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アルト

 荒れた大地に座り込んだアルトは、剣の手入れをしていた。そばでは、焚き火がパチパチと、静かに弾ける音を出している。

 

 月の光が長剣を照らす。剣の表面に映し出されたアルトの顔は、十三歳の少年には似つかわしくないほど険しい。強い責任感と決意が、彼の瞳に宿っていた。

 

「アルトくん、そろそろ寝ないと体が持ちませんよ。明日はついに魔神の居城に潜入するのですから」

 

 岩に腰掛けたトゥーレは、細長い人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げると、女性のように美しい顔をアルトの方へ向けた。

 

「トゥーレさん、ボクには構わないで下さい」

 

 アルトはすぐに視線を戻し、再び剣を磨き始めた。荒野を駆け抜ける夜風が、彼のさらさらとしたブラウンの髪を揺らす。

 

「やれやれ」

 

 トゥーレは読んでいた本を閉じる。グレーの長髪を掻き上げ、夜空を見上げた。

 

 ソレイン王国の魔術師であるトゥーレは、アルトの魔法の師匠だった。物腰が柔らかい男だが、実力は確かであり、ありとあらゆる魔法を操ることができる。来年、三十歳になるらしい。いよいよおじさんの仲間入りです、とよく嘆いていた。

 

「アルト、キンチョーしてるぅ? まぁ、大事な戦いだから無理もないよねぇ」

 

 高い声が耳についた。


 ふわりと浮かんでいる精霊ペックが、背中についた羽を小刻みに動かしながら、のんびりとあくびをした。

 

「ペックも早く休んでマナを回復しなさい。あなたの治癒の精霊術がないと大変なのですから」

 

「トゥーレの旦那はいつも精霊使いが荒いからねぇー」

 

 ペックは、羊のようにモコモコしたクリーム色の髪を掻き回した。

 

「アルト、ちょっといい?」

 

 アルトの額に、ペックの手がそっと当てられた。体の内部に温かいものがじんわりと流れ込んできた。

 

「何をした?」

 

 アルトの冷たい瞳が、ペックを睨みつける。

 

「そんなにこわい顔しないでよぅ。明日なんとか勝てるように、ちょっとしたおまじないをしてあげただけだよ」

 

「ペック、早く寝なさい」

 

 トゥーレが顔をこわばらせながら言った。

 

「はいはい。じゃあ、ボクちんもう寝ます! みんな、おやすみぃー」

 

 はにかんだペックは、小さな両手を振りながら、闇へ溶けていった。

 

 ペックは、トゥーレと契約を結んでいる光の精霊であり、治癒の精霊術を得意としている。治癒魔法というものは存在しないので、大怪我をした際の回復は彼の手に委ねられている。見た目も性格も子供のようで、いつも騒がしいところが気に障る。

 

 しばらくして、荒地の奥から二つの影が現れた。スケイルアーマーを身につけた金髪の少年と、兜を被った小さな狐が一匹。

 

「トゥーレ様、ただいま戻りました」

 

「やっぱり、あの火山のふもとが入り口で間違いないわ」

 

 トゥーレが立ち上がり、二人に向けて微笑んだ。

 

「ラガン。チロ。偵察ご苦労様でした。あなたたちも明日に備えて休んでくださいね」

 

「わかりました」

 

 ラガンが、深く腰を曲げてお辞儀をした。その横では、精霊チロが三つある尻尾を振っている。

 

「おいアルト、まだ剣を磨いているのか。よく飽きないな。そんなに手入れが好きならオレの槍も磨いてくれよ」

 

 ラガンは、手に持った槍の柄を地面に叩きつけ、吊り上がった目でアルトを見下ろした。

 

 アルトは返事をせず、黙々と剣を磨き続けた。

 

「ちっ、愛想悪いな。あーあ、オレは何でこんなやつのお供なんかしてるんだ」

 

「ラガンちゃん、私たちは勇者アルトの護衛を任された精鋭なのよ。そんなこと言っちゃだめ。精霊騎士として誇りを持たなきゃ。というか、あなたたち同い年なんだからもっと仲良くしないと」

 

 ラガンは騎士団長の息子であり、槍さばきは大人顔負けだ。しかし、出会った時からずっと、見下すような発言をしてくるので、正直鬱陶しい。

 

 チロは、ラガンと契約している鋼の精霊だ。彼女の精霊術は、無から生み出した三つの鋼鉄をさまざまな武器に変化させることができる。その力で、これまで幾匹もの魔族の体を貫き、葬ってきた。野蛮な力とは裏腹に、性格は非常におっとりしている。

 

 それにしても、護衛なんて名ばかりだ。途中で逃げ出してしまわないよう、見張っているだけなのはわかっている。見張りの精鋭なんて、聞いて呆れる。

 

