数刻前の出来事が随分と昔の様に思い出される。女神のような戦闘狂。リグルドは、自らの最期が美人の惚れ惚れする剣技によるものならば、顔も分からない兵士に襲われて苦しんで死ぬより、よっぽど幸運ではないかと思いながら、ゆっくりと目を開く。

 そこに立っていたのは、やはり予想通りの笑顔をした女であった。


「また会いましたね、少年」


 その言葉はリグルドには、まるで純粋に再会を喜んでいるように聞こえた。そこにいる誰もが、言葉の裏にある彼女の本心を夢想していた。しかし、マルルカは、彼女を知る誰もが予想だにしない感情をもってして、その言葉を発したのであった。その感情は、彼女にしかわからないものであったからこそ、続く言葉に誰もが己の耳を疑った。


「この兵士を捕縛してください。連れていきます」


 マルルカの近くにいたパラギア兵がすぐさま命令を行動に移さなかったのは、無理もない。抵抗しなくても殺してよいなどと号令したマルルカから、よもやそのような言葉を聞くことになろうとは、思いもしなかっただろう。兵士たちは互いに顔を見合わせるばかりで、動くそぶりを見せなかった。


「聞こえませんでしたか?捕縛しなさい。三度目は無いですよ」


 その言葉に慌てて動いたパラギア兵士によって、リグルドは拘束され、連行された。



 自分はなぜ、呑気に湯浴みなどしてこの場にいるのか、リグルドは不思議でならなかった。マルルカに命じられるがままに拘束されたのちに湯浴みをして、パルギア軍の軍服を着せられた。今は、マルルカの居室となったアドラルド王城の一室に、長身のパラギア女性兵士によって案内されている。


 王城を歩きながら、リグルドは自らの処遇を案ずるより前に、先ほどまでの激動を思い出していた。ゴードンの死、練兵場からの逃亡、兵舎前での戦闘、その全てがはるか遠い昔の様に感じられた。


 いつ死んでもおかしくなかったはずだ。それが今は、大きな負傷もなく王城の中を歩いている。

 自分は精巧な夢を見ているのではないか、現実はまだ兵舎の中で襤褸のような肌寒い寝具にくるまりながら寝入っているのではないか、とリグルドは思った。しかし、歩くたびに全身に走る鈍い痛みが、リグルドを現実に引き戻した。その痛みは同時に、冬空の重い雲が胸をゆっくり押し潰していくような、飲み込んだ泥が臓腑の中に沈殿しているような、言いようのない息苦しさをもたらした。


 大半の軍人が命を落としたことに対する悲しみなのか、無様にも自分だけが生き残ってしまった後ろめたさなのか分からない。疲弊した頭が、考えることを拒んでいるようだった。


 扉に差し掛かったところで、女性兵士が歩みを止め、ドアをノックした。入ってください、という軽やかな声に促され、女性兵士と共にマルルカの部屋へと入る。元々は王城に住まう誰かの居室であった部屋の内装は簡単なものだった。テーブルと椅子にベッド、壁に飾られた絵画などといった具合である。


 マルルカは椅子の一つに軍服姿で姿勢よく腰かけていた。鎧を解いて軍服姿となったマルルカの肢体は、女性らしい丸みが見て取れた。筋肉質というほどでもない、均整のとれたしっかりとした体つきだが、どちらかと言えば細い身体をしていると、リグルドは思った。ほのかに赤みがさした頬や、しっとりとしたブロンドの髪から、マルルカもまた湯浴みの直後であることを察した。


 マルルカは、リグルドに着席を促すとともに、あろうことか女性兵士に退出を命じた。マルルカの言葉に僅かにためらった女性兵士は、一方でマルルカが一度言ったことを曲げることが無いと十分承知しているからか、名残惜しげに部屋を出ていった。


 マルルカと二人きりになった部屋で、リグルドは自らの身の振り方に迷っていた。容易く自らを殺すことのできた状況で命を取らず、こうして会談しているからには、マルルカが自らに期待する役割があるはずだ。なぜ助けた、と問うべきなのか、あるいはまず感謝を述べるべきなのか、リグルドは逡巡した。

 そんなリグルドをよそに、先に口を開いたのはマルルカであった。


「私が何故、少年を助けたのか、疑問に思っていることでしょう」


 マルルカの表情からは、彼女が何を期待しているのか、リグルドは読み取れなかった。笑っているようでもない、穏やかな表情は、今まで見た彼女のどの顔とも違っていた。


「た、助けていただき感謝します。マルルカ副隊長殿」

「少年。あなた、年はいくつですか?」

「14です」

「そうですか……私は、22です」

「なるほど、22で」


 リグルドは突然の他愛ない話に戸惑った。そして何か、二の句を継ぐべく思考を巡らせた。年齢より若く見えますよ、と言われるのを女性は喜ぶという。だがそれが果たしてマルルカのような軍人にも通用するのだろうか。そして22歳と言えばまだまだ十分若いのではないか。それでもやはり、若く見えると言った方が、良いのかもしれない――。


「い、意外です。お年よりも若く見えましたから」

「そうですか」


 二人きりのはず部屋を、沈黙が支配した。

 マルルカに凝視され、リグルドは視線の行き場を失っていた。


「少年には、家族は居ますか?」


 リグルドは、アドラルド兵士たちと、そして王都に住む家族への一抹のやましさから、回答に躊躇した。死を覚悟して降伏したとはいえ、今はこうして生きながらえてしまっている。自らの処遇すら定かではないが、家族はどうなってしまうのだろうか。リグルドは正直に言うことにした。


「……王都に老いた両親と、妹がひとりいます。……その、王都の人々は、どうなるのでしょうか」

「我々は、軍人以外の人間を攻撃するつもりはありません。そこはご安心を」


 マルルカの言葉に、リグルドは少しだけ安堵した。しかし敵国に降伏した捕虜の家族が、周囲からどのような扱いを受けることになるかを想像すれば、胸に重くのしかかる雲は晴れてはくれなかった。

 なおも顔を強張らせているリグルドを見て、マルルカは言った。


「ご家族のことは、悪いようにはしません。もしあなたが望むのならば、パラギアに迎えることも可能です。ご家族のことを切り離し――そのうえで、あなたには二つの選択肢があります」


 マルルカはまた突然口を開いた。

 リグルドは、自らに二つもの選択肢が用意されていることに驚きつつも、家族に対する申し出はつまり、自身をパラギア軍に迎えることを意図していると察した。


 そうであるならば、選択肢は一つに思われた。よもやこのまま、解放されるという選択肢はないだろう。パラギア兵として、家族と共にパラギアに下る。アドラルドへの未練がないわけではないが、自らの命と家族の命を最優先に考えるならば、それが最良の選択肢だ。


 現状のマルルカからの厚遇を鑑みるに、悪い話ではないだろうという期待を抱いて、リグルドはマルルカの次の言葉を待った。

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