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見張りの塔

 体全体が軋むように痛い。勇斗は重いまぶたを持ち上げる。ぼやけた視界の先に、木張りの天井が見えた。

 

 上体を起こそうとした瞬間、全身の筋肉が悲鳴を上げた。あぐぁぁぁ、と自分の声とは思えないガラガラした声が絞るように吐き出された。

 

「おーっ、目が覚めたみたいだな!」

 

 扉が開く音と共に、朗らかで明るい声が飛び込んできた。

 

 声がした方に顔を向ける。紫色の服を着た、茶髪の少年が立っていた。バルーンパンツのスリットからは肌色が覗いている。人間のような体の作りだが、おかしな箇所がいくつかあった。頭部にある狼のような耳。後部からは茶色いフサフサの尻尾が飛び出ていて、ゆらゆらと左右に揺れていた。

 

「ぎみ、は」

 

 喉の奥がジンジンと痛み、うまく声が出せない。

 

「ずっと寝てたから体痛いだろ?」

 

 少年は、ちょっとごめんよ、と言いながら布団をめくり、勇斗の体にそっと手を触れた。少年の掌が、勇斗の身体の上でゆっくりと動く。じんわりと温かい。これは、気功ってやつだろうか。だんだんと痛みが消えていく。目を閉じ、穏やかな感覚に身をゆだねた。

 

「よし、これで大丈夫。体起こしてみて」

 

 勇斗は上体を起こし、ベッドの端に座る。すると、木製のコップのふちが勢いよく口元に当たった。

 

「はい、飲んで」

 

 少しずつ水を体内に流し込む。体中が潤う感覚。思えば、この世界に来てから初めての飲水だった。

 

 喉を鳴らし、水を飲み干した勇斗は、深く息を吐いた。

 

「あ、ありがとう。きみは?」


「オレはミュール。モッケ族のミュールだ。よろしくな!」

 

 ミュールと名乗った犬みたいな少年は、白い歯をこぼし、人懐っこい笑顔を見せた。


「お前、いくつ?」


「えっと、十三歳」


「オレの一個下だな!」


 ミュールは、勇斗と目線を合わせ、微笑みながらうなずいた。


「ホッホ、ようやくお目覚めかいの」

 

「あ、じーちゃん!」

 

 長く裾を引くローブを着た人物が、杖をつきながらゆっくりと部屋に入ってきた。フードを深くかぶっているので顔はよく見えない。白く長い髭と、手のしわと、しゃがれた声から、その人物は老人だとわかった。

 

「あの、あなたは?」

 

「覚えておらぬか?」

 

「いえ、初めまして、です」

 

「ふむ。お主、名前は」

 

「日向勇斗といいます」


「ホホウ、なるほど」


 老人は何度かうなずいたあと、フードをゆっくりと外した。つるりとした頭部と共に、素顔があらわになる。

 

「ひゃっ」

 

 素っ頓狂な声が出てしまった。目が通常の左右の他、額にもついていたからだ。

 

「ワシはロン。怖がらせてしまったかの。三つ目はオル族の特徴でな、生まれつきこうなんじゃよ」

 

「あ、いえ、大丈夫です」


 少しだけ寿命が縮まった気分がした。それにしても、モッケ族にオル族、魔族に精霊。この世界にはいろんな種族が存在するようだ。


「ところで、ここはどこですか?」


「ワシの家じゃよ。お主は森で倒れておった」

 

「オレとじーちゃんでここまで運んだんだぜ」


「ひどい怪我じゃったが、治りが早くての。ちょっと驚いたわい」

 

 勇斗は黒い下着を捲って胴体を見た。包帯でぐるぐる巻きにされている。右手には大きな傷跡があった。だんだんと思い出してきた。大きな鹿に襲われたこと。そしてランパがやられてしまったこと――

 

「ランパは、無事なの?」


「あのチビなら隣の部屋でぐーすか寝てるよ。ユートより早く目が覚めてな。必死でお前の看病をしていたんだぜ」

 

 生きてた。よかった。


「あの鹿は、どうなったのですか?」


「ワシが始末しておいたよ。お主が致命傷を与えてくれたおかげで、簡単に倒せたわい」


「ユート、凄かったぜ。あれは一体どんな魔法なんだ?」


「えっと、あれは」


 勇斗は俯き、浮かない顔をした。


「あの時は無我夢中で、どうやったのか自分でもよくわからないんだ。僕は魔法なんて使えないし」


「なんだそりゃ。変なの」


 ミュールは、ポリポリと頭を掻いた。その傍で、ロンが怪訝な顔をしている。


「ごめん――あっ」


 ふいにお腹の音が鳴った。勇斗の体がぎゅっと縮こまる。

 

「ホッホ。栄養のあるものを食べるといい。ミュールや、準備してやりなさい」

 

「わかった。任せて!」

 

 ミュールは足早に部屋を出ていった。

 

「あと、これを着なさい。その格好じゃ寒いじゃろ」

 

 ロンは棚から黒色の下着とオレンジ色のチュニックを取り出し、勇斗に手渡した。

 