 アルトは磨き終わった剣を鞘に収めたあと、イグナムが入った皮の水筒の蓋を開けた。

 

「お前、そんな強い酒よく飲めるな」

 

「ラガンちゃんはすぐに酔っ払っちゃうからね」

 

「うるせぇ」

 

「うふふ」

 

 チロはラガンの肩に乗り、前脚で顔を洗い出した。

 

 イグナムを飲み干したアルトは、体を横にした。目を閉じ、明日倒すべき敵の姿を想像する。魔神、一体どんな強さを持っているんだ。今の実力で勝てるのか? いや、絶対に勝たなければならない。魔神を倒す。そのために、今日まで生きてきた。

 

 明日全てが終わる。終わらせる。

 

「こうして見ると、アルトくんも年相応の男の子ですね」

 

 すぅすぅと寝息を立てているアルトの顔を見たトゥーレが、呟いた。

 

「トゥーレ様も早くお休みください」

 

「私は魔法の結界を張ってから休みます。ラガンくん、お先にどうぞ」

 

「お言葉に甘えます。おい、チロも休んどけよ」

 

 スケイルアーマーを脱ぎ、地面に転がったラガンが目を閉じながら言った。「ええ」とうなずいたチロは、煙のように姿を消した。

 

「明日――いよいよですね」

 

 トゥーレは夜空を見上げ、杖を夜空に向かって掲げた。

 

「おや? あれは」

 

 月が二つ、寄り添うように並んでいる。その周囲の空が、一瞬だけ歪んだ。やがて、黒い雲が二つの月を覆い隠した。

 

 

 黄金色の鎧を身にまとったアルトは、洞窟を進んでいた。地面から湧き上がる熱気で、鎧に付けられた赤いマントが静かに揺れる。

 

 洞窟内は、チリチリと肌を刺すような熱気が立ち込めていた。暑さが一行の歩を鈍らせる。

 

「あちぃ、鎧脱ぎてぇ」


 右手に槍を、左手に大きな盾を構えたラガンが嘆く。

 

「ニンゲンは不便ね」

 

 ラガンの肩に乗っているチロは、三本ある尻尾をふりふりと動かした。尻尾の先は、剣のように鋭く光っていた。

 

「精霊はいいよな。暑さも寒さも痛みも感じないし。何も食べなくても平気だし」

 

「そういう体なのよ。精霊は」

 

 チロはぴょんと地面に降りた。

 

「あーあ、早く城に帰って風呂に入りてぇ」

 

「魔神を倒せば終わりです。頑張りましょう」

 

「魔神ねぇ。どんだけ強いんだか。まぁ、オレとチロの連携なら楽勝だと思うけどな」

 

「ラガンくん、自惚れてはいけません。魔神を倒すことができるのは、伝説の武具を身につけることができるアルトくんだけなのです。私たちの役目は、彼を全力でサポートすること。いいですね?」

 

「――わかりました」

 

 唇をきゅっと引き結んだラガンは、槍の柄を地面に勢いよく押しつけた。硬い音が洞窟内に反響した。

 

「結局、オレたちは勇者様のお飾りなんだな」

 

「ラガンちゃん」

 

 チロの細長い目は、どこか苦しげな厳しい表情をしているラガンをじっと見ていた。


 洞窟を抜けた先は、石造りの広間だった。むせ返るような瘴気が立ち込めている。ここが、魔神の居城か。しかし、静かすぎる。ここまで魔族の一匹たりとも遭遇しなかった。罠か?

 

 大きな地鳴。天井が崩れ、先ほど抜けてきた洞窟の出口が完全に塞がれた。

 

「退路が絶たれてしまいましたか」

 

「うわっ、あれじゃ戻れないよー! どーすんのさ!」

 

 ペックがわーわーと大声を上げながら、トゥーレの周りを飛び回った。

 

「ペック、落ち着きなさい。進みますよ」

 

 広間の中央に差し掛かったとき、チロが急に足を止めた。落ち着きなく、辺りを見回す。

 

「どうした、チロ?」

 

「マナの流れがおかしいわ」

 

 突如、一行の足元に大きな魔法陣が出現した。

 

「気をつけて下さい! 転送の魔法です! どこに飛ばされるかわかりませんよ!」

 

 トゥーレが叫ぶ。

 

 一行は粒子となり、消えた。

 


 アルトは宙に浮いていた。体を回転させ、岩の上に着地する。

 

 辺りを見回す。ただただ広い空間だった。赤い線の入った石の壁、見えない天井。床にはマグマが広がっていて、熱気が凄まじい。足場と言えるのは、マグマの海に点々と浮いている岩だけだった。足を滑らせ、落ちたらひとたまりもないだろう。

 

 アルトの目線のはるか先には、漆黒の鎧をまとった者がマントをなびかせ、静かに佇んでいた。体格は大柄。手には身長の倍はある巨大な斧が握られている。顔はフルフェイスの兜に覆われ、見えない。

