31 幕間 石原莞爾
「閣下、ちょび髭総統との会談はいかがでした?」
参謀本部に戻る車の中、黙り込む石原にしびれを切らしたのか、田中大佐が口をひらいた。
「そうだな、ある意味予想以上。ある意味予想以下といったところだ」
暫く迷った末、石原は口を開いた。
「総統閣下の目的は帝国との軍事同盟に他ならないだろう。それ自体は意外ではないが・・・」
(想像以上に確固たる信念をもっておられた)
前大戦で敗北を喫し屈辱的な講和条約を結ばされた独逸人にとって、英仏(特に仏)は憎くて仕方ない存在。
そしてその憎しみから独逸は英仏への報復の機会を窺っており、それゆえの昨今の欧州情勢だという認識を石原はもっていた。
反英仏の急先鋒であるちょび髭党の指導者である総統閣下も『英仏憎し』が行動の原動力と石原はさきほどまで考えていたのだ。
(だが、全然ちがった。総統閣下はかなりのリアリストだ)
会話の合間に前大戦の話を混ぜても全く食いついてこない。
それどころか、独逸人特有(?)の仏蘭西への怒りや憎しみといった感情のかけらも垣間見えてこないのだ。
まさに独逸人としては異常。
例えるなら長州閥をなんとも思わない会津出身といったところ。
(その時点でもかなり予想外だが・・・)
感情的な人物という前評判とは異なり冷静も冷静。
こちらの挑発にも全くのってこなかった。
そして口から出る言葉は冷徹な現実主義。
全ての考えが経済に基づいている。
主義思想などではなく、単に経済的事情から英仏米と日独は対立が不可避なこと。
驚くべき事にユダヤ人排斥問題すら総統は切って捨てたのだ。
『経済的困窮を分かりやすい誰かの為にしたいのだよ、人というものは』と苦笑する総統には流石の石原もあっけに取られたものだ。
「総統閣下は、英仏を恨んでいるとかそういった様子はなかったな。ただそこにあるのは、このまま座して何もしなければ独逸が2等国に成り下がるということへの危機感だけだったな」
「ほう、危機感ですか?」
興味深げな声色で田中大佐が問い返す。
「そうなのだ、総統が持っているのは危機感だ。それも未来に対する危機感だ」
総統自身、今の独逸のやり方は急進的だと自覚しているように石原には見えた。
だが、それでも今をおいて他はないと考えているようだった。
(まさか最終戦争理論を独逸国の指導者から聞くことになるとはな)
これから人類の兵器はますますその殺傷力を高めていき、いずれは戦争を行うことが不可能となる。
したがって、次の大戦が人類最後の大戦争となる。
そんな最終戦争理論をなんとちょび髭総統も考えているようだった。
(それ自体は自分でも考えていた理論ではあるが・・・)
ちょび髭総統と石原の考えで違っていたのはそのタイミングだ。
石原としては満洲国の開発を推め、中国と連携し国力を高めた上で、英米に挑戦できるようになるのは10年はかかると考えていただのが、その考えは総統閣下に一笑に付された。
ムッとする石原に総統閣下は『少将、ライバルが育つまで待ってくれるのは少年漫画だけだよ』と苦笑いしながら語った。
その総統の言葉に石原は目の鱗が落ちる気がした。
当たり前のことだ。
一体誰が敵国が育つまで待つというのだ。
(特にあの賢しい国が待つわけがない)
太平洋の向こうの大国が石原の脳裏に浮かぶ。
しきりに日本の大陸権益に茶々を入れてくる大国。
(しかも総統閣下がいった事が本当だとするなら・・・)
ちょび髭総統はそれが本当であるならば帝国にとって天啓とでもいうべき情報をもたらした。
なんと満州に石油が眠っていると言うのだ。
これが他の誰かが言うのでいれば、与太話と聞き流すところだが謎の情報力を持つちょび髭総統がそう言うのだ。
(噂では海軍さんは上へ下への大騒ぎだったらしいな)
詳細は石原の手元にも情報が入ってきてないが、どうやら軍機に属する情報がちょび髭総統に筒抜けになっていたらしい。
担当部局同士が醜い責任の押し付け合いを演じた挙句、しびれを切らした海軍大臣の鶴の一声で機密情報の取り扱いの総点検が行われそうだ。
その結果陸軍にも海軍の情報がほとんど入ってこなくなった。
(このことが海軍だけの事情と考えるのは呑気に過ぎるだろうな)
ちょび髭総統は石原をもってしても思わず寒気を感じるほど、こちらの事をよく知っていた。
そもそも地球の反対側の国家の一将軍を知っていることがおかしいのだ。
満州国建国のフィクサーとなったことで、石原とて凡百の他の将軍よりは名が売れている自負はあるが、『地球の反対側まで自らの名が轟いている』と考えるほど自惚れてもいない。
となると、推測される結論はひとつ。
