33 ちょび髭総統と晩餐会-2
「陛下それは!」
宮内省の人間とみられるお付きの人間が思わず声をあげる。
「・・・」
それを陛下は手で制し、俺をじっとお見つめになる。
(すべてはこの問いにかかっている・・・か)
なにげない一言。
言葉の体裁は、帝国からライヒに派遣させる臣民を思いやっての発言と一見受け取れる。
いち臣民のことすら思いやる、慈悲深い君主の性格の発露のような言葉。
(だが、陛下の目はそれ以上を物語っている・・・)
ライヒがユダヤ人を迫害していることは情報通の人間なら誰もが知るところ。
当然、陛下の耳にもはいっているのだろう。
しかもちょび髭は自らの著書の中でアーリア人こそが至高であり、その他の民族は従属すべきと語っている。
当然、大和民族はその他の側だ。
そんな事を考えているちょび髭が同盟を組もうと誘いにきた。
尋常な事態ではない。
(その真意を見極めようとするのは陛下のお立場からすると至極当然)
だが、それは中島勝であった俺だから抱く想い。
当然、ライヒからの随行員は勿論のこと、大使達も皆一様に色めき立っている。
『東洋人の分際で失礼な!』と今にも言い出しそうな雰囲気だ。
そして、そんな色めき立つライヒ側の陣容を目にして、日本側にも剣呑な雰囲気が徐々に広がり始めてしまっている。
(俺の次の発言次第・・・か。)
双方まだ破裂していないのは、陛下から渡された会話のボールが俺の手元にあるからだ。
(無難な答え方は・・・ある)
陛下のご発言はあくまで日本の職人を思いやってという体裁を取られている。
それにのっかり『勿論ですとも!ライヒは友人を大切にします!』みたいなことを言えば、皆取り敢えず矛先を収めるだろう。
陛下の御前の場で外交の中身を語る方がある意味非常識なのだ。
俺の『常識的』な対応にライヒ側も日本側も『常識的』な反応を返すだけだろう。
おそらく、陛下もそれ以上の詰問はされないはずだ。
(だが・・・)
俺は手元のグラスの清酒をみる。
僅かにとろみを帯びた透き通る液体が静かに揺らいでいる。
初見ではただの水にすら見える。
良く知らぬ異国の人間は取るに足らぬ酒と切って捨てるかもしれない。
俺は改めて顔を上げて陛下の目を真っ直ぐに見る。
目が合った陛下が微笑まれたように俺には見えた。
「・・・ライヒは数年前までどん底でした。そして今もまだもがいております。」
「閣下!!」
思わず声を上げる大使を今度は俺が手で制す。
「苦境にある人間は寛容さを失うものです。それはライヒの人間も変わらない。貴国から来られる職人の方に心無い発言をする者もいることでしょう」
招待している側の国のトップのあまりの発言に日本側に動揺がひろがり、ライヒ側の人間の顔が青くなる。
だが、そんな一同の様子を気にすることなく、陛下はただ黙って俺の言葉に耳を傾けられる。
「ですがライヒの民は実直で勤勉です。情で曇った眼も貴国の職人と交流することで次第に開かれるでしょう。また『郷に入っては郷に従え』ということわざが貴国にはあるそうですね。そんな精神をもつ貴国の民はライヒの民と次第に溶け合っていくことでしょう。」
ここまで言って、俺は清酒の横に置かれていた水を一口飲む。
「そうやって貴国の民とライヒの民のように全ての国の民が手を取り合えればいい。ですが、世界情勢は過酷です。受け入れる寛容さを失った国や、謙虚さも無く他国に土足で入り民を搾取する国で溢れている。これから必ず時代は動くことになるでしょう。そんな時代だからこそライヒは貴国と手を携えたいのです。ライヒと貴国はこれまで必ずしも良好な間柄ではございませんでした。ですが、過去は過去です。貴国からの職人の派遣は必ずや未来の礎となるでしょう」
(とりあえず言うべきことは言ったが・・・)
俺の言葉が陛下のお心にどう届いたのかは俺には分からない。
それどころか、陛下が尋ねたかったことに答えることが出来たのかすら分からなかった。
『そこまで我が民のことを想ってくれるているとはお心強い』とおっしゃる陛下のお顔には相変わらず柔和な笑みが浮かべられている。
しばらくの間静寂が続く。
俺が話した、観念的な話をどう受け取ったら良いのか双方戸惑っているようだった。
「帝国も貴国もそうならないようにせねばなりませんね」
ポツリと陛下がつぶやかれた。
そのお声は小さいものだったが不思議とその場に響き染み込んでいった。
「・・・そうですね」
俺はとっさにそう答えるのが精一杯だった。
何故なら俺は知っているからだ。
これからライヒが進む道は綺麗ごとでは済まない事を。
既に引き返せないところまで進んでしまっていることを。
ライヒが対外拡張を図ることでしか、今の仮初の経済発展を維持できない事を。
世界のことを考えるなら今すぐ軍拡をやめ、財政健全化に勤しむべきだろう。
回復しかけのライヒの経済が再びどん底になろうが、それでちょび髭党が暴走して俺が殺されようが、これから全世界で捲き起こる惨劇と比べれば些細なものだろう。
勿論ホロコーストなぞさせる気もないし、独ソの泥沼戦をする気もない。
都市を焼け野原にさせなどしない。
だが、それでも多くの犠牲が生まれるだろう。
どう少なく見積もっても10万単位での犠牲が出る。
もし俺が自分の身とライヒを顧みず行動したら、戦争の発生すらも防げるのかもしれない。
(だが、その道は選ばないと決めたのだ)
わが身可愛さがあることは否定しない。
だが、俺はライヒの総統だ。
俺が責任をもつ相手は第一にライヒの民である。
ライヒの民が胸を張り豊かに生きていく未来を創るのが今世での俺の使命なのだ。
俺は先ほどからグラスに入ったままの清酒をあおる。
真水のように透明に透き通る液体は、芳醇で帝国が歩んできた悠久の時の重さを感じるさせる味わいだった。
「帝国のお酒はお気に召されましたか?」
そう俺に微笑みながら問いかける陛下はまだ俺のことを見ておられたが、その透き通るような瞳からはあの不思議な威は消えていた。
気付けば先ほどまでの何処か緊迫感すらあった場の雰囲気も掻き消えていた。
(流石は生まれついての帝ということなのか。これは・・・敵わないな)
「ええ、大変美味しいですね。一体どこの銘柄でしょうか?ぜひ、このSAKEを作っている方をライヒに招待したい」
こうなるともう普通の会食と変わらない。
俺は純粋に日本食と陛下との会話を楽しみ、先ほどまでの空気は嘘のように、和やかに会談は過ぎて行くのだった。
すいません、ちょっと早めの夏休みを満喫しておりました。
キャンプ場で小説書こうとしたのですが、全く無理でしたOrZ