王たる資格
——アドラルド国王城、謁見の間。石造りの間は見渡すほど広い。
四名の近衛兵を間近に侍らせて、王座に座るは、アドラルド国王のランダルム・シュタインバッハ。
ランダルムは脂ぎった口周りに蓄えた髭を撫でつけ、目下に跪くパラギア帝国皇太子――グレアム・ローレンツ一行を品定めした。
グレアムを先頭に、後方に2人の側近。グレアムは年の頃は二十にも満たないようで、まだまだ若い。艶やのある金髪、鋭く理知的な目つきをしており、その目には年齢に不釣り合いな自信が感じられる。それゆえ、王たる自らの前でも萎縮せず堂々としているこの若者が、ランダルムは気に入らなかった。
ランダルムは、喉を震わせる。
「皇太子殿。遠路はるばる、ようこそアドラルドへ。それにしても、たかが軍の合同訓練にご同行とは、皇太子殿は存外、お暇なようですな」
ランダルムの無礼な物言いに対しても、跪いて顔を伏せたグレアムは、眉一つ動かすことはない。至極冷静に、彼は答える。
「父上が、本軍への同行を命じられましたもので。私自身も、自国を知り、また同盟国を知ることは我が国の軍事を司る上で重要なことと心得ております」
「いやはや、皇帝陛下のお使いであったか。その軍事とやらも、なかなか終わりが見えないようですが。同盟国として支援している我が国としても、早期の決着をお願いしたいものですな」
グレアムは顔色を変えることなく、心中で苦笑いをしていた。礼を失するばかりか、なんと恩着せがましい王であろうか。
ランダルムの言う支援とは、アドラルドが同盟国であるパラギアに対して行っている物的支援である。アドラルドはパラギアの対戦国との関係悪化を恐れ、兵士や武器の供与といった、直接的な戦争への関与を避けた物品の供与を行っていた。しかし、その物的支援の実情は、アドラルド自国内で余った食料や、低品質のため売れないようなものをパラギアに送るばかりで、品質は粗悪であり食料品に至っては腐敗していたことも一度や二度ではない。
同盟国という体裁だけの名ばかりの支援。それがグレアムの抱いていた感想だったが、本心はおくびにも出さずにいた。
「……パラギアの力が至らぬばかりに、恐れ入ります」
「まあ、そなたのような若輩に申したところで意味もなかろう。忘れるがよい」
ランダルムの暴言に、グレアムの後方の側近が小さく身じろぎをした。その肩が小さく震えている。しかしグレアムは、俯いたままの姿勢で側近を睨みつけた。
ランダルムは、やはり面白くなかった。何を言おうとも、目の前の若輩はつけ入る隙を見せない。言葉がただ受け流されているようで、自らが軽んじられているようにすら感じられ、余計に腹立たしかった。
「もうよい、今日は下がれ」
苛立ちを隠すことなく、ランダルムは野放図に言った。
「……ご謁見をいただき、恐悦の至りです」
本来であれば、他国の、それも同盟国の皇太子が訪れたとあれば、寝所を用意し酒宴を設けるなど、訪問された側は手厚い歓待をするのが常である。著しく礼を欠いた一連の処遇にも、グレアムはただ、皇太子として礼節を貫抜き通した。
——そう、この時までは。
グレアムは、遠くで鳴った何かが破裂するような二回の音を、聞き逃さなかった。それまで俯いていた顔を、ようやく上げた。
「――ところで、国王陛下。父上から親書を賜っております」
グレアムは親書を取り出し、ランダルムに向けて差し出した。ランダルムは呆気に取られてその様子を見ていたが、ようやく理解したように顔を赤くして声を荒げた。
「何? どうしてそれを早く言わぬ」
「親書を渡すか、渡さぬかは私に任せる、とおっしゃられたもので」
グレアムはそう言うと、破顔した。
「どういうことだ? よく意味が」
「死人に、文字は読めませんから」
その時、不意に部屋の外が騒がしくなった。突然、扉が開け放たれ、1人のアドラルド兵が飛び込んできた。
「国王陛下!城内に駐留していたパラギア軍の兵が――」
そこから先の言葉は、兵士の口から溢れる朱色の泡に掻き消えた。兵士の腹部を、複数の剣が貫いていた。びくりと大きく痙攣し、動かなくなった兵士が、人形のように力なく地に伏せる。アドラルド兵士に今まさに剣を突き立てたのは、漆黒の鎧を纏った兵士たちだった。
「こ、これは何事か! 皇太子殿!」
「こういうことですよ、陛下」
その言葉を合図にグレアムの側近が素早く立ち上がったかと思うと、消えた。
少なくともランダルムの目にはそう見えた。気が付いたときには、ランダルムを護衛していた四名の近衛兵は音もなく、一様に場に伏していた。四名とも、首元に刃物が突き刺さっている。兵士の鎧と兜の間に正確に突き立てられたそれは、一瞬で近衛兵たちを絶命させ、無力化していた。
「ひっ」
ランダルムは短い悲鳴を上げ、びくっと立ち上がった。そして、肩を震わせながら怒鳴った。
「ど、同盟国への叛逆など、約定違反であろう! 他の国が許さぬぞ!」
「あいにく、我が国の周りは敵ばかりでして。許してもらう相手がおりませぬ」
グレアムは親書を手に、ランダルムへ近づきながら言った。ランダルムは血走った目でグレアムを視界に捉えながら、部屋の隅へ後ずさっていく。
「何が狙いだ?この国の領土か? 兵士か?」
「その通りです。正確には、その全て、というわけで」
「……儂を殺すつもりか」
つかつかと、グレアムはランダルムに手の届く距離まで近づいた。額に脂汗を浮かべて震えているランダルムに対し、グレアムは涼しい顔で言い放った。
「殺してもよかったんですがね。陛下には、陛下としての役割を全うしたうえで、死んでいただく必要があると思いまして。そうでなくては、この国の国民が不憫でならない」
そう言って、グレアムは初めて悲しそうな顔をした。
アドラルドがパラギアの同盟国としての役割を碌に果たしてこなかったことが、アドラルド侵攻をパラギアに決意させたのだと、グレアムは考えていた。決して皇帝から直接聞かされたわけではなかったが、そう察して余りあるほどに、皇帝はこの男を心底見放していることだろう。国王の生死を自らの判断に委ねさせたのも、国王の生死などどうでもよかった証左であると言える。そのような愚かな男によって戦乱に巻き込まれる国が、国民が酷く哀れに思えた。
グレアムは手に持った信書の封印を破り、ランダルムの眼前に広げた。
「ランダルム・シュタインバッハ国王陛下。貴方に国王たる資格はありません」