1 帰国
「お帰りなさい!総統閣下!」
「お疲れ様です。総統閣下」
口々に言葉をかけてくる閣僚達。
「あぁ、ありがとう諸君。留守中かわりはなかったかね?」
俺は、足掛け4か月近くにも及ぶ外遊を終えライヒに帰国した。
出国した時はまだまだ真冬の様相だったが、すでに5月ともなると高緯度に位置するライヒも新緑が眩しい季節となっている。
そんな長い旅の中で様々な感想が俺の中を駆け巡ったが、帰ってきて思うことは『遠すぎだろ・・・』ということだ。
やろうすれば航空機やシベリア横断鉄道を使用することで大幅に旅程を短縮出来ただろうが、悲しいかな俺は敵が多い独裁者だ。
船便で行く以外の選択肢はなかった。
(まぁ、取り敢えずは政変などはおこってなさそうでなによりだ)
港から官邸に戻ってくる際も、ゲッペルスが手配したのか市民がちょび髭党の旗を振ってくれる以外は特段おかしな様子はなかったし、こうして一堂に会した閣僚達も誰一人欠けている人間はいなかった。
側近3人組の三すくみ体制と、ノイラート大臣やシャハト大臣ら旧政府側(こう勝手に俺は分類している)と軍部がさらに大きな枠での三すくみ体制となり絶妙なバランスでちょび髭政権は安定している。
それに対して日本はある意味ライヒ以上に政権は脆弱となってしまっていた。
ライヒと違い軍部の権力が強力すぎるのだ。
(その辺は石原莞爾達がジョーカーとなり抑えにまわってくれることを期待するしかないな)
日中戦争が起こらないように手を尽くしたつもりだが、流石に地球の反対側の情勢をコントロールなど出来るはずもない。
一応、日本から帰国する旅路の途中で国民党政府とも会談してきたが、どう転ぶか予断を許さないといった感じだ。
ある意味日本の状況と似ているのだが、そもそも国民党政府自体も首脳部は日中戦争は回避したい構えなのだ。
蔣介石総統は、張学良の暴走を俺が間接的に阻止した事に感謝の意を表すこと頻りであったし、総統自身も日本との戦争など『少なくとも今は』絶対すべきではないという見解をもっている。
日本側も中国側も、互いが戦争になれば、攻守の立場は違えど『負けはしないが勝てもしない』といった状態になり戦争が泥沼化するだろうということは分かっているのだ。
互いの首脳部が戦争を忌避しているのであれば戦争は起きなさそうなものなのだが、そこで問題になるのが互いの血の気の多い国民だ。
中国の民は過去一世紀のあいだ諸外国に搾取されたことを恨みに思っているし、日本も日本で英米仏のブロック経済から弾かれた以上中国大陸に活路を見出すしかないと考えている。
(どこの国も国民感情には悩まされるものだな・・・)
政治家というのは船頭みたいなものだろう。
国家という船の行先を操るのが役目だが、船に乗る国民という名の乗客が片側に偏ったりして重心がおかしくなったらまともに船頭の役目を果たせやしない。
ライヒも日本も、そしておそらくは世界中の多くの国が世界恐慌という未曾有の危機で国家の重心がおかしくなってしまっている。
独楽と同じで重心がおかしくなった国家は次第にうまく回らなくなりふらつきだす。
そんなふらつき出したコマは互いにぶつかり合う羽目になってしまう。
(まぁ、他国は他国か)
思考があらぬ方向に散らばりかけた自分に活を入れ、改めて閣僚達に意識をむける。
「親衛隊は特に問題はありませんが、ちょび髭党の党員の中にはユダヤ人問題について反発する者も見受けられました」
そう報告を上げだすのはヒムラーだ。
「親衛隊は大丈夫か。流石はヒムラーだな。党員たちの抑えはききそうなのか?」
「ありがとうございます!閣下!党員たちは親衛隊がまとめますので問題ありません!」
ねぎらいの言葉に得意げになるヒムラー。
それに対して顔がひきつるのはゲーリング。
(当然だが、相当あくどい手をつかってるんだろうな・・・)
おそらくだが恐怖政治に近いことをやっているのだろう。
ユダヤ人問題を緩和して穏健路線に切り替えたいのに、むしろ恐怖政治に突き進もうとするどうしようもない状況になっているようだった。
「・・・ほどほどにしておくように」
思わずそう言ってしまうが、それに対して『ハイルちょび髭!』と勢いよくヒムラーは返してくる。
不安しかない。
独裁を維持する手段として恐怖政治はよく使われるが、これは諸刃の刃だ。
暗殺をするものは、暗殺に怯えることになる。
(できれば枕を高くして俺は寝たい・・・)
自らの安眠の為にも、恐怖政治に歯止めをかけることを俺密かに心に誓う。
「党の状況は分かったが、その他はどうなっているかね?」
俺は他の閣僚にそれぞれの受け持ち分野の報告をあげるよう促すのだった。