目覚め
ホッホー! ホッホー!
フクロウの鳴き声が、どこか遠くで響いている。あぁ、そういえばアラームの音をフクロウの鳴き声に設定していたのだっけ。でも、いつもよりリアルな感じがするのは気のせいだろうか。
スマホのアラームを止めようと、手を動かした。定位置にない。おかしいな。
勇斗は重い体を起こした。周囲を見回すと、森の中のようだった。紅葉色の葉っぱが風に揺られ、はらりと舞っている。少し先には木漏れ日に照らされた湖が見えた。なぜ、こんなところにいるのだろう。
ぼんやりしながら、湖に向かって歩く。カチャカチャと金属同士がこすれる音と、ばさばさと布が風でなびく音がする。体全体が質量のあるなにかに包まれている感じがした。
湖のほとりに立った勇斗は透き通った水を眺める。水面に自身の姿が反射した。サラサラとしたブラウンの髪とあどけない顔。額にはサークレット。体には黄金色の鎧と赤いマント。
「え?」
勇斗は自分の体を確かめた。フルアーマー。胴、両腕、両足が金属で覆われていた。籠手――ガントレットは左右で形状が違う。左に装着されているものは五本指が独立して金属に覆われているが、右手に装着されているものは親指以外が一枚の金属で覆われている。鍋つかみのようだ。
左の腰当てには、剣の鞘が取り付けられていた。柄を掴み、少しだけ引き抜くと、銀色が鋭く光った。
「な、なんで僕こんな格好しているの?」
慌ててあたふたした。頭がパニック状態になる中、懸命にこれまで起こったことを思い出した。家を出て、神社の蔵を掃除して、地下に行って、紅い球を見つけて、それから――
真っ暗な空間で自分そっくりの少年が倒れていたこと。側にあった剣と鎧の形状は、今自分が身につけているものと同じだ。
これは、夢?
勇斗は頬をつねる。痛みと同時に金属の冷たさを感じた。
夢、じゃない。
勇斗は全身の力が抜け、カシャンと尻もちをついた。
――いってーな!
どこからか声が聞こえた。甲高い、子供のような声。
「だ、だれ?」
見回すも、誰もいない。
「誰か、いるの? どこ?」
――ここだよ! お前のケツの下!
勇斗がお尻を上げると、そこには小さな木の枝があった。一枚だけ葉っぱがついている。
しばらく見ていると、枝がふわふわと宙に浮かんだ。高速回転したあと、まばゆい光を放射し、ぼわんと弾ける。辺りに煙が立ちこめた。むせる。
煙が晴れると、小さな子供が目をつむって座っていた。緑色の髪を後ろで結っている。羽織られたマントとブーツの色は髪より薄い緑。大きめの腰ベルトにはポーチと短剣が携えられていた。
「あーっ、よく寝た!」
子供は大きく伸びをしたあと、くりっとした瞳を勇斗に向けた。
「オイラを起こしたのはお前か?」
「えっと? きみは誰? どうして急に現れたの?」
立ち上がった子供は、両手を腰に当て、えっへんとした。
「オイラはランパ。樹の精霊さ!」
「精霊?」
「そう、精霊!」
精霊とは、おとぎ話やゲームに出てくる、あの精霊だろうか。目の前にいるのは、どう見ても人間の子供にしか見えない。
「腹へった! なんか食わせろ!」
ランパと名乗った精霊が、人差し指を勇斗に向けて伸ばした。
「え、えぇ?」
食べ物なんて持っていないと言うと、何かされてしまうのだろうか。どうしよう、どうしよう。
辺りを見回すと、青色の果実が実っている小さな木を見つけた。急いで根元まで走る。背伸びをして手を伸ばした瞬間、果実は姿を消した。
「あれ?」
振り向くと、あぐらをかいたランパが満面の笑みで果実を口の中に放り込んでいた。
「うめー、うめーっ! でもこれだけじゃ足りないぞー!」
「あのーっ」
「ん? そういやお前誰だ?」
「ぼ、僕は日向勇斗です」
「ユート!」
ランパは無邪気な笑顔を見せた。瞳がキラキラと輝いている。
「えっと、ランパさん? ここは一体どこなのですか?」
「ユート、お前、ミケーレ大陸のニンゲンじゃないのか?」
「ミケーレ大陸?」
「そう、ミケーレ大陸。マナの源、精霊樹がある大地だ」
