2 決意
おつきの人間達(多分親衛隊)に送られ、きらびやかな会場を後にし、俺は総統官邸にもどった。
その途中、車のガラスにうつる自分の姿をみて改めて自分がちょび髭になったことを自覚する。
「総統閣下、おやすみさい」
「ご苦労」
部屋の外まで送ってきた親衛隊に挨拶をした後、俺はようやく一人になった。
(権力者というのは、一人の時間が全くないな)
会場から親衛隊の隊員がずっとついてきた為、現状整理をする余裕もなかったのだ。
(ゲッベルスには悪い事をしたかもな)
思わずそんな事が頭をよぎり二重の意味で顔をしかめる羽目になった。
ベルリンオリンピックの成功を祝い、宣伝省大臣ゲッベルスが直々にセッティングしたパーティーを早々に抜け出してきたのだ。
明日の閣議で会うのが面倒くさい。
ぶつぶつ文句を言ってくるに違いない・・・
そしてそんな事を考える自分の人格が意味不明だ。
ちょび髭の記憶も感情も思考もある。
一方で、日本人の中島勝の自意識も当然ある。
ただ、2重人格かというとそういう感じでもない。
例えるなら、オンとオフの自分の差がより激しくなったような感じ。
誰しも、会社や学校でほかの人に見せる姿とプライベートの姿は異なるものだ。会社では腰が低い人が、家庭ではそれこそちょび髭顔負けの独裁者なんてこともそれほど珍しくない。
今も、基本的な考え方や知識は中島勝のままだが、一方で党や国民に対しちょび髭としてどう振る舞うべきかは分かる。
そんな不思議な感覚。
(しかしよりによってちょび髭か)
確かに今わの際に、俺は自分の心の奥底の想いを直視した。
なにか歴史に残るような偉業を成し遂げたいと祈った。
(最悪の悪名のほうじゃねぇか!)
確かに有名だ。それも圧倒的に。知らぬ人などほぼいない。
だが、悪名かどうか等そんな事は今の時点ではどうでもいい。
所詮、悪名かどうかなど後世の他人が判断するものだ。
現にちょび髭に転生した俺にとっての問題は、ほかでもなく”俺がちょび髭”なのだということ。
このままいくと、人類史でも稀にみる大戦争を引き起こした上で、挙句の果てには愛犬を殺し、新婚1日目にして新妻と服毒心中をする最悪の未来が待っている。
では戦争を起こさなかったらいいのでは?というアイデアがごく当然に浮かんで来そうなものだが、ちょび髭に転生したが故に分かってしまうのだ。
今のドイツには戦争する道しかないということが。
いくつか要因がある。
一つは経済的要因。
ちょび髭党が政権をとり四か年計画を遂行する中で、国内経済は拡張し失業率は激減し、国民は経済が回復したと考えている。
これは正解だが間違い。
確かに経済は回復したが、それはmefo手形によるステルス政府債務によるもの。
政府支出には計上されない形で拡張財政をしているので、今はインフレなどは抑え込めている。
だが、債務とはいつか返さないといけないもの。
政府支出に計上されていようがいまいが、実態としては巨額の政府債務が存在するのだ。
債務の返還期日が到来するとドイツは選ばなければならない。
紙幣増刷によるインフレか、増税による景気の急減速か。
いずれにせよ最悪である。
人は上げて落とされるのが一番こたえる。
経済の劇的な回復を味わったドイツ国民は激怒するだろう。
この時代の人間は血の気がおおい。
俺が殺されかねない。
二つ目の要因はちょび髭党とドイツ国民だ。
今のドイツは第1次世界大戦での敗北を引きずっている。
ベルサイユ条約で課された苛烈な条件もだが、戦争に敗北したという事実そのものを消化出来ていない。
対外的な威信を取り戻したいと切実に願っているのだ。
ちょび髭党がイケイケなのは勿論のこと、ドイツ国民自身もどこか対外強硬的なのだ。
この時代に生きている人々は現代人と違い知らない。次に人類が引き起こす戦争がどれほど凄惨なものかを。
総力戦の本当の姿をまだ知らないのだ。
そんな感覚の人々の前で今更日和見なことを俺がいいだすと、やはり殺されかねない。
3つ目は中島勝だから知っていること。
かの大国が戦争を望んでいる。
世界恐慌を引き起こし、凄まじい生産力を持て余している新大陸の大国。
かの国の首領が戦争を望んでいる。
ちょび髭の知識、中島勝の知識。そのいずれもがこの国は近い将来での戦争は不可避という結論を俺に伝えてくる。
(本来は苦悩するべきところなのだろうが・・・)
今わの際に自らの想いを直視したせいか、それともちょび髭の知識・記憶に影響を受けたせいか、逃げるという選択肢は俺の中に存在しなかった。
(世界を変えてやろうじゃないか)
戦争が避けられないものなのであれば、せめてその戦禍が小さいものになるように。
20世紀が、21世紀がよりよいものになるように、今回の大戦まったく違った結果にしてやろうじゃないか。