27 ちょび髭総統と緑の革命
「「『緑の革命』ですか!」・・・」
俺の目の前には異なる反応を示す二人の男がいた。
時は、ややさかのぼり1937年1月。
ライヒを出発する前に俺はシャハト経済大臣とダレ食糧大臣と会談の場を設けた。
お題はもちろん、『緑の革命』についてだ。
明るい顔をするのはシャハト経済大臣である。
時間はかかるものの、農業試験はそこまで費用がかからない。
しかも軍備とは違い、成功すればライヒの経済に大きなリターンが見込める。
経済大臣としては諸手を挙げて歓迎する案件だろう。
その一方、食糧大臣であるダレ大臣は微妙な顔色だ。
(これはちょっと意外だな)
経済大臣以上に食糧大臣が歓迎しそうな案件のはずだが、食糧大臣の顔色が優れない。
俺はその理由をダレ大臣を問い詰めようとしたが、意外なところから答えが出てきた。
「ダレ大臣。どうしたのだ?これは君にとっても歓迎すべきことでは無いかね?まさか、またお得意のバイオダイナミック農法がどうだの言う訳では無いだろうね?」
そう言ってダレ大臣を牽制するのはシャハト大臣だ。
「いや、そんなつもりはないです。勿論、総統閣下のおっしゃる『緑の革命』は素晴らしいものだと思います」
(あー、そういえばそんな話があったな)
具体的なワードが出てきてようやく思い出したが、ダレ大臣はバイオダイナミック農法というものに興味を持っているようなのだ。
バイオダイナミック農法は未来の世界で言うところの有機農業の一種だ。
ちょび髭もそこまで興味を持っていなかったようで、あまりその農法に対して詳しい知識は俺の中には無いが、有機農業に興味を惹かれるダレ大臣からすると『緑の革命』には複雑な思いを抱かざるを得ないだろう。
(確かに、『緑の革命』は環境負荷の問題など克服すべき点は多々ある。だが、これからの未来には必ず必要なものなのだ)
『緑の革命』。
これこそが戦後の世界的な人口爆発を支え、そして世界中の経済発展を促した立役者と言える。
『緑の革命』により、これまでと同じ広さの畑でより多くの作物が収穫できるようになった。
それが意味するのは食糧価格の下落だ。
では食糧価格の下落が何を意味するのか?
それはエンゲル係数の低下による可処分所得の増大だ。
可処分所得が増えると人は電化製品や車、そして憧れのマイホームなどこれまでは手が届かなかった贅沢品を求め始める。
そうなると『緑の革命』の恩恵は農業国だけでなく、戦後の日本やドイツのような工業国にも広がっていく。
そうなるともう後は乗算式に正の連鎖だ。
発展が発展を呼ぶような状態になる。
そんな発展の起爆剤『緑の革命』の最重要パーツが農林10号なのだ。
なぜ、農林10号が最重要パーツなのか?
それは他の要素は既にこの世に存在するからだ。
『緑の革命』を起こすには農林10号のような矮性の穀物種以外に2つのパーツが必要となる。
1つ目は化学肥料。
植物が育つには肥料が必要であり、これを人類は人糞や家畜の糞で補ってきた。
だが人糞や家畜の糞を工業的に肥料にするのは難しく、肥料の不足は穀物生産のボトルネックの一つになっていた。
それを打ち破ったのが化学肥料なのだ。
工業的に生産される化学肥料は従来の生物の糞尿を使う有機肥料を量的に圧倒する。
化学肥料により肥料の不足は過去のものになったのだ。
2つ目は灌漑技術。
植物の発育には肥料が必要だが、それよりも致命的な意味で必要なのが水だ。
水が無ければ、どんなに日当たりが良くても、いくら肥料を与えても植物もは育たない。
誰でも知る当たり前のこと。
その当たり前の事実の前に人類の農業は有史以来苦戦してきた。
その人類の苦戦に救いの手を差し伸べたのが灌漑技術だ。
ポンプの使用によりこれまで地形の制約で水を送れなかった地域にも水を送れるようになった。
そしてそもそも水源がないような所でさえ、地下水をポンプで汲み上げることにより灌漑を行うことが可能になったのだ。
だが、1937年の今でもこの2つの技術は現に存在する。
もちろん後の世と比べると稚拙な技術ではあるが、確かに存在する技術なのだ。
では、なぜこの2つの技術だけでは『緑の革命』が起こせないのか?
答えは至極単純。
たっぷりの水や肥料を与えられた穀物はスクスクと成長し、実をつけ・・・
収穫前に自らの重さで倒れてしまうのだ。
植物は生育に必要な条件が満たされると、周りの植物に光合成を邪魔されないように普通は出来るだけ背を高くしようとする。
そして、その背を高くした頂点にたっぷり実をつけようとする。
そうすると当然、ちょっとの風や自重なんやらで倒れてしまうわけだ。
たっぷりの水や肥料を投資した挙げ句、そんな歩留まりの悪いことになってしまえば完全に本末転倒になってしまう。
だからこそ、この2つの技術を手にしているにもかかわらず人類はまだ『緑の革命』を起こせていないのだ。
(その最後のピースが農林10号というわけだ)
矮性。背が高くならない性質。
この性質を持つ穀物の種子にその2つの技術を組み合わせることで初めて『緑の革命』の前提条件が整う。
『背は高くないが、嵐にも負けない屈強さを持つ。』
そんな品種が日本で発見されたことにはどこか運命的なものすら感じてしまう。
(だが、勿論農林10号がそのまま救世主になるわけでは無いがな)
いくら倒れにくい品種だからといって、収量が少なくては意味がない。
実際、前世の未来においても農林10号はそのまま使用された訳ではなく、10年以上の年月をかけ品種改良を行われたのだ。
(ぶっちゃけ、間に合わんだろうな)
出来るだけ早いスタートダッシュを切れるようにこうやって根回しはしているが、おそらく数年内にものにはならない。
『これが上手くいけば外貨不足の問題などは解決されますな!』と、普段にはない笑顔で語るシャハト大臣には申し訳ないが、『緑の革命』の成功よりもライヒの金欠もしくはちょび髭党の転覆の方が早いだろう。
成功すれば、ライヒの食料問題は解決する。
そして下落した食糧価格はライヒの国民の心を穏健にし、ちょび髭党がその強硬な路線を修正したとしても国民の大部分はその軌道修正を歓迎するに違いない。
衣食足りて礼節を知る。
誰も好き好んで戦争など望まない。
好き好んで戦争を望むのは、『自らは死なない』と手前勝手な全能感に溢れた若者か、『自らは戦場に行かなくて済む』一部の特権階級の人間くらいなものだ。
大部分の国民は好き好んで戦場に立とうとなどしない。
『戦場に立たねば何かを守ることができない』
そう考えることで初めて人は戦場に立ち、敵に銃口を向けることが出来るようになるのだ。
ライヒの国民がちょび髭党の強硬な姿勢に共感し、拍手を送るのは『そうでもしないと飢え死にしかねない』とリアルに考えているからだ。
『緑の革命』は間に合いさえすれば、ライヒの国民への特効薬になりうるだろう。
(非常に厳しいが・・・、種を蒔かねば何も産まれまい)
あまり分がいい勝負とは言えないが、1年でも早い実用化を目指すべく、国家プロジェクトとして研究体制と試験生産体制の確立に向け、俺は両大臣とすり合わせを行ったのだった。