「昔、ワシの知り合いが着ていた服じゃ」

 

「服まで、いいのですか」

 

「構わんよ。今じゃ誰も着るやつがいないからの」

 

「あ、ありがとうございます」


 勇斗は重い体を動かし、ベッドから立ち上がった。とたん、平衡感覚が乱れ、ふらついてしまう。思うように体が動かなかったので、ロンさんに頼んで着替えを手伝ってもらった。


 ふと、部屋の隅に目をやると、装備していた剣と鎧が置かれていた。確か、鎧は大鹿にやられたときに砕けたはずだ。しかし、目の前の鎧は傷ひとつ付いていない。何事もなかったかのように、黄金色の輝きを放っている。

 

「どうした?」

 

「いえ、壊れたはずの鎧が綺麗になってるなと思いまして」

 

「あの鎧は特別じゃからの」

 

「特別?」

 

「まぁ、向こうで話すとするかの。ワシも聞きたいことが山ほどある。ついてきなさい」

 

 勇斗は戸惑いつつ、部屋から出た。隣の部屋からグオーっと声が聞こえる。そっと扉を開けると、ランパが鼻ちょうちんを膨らませ、口からよだれを垂らして寝ている姿が見えた。


 リビングのようなところに案内された。窓から差し込む眩しい光が、テーブルと椅子の木目を鮮やかに浮かび上がらせている。併設されている台所では、ミュールが鼻歌を歌いながら、鍋の中身をお玉でぐるぐるとかき混ぜていた。クリーミーな香りが漂う。またお腹が鳴った。


 座りなさい、とロンに促された勇斗は、木製の椅子に腰掛け、背を伸ばした。

 

「さて、さっきの話の続きじゃが」

 

 ロンは頬杖をつき、勇斗の顔をじっと見つめた。

 

「あの鎧は剣と共に、はるか昔に精霊界で作られたものじゃ。剣は聖剣クトネシス、鎧は精霊器ラクメトと呼ばれておる。扱う者と一緒に成長し、壊れても自己修復される不思議な力があるという伝説の武具じゃ。ルークという勇者が身にまとい、その力で地上を荒らし回っていた魔神を封印したと言われておるの」

 

「そ、そんな凄いものを僕が、どうして」

 

「お主、これらをどこで手に入れた?」

 

「えっと」

 

 勇斗はこれまでの経緯をロンに話した。理解してもらえるか心配だったが、真剣に聞いてくれた。

 

「ふーむ、なるほど」


「驚かないのですか」


「まぁな」

 

「それで、僕はどうしてその伝説の武具を装備できるのでしょうか」

 

「それは、お主に資格があるからじゃの。資格なき者は、持ち上げることすら大変なのじゃ」


 勇斗は口元に手を当てた。訳がわからず不安になる。どうして自分なんかに資格が?

 

「お待たせ。できたよー!」

 

 ミュールがテーブルの上に料理を並べ始めた。細長いパンと白いシチュー。シチューには見たこともない具材がごろごろと入っていた。


 パンに塗る甘いジャムがほしいなと思ったが、口には出せなかった。

 

「どうした? 冷めないうちに食べなさい」

 

「い、いただきます」

 

 木のスプーンでシチューをすくおうとした瞬間、バァンという大きな音と共に、バタバタと床を鳴らす音が近づいてきた。

 

「腹へったーっ! オイラにも食わせろーっ!」

 

 ランパがぴょんと椅子に乗った。起きてすぐに来たためか、緑色の髪は結われていない。寝癖がひどかった。

 

「うんめぇー」

 

 パンくずを床にこぼしながら、ランパはガツガツとパンを平らげた。

 

「ちょ、ちょっとランパ。それ僕の分なのだけど」

 

「いい匂いがすると思ったら、ユートだけずるいぞー」

 

 ランパは勇斗のシチューに手を伸ばそうとした。反射的に勇斗はランパの手を止める。

 

「ホッホ。元気じゃのう。ミュール、この小さいのにも出してやりなさい」

 

「えーっ、こいつ食いすぎなんだけど、また出すの?」

 

 ため息をついているミュールの姿を、ランパは満面の笑みで見つめた。


 食事が終わり、ミュールが皿を片付け始めた。


「ランパ、僕を看病してくれてありがとう。きみも大変な怪我だったのに」


 勇斗は、げっぷをしているランパに顔を向けた。


「精霊はマナを使ってすぐに治るから。でも、ユートの回復力も凄かったぞ。オイラは精霊術で傷口を消毒して縫っただけだ」


 怪我の治りが早いことは、親からも言われたことがある。小学生の頃、神社の裏山で遊んでいた際に迷子になってしまい、その後大怪我を負ってしまったらしい。らしいというのは、そのときの記憶がないからだ。病院に運ばれた頃には、ほとんど治っていたと、後日聞かされた。

 

「ユートよ。もう少し話しておかねばならんことがある」

 

「は、はい。何ですか」


 はっとして、ロンさんの顔を見る。険しい表情をしていた。

 