全く知らない大陸名だった。世界史は得意分野なのだが、そんな大陸名は聞いたこともない。それにマナって――
「もしかして、ここは異世界?」
「イセカイってなんだ? 食えるのか?」
「違う世界ってことです」
「ふーん、詳しく聞かせろ」
勇斗はこれまでの出来事を、最初から丁寧に説明した。
「なっがい!」
ランパは頬を膨らませ、むすっとした。
「つまり、お前は別の世界から突然ここに来てしまった、ってコトでいいんだな?」
「はい、そうです。それで、僕はどうやったら帰れるのでしょうか」
「うーん」
しばらくの沈黙のあと、ランパが口を開いた。
「オイラ、別の世界なんて知らない。戻し方もわからない!」
唖然とした。すぐにでも元の世界に戻してもらえると思ったのだけれど、その期待はあっけなく消えた。
「というか、オイラ、いろいろ思い出せない。なんでここで寝てたのかもわからないぞ!」
勇斗は、その場に崩れ落ちてしまいそうになった。
「他を当たってみます」
「え、ちょっと、ちょっと待ってくれよぉ」
ランパはひょいと立ち上がり、細く短い眉毛を八の字にして、か細い声を出してきた。
勇斗がランパに背を向け歩き出そうとした瞬間、木々の奥から低い唸り声が聞こえた。
「なんの声?」
獣が姿を現した。
カワウソという、愛くるしい生き物に似ていた。しかし、今こちらを睨んでいる生き物は、全く愛くるしくない。焦点が合っていない目。ガバッと開いた口からは鋭い牙を覗かせ、よだれが垂れている。二本足で立ったその大きさは、勇斗の身長を軽く超えていた。
「ひ、ひぃっ」
チーターの如く、獣は突進してきた。
「うわぁっ!」
衝撃で勇斗は仰向けになった。強い力で鎧を押さえつけられ、身動きが取れない。唸り声と共にポタポタと生臭い液体が垂れてくる。大きな牙が、顔面に迫った。殺される!
「ユートッ!」
突如、二本の蔦が地面から生えてきて、獣にぐるぐると巻きついた。宙に持ち上げられた獣は、狂った叫び声を上げながらじたばたとした。
指を鳴らす音が聞こえたあと、獣の体が逆さになり、勢いよく地面に激突した。鈍い音。動かなくなった獣は、砂のように消え去った。
一瞬の出来事だった。
「あ、あぅぁぁぁ」
心拍数が上昇する。声が出せない。体の震えが止まらない。
今のは魔族か、とランパが少し低い声で言った。
魔族。ファンタジーゲームでいうところの敵キャラ、モンスターってやつだろうか。実在した。おっかない。危険すぎる。
「さ、さっきの蔦は」
「オイラの精霊術だよ。つーか、いつまで転がってるんだ!」
ランパの人差し指が、勇斗の柔らかい頬を突いた。
「あ、ごめんなさい」
勇斗はぎこちなく立ち上がった。足の震えはまだ止まらない。
「危なかったな。もう少しで顔がなくなってるところだったぞ。オイラにカンシャしろよ」
「どうして、助けてくれたのですか? 僕はあなたを見放そうとしたのに」
「どうしてって。誰かを助けるのに理由なんていらねーだろ?」
ランパは、自信に満ちたすがすがしい表情を見せた。
「あ、ありがとうございます。その、魔族というは、沢山いるのですか?」
「魔族は世界中にいる、他の種族を襲う悪いやつらだ。この森にもいっぱいいるって、周りの花や木も言ってるぞ」
周りの花や木って。樹の精霊だから植物の声を聞くことができるのだろうか。というか、あんなヤバいのが沢山いるなら、元の世界に帰る方法を見つけるまでにあっけなく死んでしまう。
死ぬのは嫌だ。はやく家に帰りたい。お母さんに会いたい、お父さんに会いたい――
勇斗は憂えて泣き叫んだ。
「どうしたら、どうしたらいいんだよぅ」
「ユート――」
小さな両手が、勇斗の左手を掴んだ。視線の先には、睨みつけるほど真剣な目つきをしたランパの顔があった。
「オイラがユートを絶対助けてやる。約束した気がするんだ。だから、オイラを信じろ!」
ランパは大声を張り上げた。
何を言ってるのかよくわからなかった。
誰との約束? 助けてくれる?
