マルルカの憂鬱
両軍を前に挨拶をした壇上に腰かけて、マルルカはすっかり白けていた。
降りしきる雨にも関わらず、靄のように周囲一帯に立ち込める金臭い血は、凄惨な殺戮が繰り広げられたことを意味していた。マルルカは静かになった練兵場をぼうっと見渡しながら、滑らかなブロンドの髪を右手の指先でくるくると弄んでいる。アドラルド兵の死体が至る所に横たわり、見渡す限りはパラギア軍の圧勝であった。
足元に転がっている、先ほど難なく切り伏せたアドラルド兵を一瞥して、作戦を誤ってしまった、と思い溜息をついた。第1兵団の総隊長であるゴードンを真っ先に切り伏せてしまったのは失敗だった。
(……想定外、というやつですね)
大将の突然の死に、アドラルド兵は混乱。統制を失った練度の低い兵士たちは、瞬く間に捕縛、抹殺されていった。全く歯応えが無かったのだ。もっとも、ほぼ丸腰に近い相手、加えて実戦経験の少ない国の兵士の力量など、この程度のものかもしれない、とマルルカは思い直す。数十人を切り伏せたところで、一方的な戦闘に興醒めしたマルルカは、練兵場のあちこちで繰り広げられている戦闘の様子を眺めるため、壇上に行き着いていた。
「マルルカ副隊長、ヒース副隊長より伝令です!」
マルルカの近くにやってきた一人のパラギア兵士が跪いて言った。
「なんでしょう」
マルルカは壇上に座って足をプラプラと振り子のように振り、ぼうっとして応えた。
「ヒース副隊長はグレアム皇太子殿下とともにアドラルド王城へ入場後、アドラルド国王ランダルム以下、官僚および護衛兵を捕縛し、王城を制圧したとのことです!マルルカ副隊長殿におかれては、戦闘が終わり次第、王城へ入場されたし、と」
「了解した、と伝えてください。応援は不要です。……ヒース副隊長から、その他には何か、報告はありませんでしたか?何かが見つかったとか」
報告を退屈そうに仏頂面で聞いていたマルルカは、思いついたように質問した。最後の質問のときにだけ、彼女の顔には僅かに笑顔が戻った。
その問いに兵士は困惑し、戸惑いがちに答える。
「何か、でございますか。そのような報告は受けておりませんが……。確認して参りましょうか」
「そうですか。いえ、結構。じきに王城へ向かいますから、直接確認します。報告、お疲れ様でした」
マルルカは可愛らしく微笑んで、兵士に向かって軽く頭を下げた。その笑顔は、多くのアドラルド兵の血に塗れた凄惨な練兵場には酷く不釣り合いな、荒野の花の如き華憐さがあった。
兵士は束の間、その笑顔に虚脱した。見蕩れていたわけではない。パラギア兵であれば、彼女の笑顔が決して、部下へのねぎらいを意図するものでないことを知っている。マルルカが笑うのは、欲望を満たしたか、あるいは欲望を満たすべく高揚しているときであることを。
「め、滅相もございません。それでは、失礼します」
足早に去っていく兵士の後姿をしばしの間、見つめていたマルルカは、よいしょ、という掛け声と共に座っていた壇上から飛び降りて地面に着地した。マルルカは、早くこのつまらない戦闘を片付けなければ、と思った。もう一つの楽しみが、まだ王城には残っている。
(忌むべき魔境、流刑の地。ナルフィアラルの先にあるものは、私を満たしてくれるでしょうか)
先ほどまで降り続いていた雨は、ぽつぽつと小康状態になった。
マルルカは雨が作った水溜まりに映る、自らの顔を見た。その時ようやく、自らの口元が歪んでいることに気が付いた。