 

「魔神――」

 

 直感で、目の前にいる者が魔神だとわかった。これまで戦ってきた魔族とは全く違う、感じたこともない威圧感。見ているだけで背筋がゾクゾクする。剣を握る手が震える。深い呼吸をして、剣を握り直す。

 

「魔神、ボクは貴様を倒す」

 

 アルトが剣先を魔神に向けた。

 

 魔神は、静かに斧を構えた。兜の奥から、地を這うような低い声が発せられ、空間に響いた。

 

「ほざけ、小僧」

 

「いくぞ」

 

 先に動いたのはアルトだった。軽やかな身のこなしで岩から岩へと飛び移り、魔神へと接近する。跳躍。魔神の兜に狙いを定め、一気に剣を振り下ろす。

 

 金属同士が激しくぶつかる音。魔神の斧がアルトの剣を受け止めていた。

 

「くっ」

 

 アルトは魔神から距離を取り、魔法の詠唱を始めた。周囲のマナを左手に集約させる。今使える最大威力の魔法を、魔神にぶつける。

 

 黄色い魔法陣が、魔神の頭上に出現した。

 

「聖なる雷よ、闇を薙ぎ払え!」

 

 魔法陣がバリバリと音を立てる。雷鳴と共に、激しい稲妻が魔神に襲いかかった。

 

「ふんっ」

 

 魔神は微動だにせず、素早くマントをひるがえした。黒いマントに雷が吸収されていく。

 

 アルトは舌打ちをした。魔法はだめか。ならば、物理で攻め込むのみだ。

 

 再度跳躍しようとしたとき、魔神が斧を天に掲げた。

 

「闇の雷よ、光を蝕め」

 

 魔神が詠唱を始めると、黒い魔法陣がアルトの頭の先に描かれた。

 

 黒い稲妻が全身に降り注いだ。焼けるような痛み。思わず悲鳴が口から漏れてしまう。

 

 片膝をついたアルトの体から、黒煙が噴き上げていた。

 

「ふぅ、ふぅっ――」

 

 痺れる体に鞭を打ち、立ち上がる。これくらい、何ともない。呼吸を整え、再び剣先を魔神に向ける。

 

 アルトは再び跳んだ。マグマから溢れる熱気が、彼のマントを激しくなびかせた。

 

 巨体の懐に潜り込み、剣を振る。刃が魔神の鎧を砕いた。割れた鎧の隙間から、黒い液体が流れる。魔神は短く唸った。効いているか?


「ぐふっ」

 

 腹部に衝撃が走った。魔神の拳が、アルトの鎧を破壊し、みぞおちにめり込んでいた。口腔内に血が溜まる。耐えきれなくなり、口から血を吐き出す。同時に体が大きく飛んだ。

 

 殴り飛ばされた小さな体は、壁に激しく叩きつけられた。再び吐血する。幸い、壁の下には大きな岩が浮かんでおり、マグマへの落下は避けられた。

 

 体勢を立て直す。砕けた鎧の破片がボロボロと落ちる。ダメージは深刻だが、まだ、やれる。負けるわけにはいかない。

 

「おおおおおおおおおっ!」

 

 両者の咆哮。

 

 一進一退の攻防が繰り広げられた。飛び散る火花。赤い血と黒い血が、お互いの武具を汚していった。

 

 魔神がよろめいた瞬間を、アルトは逃さなかった。

 

「はあぁっ!」

 

 アルトは渾身の力で、剣を魔神の胸元に投げつけた。

 

「ごおおおおおあぁぁっ――」

 

 低い唸り声が空間に轟く。

 

 剣が、魔神の鎧を貫いた。アルトが剣を引き抜くと、魔神の胸元から黒い血が噴射する。

 

 魔神は巨体をぐらつかせながら、マグマの底へ消えていった。

 

「はぁっ、はぁっ――」

 

 アルトは荒い息を吐きながら、剣を鞘に納めた。

 

 勝った。

 

 刹那、アルトの両目が大きく見開かれた。

 

「なっ――」

 

 三本の光が、アルトの体を貫通していた。右太腿と左脛、そして腹部に大きな穴が空いた。三つの穴から、赤い液体がドロドロとあふれ出す。

 

「あっ、がっ、ぐふぅっ」

 

 アルトの口から大量の血が吐き出された。まともに立つことができない。視界がぼやける。


 よろめいた小さな体は、マグマの海に沈んだ。全身が焼けていく。

 

「これで邪魔者は消えた!」

 

 けたたましい笑い声が響き渡る。直後、空間が激しく振動を始めた。


 落盤。荒れ狂うマグマ。


 勇者と魔神の決戦の場に、大きな次元の歪みが発生した。

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