4 硝煙の匂い
「そうか、引き続き警戒を頼む。逐一報告するように」
「承知致しました」
報告をあげていた将校は敬礼をし部屋から出ていった。
(これは・・・来るかもしれんな)
国境警備を担当する部隊からの報告を聞きながら石原はそう思った。
関東軍参謀長石原莞爾は満洲国新京に戻って来ていた。
つい先日まで交渉のため本国に滞在していたのだが、なんとか話が纏まったのでこちらに戻ってきたというわけだ。
3月の新京はまだまだ冷える。
本国では桜の蕾が膨らんでくるが、この地では最低気温が氷点下まで下がることもまだ珍しくない季節だ。
日が長くなり、この地なりの春の息吹を感じないわけではないが、本国から戻ってきたばかりの石原にとっては『まだまだ春は遠い』と感じてしまうのが率直なところだ。
(春は遠いが・・・硝煙の匂いはすぐそこまできている・・・か。)
今年に入りソビエトとの国境紛争は激増していた。
主にソビエト側傀儡国のモンゴル軍と、日本側傀儡国(諸説あるでしょうが本作ではこう表記します)満洲国との間でのことが多いが、帝国陸軍からも被害が出始めている。
高まるソビエトからの圧力に日本側も満洲国軍に加え帝国陸軍も国境に配備するようになった故だ。
互いが主張する国境線が異なる以上揉めるのはある意味仕方がないことだが、いよいよ持って緊張度が増してきている。
(とりあえず駐屯師団の増強は間に合いそうだが)
対ソ戦の前哨基地および帝国までの緩衝地帯として満洲国建国のシナリオを書き実行した石原としては、満洲国駐留兵力の増強は悲願であった。
だが石原の願いとは裏腹にこれまで本国は満州国における兵力増強にはかなり消極的だった。
地政学的要因に加え、多くの兵士が血を流した満州の地は日本人にとって特別な地域ではあるが、石原が絵を描いて実行した強引な満州国建国に対しては懐疑的な見方をする人間は少なくなかった。
多くの国民は新聞社などの報道で満州国建国に熱狂したが、政府はおろか参謀本部からも『軍の統制を乱す』と批判的な声はあがっていたのだ。
(軍の統制については自分に跳ね返ってきているがな)
石原自身、満州国は対ソビエトの前哨基地として捉えている。
断じて対中国への前哨基地ではない。
だが、若手将校の中には『中国を討たねばならん』と血気盛んな者が多い。
『第二の満州国を自分の手で』などと嘯く者もいる程だ。
本国政府と国民党政府との交渉で日中関係はやや改善しているが、相変わらず国境地帯での紛争は起きており油断すればそれに乗っかって事態を拡大させようとする者は日中双方にいる。
(どんな手を使ってでもこれは抑え込まねばならん)
『中国と戦争はしない』という陛下の内内のご意思は石原の耳にも届いている。
自らが描く戦略上でも、いち臣民としても中国との戦争は絶対に避ける必要があるのだ。
そう言う意味では陛下の御意志や『日中戦争はしない』という政府・軍の方針は石原の望むところではあったが、一方で満州国に駐留する軍の増強という点では『中国を刺激する』として逆風に働いていた。
そんな逆風はある事をきっかけに順風に変わった。
満州国の国家戦略における価値が一段階上にあがったことで、満州国防備体制も見直しされることになったのだ。
それは大慶付近での油田の発見だ。
油田の存在はぼんやりと噂されてはいたが、そんな『油田があるかもしれない』という噂はよくあることで本格的な調査はこれまで大慶油田でも行われていなかった。
そこを『いや大慶には油田がある』と、ゴリ押ししたのは他でもない石原だ。
『タールが周辺でよく見られる』とか、『地下水に油分がふくまれていた』とか噂程度の情報をそれっぽく纏めて予算を確保したが、石原にとっても流石に大博打であった。
(もし見つからなければ大失点になるところだったが・・・。流石はちょび髭総統閣下だ)
あのちょび髭総統が『絶対にある』と言い切っておられた。
色々と情報を集めでっち上げたが、実質総統閣下の言葉のみを根拠にして石原は博打を打ったのだ。