「伝説の武具はソレイン王国で大切に保管されてきた。二度と使われることはないと、皆が思っていたよ。しかし、三年前、事態は起こった。長い間身を潜めていた魔族が急に活発になり、各地を襲い始めたのじゃ。魔神の封印が解かれたと、国王は確信した」

 

 ガシャンと、大きな音がした。

 

「ご、ごめん。皿割っちゃった」

 

 ミュールは床に散った破片を拾い集める。彼の表情はどこか曇っていた。

 

「ソレイン国王は魔神に対抗するため、急いで伝説の武具を装備できる者を探した。そして見つかったのがアルトという少年じゃった。アルトは王国に招かれ、魔神に立ち向かうための力をつけることになった」

 

「ジジイ、よく知ってんだな」


 ランパ、口が悪いよ。勇斗は目を細めた。

 

「ホッホ。こう見えて、王国の騎士団長をしていたのじゃよ。引退する前の数ヶ月間は、ワシがアルトを訓練してやっての。十歳ながら、上達は凄まじかったのぉ」

 

 魔法使いみたいな格好をしていたので、騎士団長と聞いて驚いた。人は見かけによらないものだ。

 

「訓練は後継に任せて、ワシはこの塔で隠居生活を始めた。王国の親しかった者たちとは伝書鳥で時々連絡を取り合っていたがの。アルトが魔神の城に向かったと聞いたのは半年前。そして行方不明になったと聞いたのが、今から少し前のことじゃ」


「行方不明?」


「そうじゃ。城の最深部には、アルトはおろか、魔神の姿さえなかったと聞く。だから森でお主を見つけたとき、ワシは大慌てで王国に報告しようと思った。でも、元の世界がどうとか変なことを言ってたからのぅ。とりあえず様子を見ることにしたってわけじゃ」

 

「そう、だったんですか。あの、僕とアルトって似ているのですか?」

 

「うむ、そっくりじゃのぅ」


 自分と同じ顔をした勇者アルト。不思議な空間で見た少年はアルトだったのか? じゃあ、彼は今どこに?


「ユート、大丈夫か?」


 テーブルに目を落とし続けている勇斗の横顔を、ランパはじっと見つめた。

 

「ホッホ、一気に話しすぎたかの。外の空気でも吸って気分転換してきなさい」


 玄関の扉を開くと、まばゆい光が一気に差し込んできた。

 

「うわぁ!」

 

 勇斗の目に飛び込んできたのは、透き通った青空と白い雲だった。たくさんの鳥が優雅に飛んでいる。強い風で、チュニックの裾がなびいた。

 

「た、高い」

 

 とんでもなく高い場所に立っている。昔、家族で都心にある展望台に行ったことがあるが、それ以上だ。

 

「ホッホ、ここは塔の屋上。ほれ、ミケーレ大陸全体がよく見えるじゃろ」

 

 勇斗は目を輝かせ、四方を見渡した。広大な砂漠。雪化粧された山。きらめく海。噴煙を上げる火山。見えるもの全てが新鮮だった。

 

「ねぇ、ランパも見なよ。すごいよ」

 

「オ、オイラは別にいいぞ」

 

 ランパは両手を腰に当てたまま、玄関前から一歩も動かなかった。両足ががくがく震えている。

 

「どうしたチビスケ。お前も見たらいいじゃん。ここは絶景だぞ」

 

「や、やめろ! オイラはいい! あとチビっていうな!」

 

 おろおろしているランパをがっしりと胸の前で抱えたミュールは、遠くを眺めている勇斗の横についた。

 

「ピャーーッ、高いーーッ」

 

「ありゃ、気絶した。仕方のないやつだなぁ」

 

 ミュールはランパを連れ、小屋へと戻っていった。ランパは高いところが苦手なのだろうか。

 

「ロンさんはこんなところに住んでいるのですか?」

 

「そうじゃよ。ここは見張りの塔といっての、オル族の始祖が大昔に建てた塔なのじゃ。今はワシ以外には使っておらん」

 

 ロンは杖に頬ずき、にっこり微笑んだ。

 

「不便じゃないですか?」

 

「ホッホ。体力にはまだまだ自信がある。若いもんには負けんよ。あと、こんなこともできるからの」

 

 ぼわん、という音とともに、ロンは姿を消した。代わりに、濃い茶色の羽を広げたフクロウが一羽、浮いていた。

 

「変身した!?」

 

 フクロウへと姿を変えたロンは静かに滑空する。塔の周りをぐるっと一周したあと、勇斗の前に戻ってきた。

 

「さて、ユートよ。お主は元の世界に戻るため、精霊樹へと向かうのじゃったな」

 

「は、はい」

 

「精霊樹は、ミケーレ大陸のはるか北。聖域にあると言われておる。向かうとして、今のお主ではすぐに死んでしまうじゃろう。魔神は消えたそうじゃが、魔族はいまだ活発に活動しておるからの」


 魔族に襲われたことがフラッシュバックされ、思わず後ずさってしまった。

 

「ど、どうしたら――」

 

「ワシがお主を鍛えてやる。久々に腕がなるわい」

 

 勇斗の顔が青ざめた。

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