30 油 1938
時はやや遡り1938年 10月某日
「し、信じられん」
イタリア領リビア総督イタロ・バルボはリビアの砂漠の熱い日差しを浴びて呻き声を上げた。。
10月だというのに本国と違い一向に緩む気配のない日差しにいつもなら辟易としているところだが、この時のバルボはそれどころではなかった。
目の前で黒い液体を汲み上げるポンプにバルボは釘付けだった。
「しかし、閣下。これで我が国のエネルギー事情は劇的に改善します」
共に視察に来ていた部下がなんとも言えない顔でバルボに話しかけてくる。
(それは勿論そうだが、、、)
バルボが今回視察に訪れていたのは、リビア油田のとある試験櫓だ。
リビア総督であるバルボがわざわざ試験櫓を視察しに赴いたのには理由があった。
一つは現在イタリア政府は本国での油田発見とともに、リビアでも改めて油田の存在が確認されたことで、油田開発に躍起になっており、その流れでリビア総督のバルボにも盛んに発破を掛けてくるからだ。
もっとも現地に駐在していたバルボからすれば原油が埋蔵されている兆候は至る所にあり、『何を今さら』といったところであったが。
ちょび髭総統がそれを知っていたのは驚きではあったが、昨今の彼の国の拡大ぶりを見るに、ちょび髭総統の情報網がこのリビアまで届いていてもそこまで不思議なことでもないというのがバルボの見立てである。
そもそもリビアでの原油採掘の問題は『どこに原油があるか』ではなくどちらかと言えば『どうやって採掘するか』という点であったのだ。
バルボもその辺りの問題はよく理解しており、バルボ自身知人の(生まれ故郷の兼ね合いでユダヤ人にもバルボは伝手があった)伝手などをたどり、アメリカからどうにか技術支援を受けるべく動く予定であったし動こうとしていたのだ。
(ドゥーチェのおかげで難航してはいたがな)
エチオピア侵攻やドイツへの接近などでイタリアの国際社会からの心証は悪化する一方であり、『ちょっと石油掘るのに苦労してるんだけど、力貸してくんない?』とバルボが言ったところでなかなか応じてくれる企業はいなかったのだ。
そうして油田の開発に苦戦したイタリアはドイツに技術支援を求めたのだが、国内で原油を産出しないドイツもイタリアと同じく油田開発のノウハウはなく、一応採掘チームを送ってはきたが正直なところイタリアチームとどんぐりの背比べといったところであった。
だが、油田開発に苦戦するイタリア・ドイツにまさかの救世主が現れたのだ。
その救世主の出現がバルボが現場にすっ飛んできた2つ目の理由だった。
「我々の掘削技術は東洋人にすら負けているというのか」
目の前の試験櫓の周りで忙しく作業をするアジア人技術者の一団を見て、バルボは力なくうめくのだった。
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ベルリン 総統官邸にて
「・・・信じられん」
そう絶句するのはシャハト大臣だ。
百戦錬磨の政治家たる大臣が絶句しているのだ。
俺は非常に珍しいものを見ていた。
「私も未だに信じられません。なんなら現地からの報告書にも『信じられない』と書いてありました」
俺たち閣僚に報告をあげていたトート本人もどこか狐につままれたような顔をしている。
「・・・これも総統閣下の予想通りという訳ですか」
そうノイラート大臣が問いかけてくる。
(いや、こればかりは俺も想定外だ)
確かに、ドゥーチェから技術支援要請の連絡を受けた時俺は言った。
『日本にも声をかけてみたらどうだ?』と。
一応、秋田県などで少ないながらも石油を掘っていたことは前世の知識でも知っていたからある程度のノウハウを持っているとは思っていたのだ。
思っていたのだが、まさか1000m越えの深さの油層から産業ベースでの採掘を行うだけの技術があるとは夢にも思っていなかったのだ。
「一応、我々経済省でも改めて日本の産油状況を調べております。」
『今更ではありますが』と付け加えながらトートがそう報告する。
後で分かったことなのだが、この時期日本は台湾でも天然ガスの採掘を行なっていた。
天然ガスと原油の採掘はイコールではない。
その前提はあるだろうが、台湾で採掘している天然ガス井戸で最も深いものはなんと深さ3000mとのことだ。
国内に他にまともな油田地帯がなかったが故の苦肉の策だろうが、まさに日本人の技術者根性の発露と言っていい。
「兎にも角にもそれは朗報だな。それでどうなのだ?日本人のおかげでイタリアの油田は産業化の目処が立ちそうなのか?」
俺は肝心なことをトートに尋ねる。
「それについてですが、それは我が国次第といえます」
「それはどういうことだ?」
油田開発が掘削技術を持たないはずのライヒ次第と言われ俺は眉を顰めたが、トートから説明を聞き納得した。
要は、日本は掘削の際アメリカ製の掘削装置を使っていたらしい。
そして深深度を掘削するには頑丈でまっすぐなパイプが必要だが、それもアメリカ製らしい。
昨今の国際情勢の緊迫化で日本もアメリカから装置の輸入を追加で行うのは難しいとのこと。
かと言って、基礎工業技術が貧弱な日本ではコピーすらできないそうだ。
日本ではコピーは難しい。
だがライヒの工業力だと十分可能だ。
高強度のパイプ制作もライヒだとなんの問題もない。
申し訳ないが、日本やイタリアとは冶金技術、プレス技術、精密加工技術のどれをとってもライヒはだんちである。
「問題はコピーがばれた時のアメリカの出方だが・・・まぁ、いい。その時はライセンス料を払うでもなんでもしてやろう。構わん、石油の一滴は血の一滴だ。必要な機材は最優先で準備させろ。資源割り当ても最優先だ」
掘削には強靭なドリルヘッドが必要で、その制作には希少資源のクロムやモリブテンが必要となる。
この辺りの金属は軍用の装甲板の制作にも必要なので経済省の許可がないと産業界は自由に使えないのだ。
小資源国の辛さである。
「承知いたしました。直ちに取り掛かります」
そう言ってトートは部屋を出ていった。
その後俺はシャハト大臣、ノイラート大臣と石油利権の割り振り交渉の方針や、アメリカにばれた時の対応の仕方を協議するのだった。
前話のクリスタルナハト、『水晶の夜』を書くか否かは迷いましたが、例えばこの時代を扱うのに日本が舞台で2.26事件を描かないような状態かなと思い書くに至りました。
ユダヤ人問題や人種差別問題については物語として蛇足なのかなと筆者も思う節もありますが、『戦後生まれ昭和日本人が転生した』という想定でやっておりますのでご容赦頂ければ幸いです。