過程は無茶苦茶だったが、石原は賭けに勝ち満洲には石油が大量に埋蔵されていることが判明した。
それを受けかねてから石原が主張していた満州国への陸軍駐留部隊増援を含む防衛体制の強化が決定。
ソビエトと同数とまでは行かないまでも常に半分以上の兵力を保持し、有事の際には本国から素早く増援を送れるよう本土の日本海側と旅順港の港湾機能を強化するといったものだ。
それに伴い関東軍は一気に6個師団体制にまで拡充し、最終的には10個師団を擁するよう大幅な増強がなされることになった。
とは言え現状帝国陸軍全体でも16個師団しか存在しない。
昨今の国際情勢緊迫に伴って帝国陸軍も過去の軍縮で廃止された4個師団の復活と、さらに3個師団の新設を目論んでいるが戦力化には時間がかかる。
関東軍が10個師団体制にまでなるのは当分先となることが予想された。
そんな関東軍に対し、ソビエト極東軍の増強は著しい。
あくまで推定ではあるが既に20個師団以上にまで増強が進んでおり近い将来30個師団近くにまで増強される事が予想されていた。
ちなみにこれは石原のゴリ押しで航空隊に越境偵察まで命じて状況把握に努めさせた結果判明したことだ。
越境偵察はソビエトを刺激する事になる為本国は渋ったが、大慶油田の存在を的中させたりと昨今なにかと勘が当たる石原の主張なので本国も渋々了承したのだ。
(当たっているのは私ではなくちょび髭総統閣下なのだがな)
石原はちょび髭総統が日本を離れてからも定期的に手紙を書いていた。
陸軍の将校が他国の政治家とあまり強く繋がりを持つことに疑問を呈する人間は少なかったが、相手が相手な事もあり黙認されていたのだった。
流石に総統閣下からの返信はさほど早くなく、また『最近ドイツ産醤油一号がようやく出来た』など当たり障りない内容であることが多かったが、数少ない例外の一つが『ソビエト極東軍の動向に注視されたし』という旨の警告だった。
石原とて帝国陸軍の将校である以上、国家元首とはいえ他国の人間の言うことを盲信することはないが、これまで言うこと全てが的中しているちょび髭総統の言葉を無碍にすることなど出来るはずもない。
そうして参謀本部と政府を説得して行った越境偵察の結果はクロ。
『ドイツの諜報組織はどうなっているのだ?!』『帝国の情報収集体制はどうなっているのだ!』とまたしも陸軍首脳は大騒ぎする羽目になった。
本来は今年の年末に増派が完了する予定であった師団移動を加速。
また、師団単位ではなく連隊単位とはなるが当初は留守と決まっていた各常設師団からも戦力の抽出が行われ関東軍への増援に加わることとなった。
それでもその動きをかけ始めたのはつい最近になってから。
5月ごろには移動自体は完了するが移動完了=戦力化とはならない。
気候こそ本国の3月ごろ相当の気温となる時期なので、その点はマシではあるがしばらくの間は移動したばかりの師団・連隊はソビエト対策で手薄になる中国方面への押さえなどの後方任務が主となるだろう。
(結局のところ今ある戦力が正面戦力ということか・・・難しい戦いとなるな)
本国からの増援を含めてもソビエト極東軍よりかなりの劣勢だ。
赤軍の一個師団あたりの兵員は帝国の4割程度であるので師団数の差=戦力差というわけではないが、それでも仮に極東に配備されている赤軍が30個師団だとするとそれは帝国陸軍だと12個師団に相当し、それは関東軍の2倍に達する。
(出来ればあと半年は欲しいところだが・・・ソビエト次第・・・か)
石原は目の前の満洲国全体を記した広域地図を見つめ、険しい顔をするのだった。
えー、すいません。またしもHoi4やってました。ローマ帝国の再興をしておりました。勝てるからいいんですが、ローマ帝国を復興した後にベッサラビアとかオランダ領インドとかを理由にソ連や日本が無謀な戦争を仕掛けてくるんですよね。IC10倍やぞ?!正気か?!って毎度ツッコミを入れてしまいます。