実際、さっき助けてくれた。一人じゃ確実に死んでいた。今、頼れるのは、目の前の精霊だけ。
「あては、あるのですか?」
「精霊樹に身を宿すマナの女神、チキサ様なら知っているはずだ。オイラが精霊樹まで一緒に行ってやる!」
もう、すがるしかなかった。
「わかりました。お願いします」
「やったー!」
ランパは目をキラキラさせた。
「じゃあ、契約するぞ。精霊がニンゲンと一緒に行動するには契約をしなくちゃいけないんだ」
「どうすればいいのですか?」
「目を閉じてくれ」
言われるがまま、瞳を閉じる。突然、周りの空気が変わった。頭の中にランパの声が響く。
――オイラの言葉をそのまま言ってくれ。
「大いなる生命の源よ」
「大いなる生命の源よ」
「種蒔き、芽吹、開花せよ」
「種蒔き、芽吹、開花せよ」
『我ら、今ここに契りを結ぶ』
突然、口元に違和感を感じた。生まれて初めての感触。柔らかく、温かい――
「ぷはっ! 契約しゅーりょー! これでオイラとユートはイッシンドータイってやつだ!」
ランパは無邪気な笑顔を見せた。
「ん? どーしたユート?」
「契約って、こういうことなのですか?」
勇斗は顔を赤らめ、口元を押さえた。まさかファーストキスが精霊だなんて。いたたまれない気持ちが、こみ上げてくる。
「ところで、精霊に性別ってあるんですか?」
「オイラは男だぞ。ちゃんとついてるからな!」
やるせない気持ちも、こみ上げてきた。
「ユート、なんか光ってるぞ」
勇斗が装着している鎧から、光があふれていた。サークレットの中央に埋め込まれた宝石は蒼く煌めき、胸当てとガントレットに埋め込まれた宝石からは真紅の光が放射されていた。
「剣も光ってるぞ。ちょっと抜いてみろ」
勇斗は慌てて鞘から剣を抜いた。長くて、重量感のある見た目だが、羽のように軽い。鍔に埋め込まれた宝石は緑色に輝き、柄頭に束ねて取り付けられた被毛は淡く茶色い光を帯びていた。
しばらくすると、光は落ちついた。
「な、なんだったんだ」
「ユートの、その剣と鎧」
勇斗が身につけている武具を、ランパはじっと見つめた。
「何か思い出したのですか?」
「懐かしい感じがする。でも、全然思い出せない。つーか、その喋り方やめろ。なんか気持ち悪い! 普通に話せ!」
気持ち悪いと言われて、心にひびが入った。ここは素直に従おう。
「えっと、じゃあ、普通に話すよ。いいかな?」
「うんうん。それそれ」
「これからよろしくね。ランパ」
「まかせろユート! オイラ、今、すごくうれしい!」
ランパは勇斗の周りを駆け、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。そして派手に転んだ。顔面から地面に激突する。
「だ、大丈夫?」
「でへへ、平気」
ランパの額から、赤い液体が流れていた。
「精霊って、血が出るんだ」
「出るもんは出るし、痛いのも感じる。ま、こんなもんマナを使ってすぐ治るから平気!」
ランパは起き上がり、にっと笑った。
精霊って霊的な存在だと思ってたけど、案外人間らしいんだなぁ。さっきも美味しそうに果物を食べてたし。
「よし、じゃあ行くぞ!」
「あ、待ってよ」
ホッホー! ホッホー!
木の上で、大きなフクロウが二人の様子をうかがっている。
二人が歩みを始めた瞬間、フクロウは飛び去った。