魔聲を聴く
〈分かり易過ぎる言葉や「夏嫌ひ」 涙次〉
【ⅰ】
さて、殘るは君繪の實の兩親と契約を交はした、とされる「大物」の【魔】だ。「大物」と云へば菜津川暑子の父も「大物」の【魔】だつたらしい。まさかそこ迄偶然は重ならぬだらうとは思ふものゝ、魔界も今や人材難なのである。だう出たものやら、實際にその【魔】に当たつてみなければ分からない。
テオ「菜津川くんの父君つて、何て名前?」菜津川「それに答へなくちやいけないんですか?」テ「出來れば答へて慾しいんだけどな」菜津川「...」沈默してしまふ。じろさん「強情を張るのはいゝ加減にしたらどうだ」菜津川、こゝで泣いてしまふ。案外、「女の武器」を使ふのが上手いのだ。
【ⅱ】
仕方なく、じろさん、切り札を使つた。「そんな事ぢや、採用は覺束ないな。出て行き給へ」菜津川「二言はないつて云ふのは噓だつたんですか?」じ「きみにはまだ『プロジェクト』と云ふ帰る場處がある。甘えるのもこれ迄だ。さあ荷物を畳んで、出て行きな」菜「え、え、えー!?」菜津川、つひに馘首である。確かに、彼女は一味の美學を共有出來さうになかつた。
【ⅲ】
カンテラ「菜津川、クビだつて?」じ「仕方ないんだ。一味が何かの慈善團體だとでも、思つてゐるらしい」カ「まあかう云ふのも何だが、惡い芽は早く摘んだ方がいゝ。クビも致し方ないよ」
菜津川、先日の鬱勃とした面持ちはどこへやら、悄然とした顔で「プロジェクト」ロッカールームの鏡に向かつてゐる。其処で彼女は【魔】に變じた‐
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〈物語作家と自稱するけれど物語にはスランプなどない 平手みき〉
【ⅳ】
菜津川にとつて【魔】に變身するのは、正義感を振り回した己れの「コード」に抵触するものゝ、容易い事だつた。一味は、君繪ばかりを愛して、わたしの方はちつとも向いてくれない... 自己憐憫は彼女の得意とするところ。確かにこれでは【魔】の呼び聲から身を離すのは難しからう。
【ⅴ】
ついでに云つてしまへば、君繪の魔界の兩親とあの惡辣な契約を取り交はしたのは、菜津川の父親だつた。テオ、久し振りに情報収集の現場に戻り(其処ら邊は臨機應變に)、その事を調べ上げた。
カンテラ「今頃、菜津川は己れの中の魔聲を聴いてゐるに違ひない」‐「プロジェクト」に連絡すると、佐々キャップ、確かに調子を崩してゐるやうだが‐ との答へ。
因みに、今回のテオの秘密兵器は、「テオ・ブレイド」である。猫の前脚に取り着けられる折り畳み式の刃で、安保さん得意の鋼鉄錬成工學が生かされてゐる。カンテラの傳・鉄燦に勝るとも劣らぬ逸品である。
【ⅵ】
カンテラ「さて、斬るか」。じろさん・テオを引き連れ、カンテラ「プロジェクト」本部に乘り込んだ。「佐々さん、風紀紊乱の罪で、菜津川を退治に來た」‐「風紀紊乱?」‐「【魔】が『プロジェクト』に與へる影響の事さ」
對するは、菜津川と菜津川の父親。父親は「大物」【魔】との触れ込みだつたが、カンテラ「しええええええいつ!!」一刀の元に斬り伏せた。菜津川、じろさんには「古式拳法」を習ふ身であつたが‐ その師恩も忘れ、まるで狂犬病の犬のやうに、「がるゝゝゝ」と喰ひ付いて來る。じろさん、投げ技一閃! あとはテオ・ブレイドが待つてゐた...
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〈植田なる苗字嬉しや農家の出 涙次〉
これが一部始終である。菜津川はつひにこの世から葬り去られた。カネは、これはやはり「プロジェクト」に持つて貰はなきや、と云ふ事で。ついでに仲本担当官の方から、「陳謝の言葉」があつた。元はと云へば、菜津川のやうな【魔】候補生を、「プロジェクト」が飼つてゐたのがいけなかつた。‐君繪の仇は不充分だらうが討たれた。そんな譯で。また。