ちょび髭総統は、『帝国海軍のみならず帝国陸軍にも情報網を張り巡らせている』ということだ。
そして帝国陸海軍に情報網を張り巡らせているということは、帝国のありとあらゆる分野に伝手をもっていると考えるのが自然だろう。
となると、山師めいた話ですらかなりの現実味を帯びてくる。
ただの冗談と切って捨てるには総統閣下の情報収集力が強すぎる。
(満州で石油が出れば帝国の国際的立ち位置はガラッと変わる。だが・・・それが問題でもある)
満州で石油が出れば、石油のほぼ全てを英米蘭に頼る帝国の現状を変わるだろう。
問題はそれを彼ら産油国が座視するかどうかだ。
(英蘭はまだしも、米は必ず介入してくる)
なんの根拠もない。
タラレバで空を掴むような想像の域を出ない話だが、不思議と石原には確信があった。
必ず合衆国が難癖をつけ介入してくると。
(そうなると・・・結局奴らと鉾を交えることになるわけか)
ちょび髭総統の描く数年内に戦争が起こるという未来像がかなり現実味を帯びてくるのだ。
合衆国がこちらを叩くつもりなら、満州での産油が安定してくる前に来るはず。
石油が手に入る国とそうでない国とでは戦争遂行能力に雲泥の違いがある。
帝国が産油国になる前にこちらを叩こうとするだろう。
(あの独逸人の思い通りに動くのは少し癪だが仕方ないか)
ちょび髭総統が帝国にもとめる事は二つ。
一つは中国との戦争の回避。
これは石原としても全くもって同意見だ。
石原が考える日本が雌雄を決すべき相手は、土足でアジアに踏み込んでくる西洋諸国である。
断じて同じアジアの民ではない。
むしろ技術援助やその対価としての物資提供など、互助の関係を構築し共に西洋諸国に立ち向かうべきと石原は考えている。
(そこまでは、そこまでは俺も素直に頷けるのだが)
もう一つの方が問題なのだ。
総統閣下が強く求めてきたのは、軍の統制の回復だ。
『内政干渉はやめて頂きたい!』と声を思わず荒げた石原だったが、『末端が勝手な事をする組織と誰が同盟を組めるというのかね?』と正論をぶつけられると石原も黙りこくるしかなかった。
『その為には上層部が権力闘争をしている場合ではないと思うがね』と、こちらの事情を見透かすような事まで言われてしまい、どうにか苦笑いを浮かべるが石原の精一杯だった。
(まるでこちらの動きが透けてみえているようだ)
宇垣内閣の成立を阻止すべく暗躍の最中である石原としては、総統閣下にくぎをさされたような気分になった。
その辺りのことを田中大佐に伝えると、田中大佐の顔が驚愕と怒りにゆがむ。
「閣下、閣下はそれでどうされるおつもりですか!まさか、ちょび髭総統に言われたからといってあの宇垣に内閣を組ませるおつもりですか!」
石原にとってもそうだが、田中大佐にとっても宇垣元大将は因縁の相手である。
宇垣元大将が陸軍大臣であったころに実行された宇垣軍縮により、石原と田中大佐の所属する部隊はそれぞれ解散に追い込まれた。
手塩に掛けて育てた部下たちもバラバラとなり、幹部たちも急に根無し草とされるのだ。
石原と田中大佐の宇垣への恨みは相当なものだ。
「田中大佐、俺も宇垣は許せん。だがな、満州国をつくった俺が言うのもなんだが、最近の若手の独断専行ぶりは目に余る。去年の2.26事件は貴様も覚えているだろう。統制を回復せんと帝国陸軍は戦わずして崩壊することになるぞ」
「しかし、しかし!」
「こらえろ田中!国を割る訳にはいかんのだ!満州国を帝国の強力な仲間にしたてあげることができれば、われらの故郷、東北や北海道も豊かにする事ができるだろう!だがな、西洋諸国はそれを座して見逃しはせんぞ!」
「ッツ・・・」
飲み込めない感情と、理論が田中大佐の中をせめぎあっているようだった。
沈黙が車内を支配する。
ふと窓の外を見ると、既に車は参謀本部近くまで戻ってきていた。
「・・・わかりました閣下、私も腹をくくります」
車が参謀本部に横付けするほどにもなって、ようやく田中大佐が声をしぼりだした。
「そうか・・・、すまんな」
既に工作は半ばまで成功していたのだ。
ここからさらにひっくり返すのは骨が折れる事になるだろう。
石原や田中大佐は皇道派にも統制派にも属さない中途半端な立ち位置だ。
いまさら宇垣元大将派に鞍替えすれば、総スカンを喰らいそうだが仕方ない。
統制派にも皇道派にも睨みを効かせ得る存在。
そんな存在は残念ながら他にはない。
(これも帝国の為だ、なんとしても帝国を戦える国にしなくては)
石原は決意をあらたに、車を降りた先にそびえる参謀本部のいつもより重い扉を開くのだった。