27 ラジオ
「これが・・・ラジオだというのですか?」
「そうだ、シャハト。これがこれからのラジオなのだ」
俺は、シャハト大臣と共にエウリカブルクから送られてきたラジオの試作品を検分していた。
あまり一般的には有名でないが、ちょび髭率いるライヒはラジオの普及に非常に熱心だった。
一家に一台のラジオを目指し、戦争直前には平均的な市民の月給の3割程度で買えるところまでラジオの価格を下げ、7割ほどの家庭にラジオが設置されているという状態にまでなっていたのだ。
これは勿論ただの善意からの政策などではなく、真の目的としてはちょび髭党のプロパガンダ放送を全国民にあまねく届けるためという邪なものだった。
だが、兎にも角にも市民の多くにラジオが行き渡るよう安価なラジオを大量生産するということをまさに国家プロジェクトとして行なっていたわけだ。
そんなわけでシャハト大臣もつい先程までは『またラジオの新型ですか』というあまり興味なさげな顔色をしていた、机の上の目の前のラジオを見るまでは。
「このサイズで本当にまともに・・・・聞こえますな・・・」
大臣が『本当に使えるのですか?』と言いかけていたので、容赦無く電源スイッチを入れイヤホンを耳に突っ込んでやる。
受信信号の増幅強度が足りないので、仕方なくイヤホンで聞くタイプにしているのだが耳にイヤホンを突っ込まれた瞬間、シャハト大臣は猛烈に嫌そうな顔をしていた。
「大臣。これが、これこそが半導体の可能性なのだ。この半導体の普及で全ての現行の電子機器は過去のものになる。このラジオはその始まりに過ぎないのだ!」
ちょび髭節などではなく、俺自身が興奮して思わず身振りを大きくして力説してしまう。
そう、俺の目の前にあるラジオは、ラジオこそが世界初の半導体で回路を構成したトランジスタラジオなのだ。
炊飯器やコーヒーメーカーほどの大きさがある今の時代の真空管ラジオとは全く一線を画すラジオ。
サイズとしてはレトルトカレーの箱をちょうど3箱ほど重ねたサイズで重さは700グラムほど。
圧倒的に小型化されている。
シャハト大臣が『まともに動くのか?』と思ってしまうのも無理はない。
(だが、大臣。このラジオの特徴はそれだけではないぞ)
それに気づいたのはフリッチュ陸軍司令官だった。
「ん?閣下。これはどこから電気を取っているのですか?コードが見当たらな・・・もしや電池ですか?」
唖然とした顔で尋ねてくる。
『え?』という顔と共に、シャハト大臣が改めてラジオをじっくりと見て、ポカンとした顔をする。
「その通りだフリッチュ司令官。このサイズでこのラジオは乾電池を内蔵している。おっと、大臣。言いたいことは分かっている。電池のもちだろう?安心したまえ。100時間はゆうに持つぞ。」
「ひゃ、100時間ですか?」
(今日は珍しいものが色々見れるな)
その場に呼んでいたグデーリアンが素っ頓狂な声を上げる。
だが、その反応は全くもってこの時代の人間としては正しい反応だ。
電撃戦を研究する傍ら、無線通信技術も併せて研究していたグデーリアンだからこそその凄さが実感として理解できるが故の反応と言える。
半導体と真空管。
この2つの差は、衝撃への強さであったり小型化のしやすさであったりと色々あるが、消費電力の差についてはこの半導体黎明期における初歩的な半導体であっても顕著なものがある。
そもそも真空管というのは構造的に加熱を行う必要がある以上、電力を多く消費する宿命にある。
加熱というのは電気の苦手分野だ。
電熱ヒーターなどを思い浮かべるといいが、とにかく大量の電気を食う。
その加熱の過程が半導体だと必要ない。
これが小型化、携帯化への圧倒的アドバンテージとなるのだ。
もし真空管で携帯型ラジオを作ろうとすると、電池は大型かつ高電圧高電流対応の特殊なものとなり高価すぎてとてもじゃないが普及品になどなり得ないだろう。
(そもそも馬鹿デカくなるしな)
この小型かつ乾電池で作動するラジオというのは半導体無くして決して成立しない代物なのだ。
「その通りだ。将軍ならこれが何を意味するかわかるだろう?」
「・・・これは総統閣下、陸戦に革命が起きます」
グデーリアンがそう呟く。
半導体を民生利用すればラジオの小型化や、ゆくゆくは各種電気製品の小型低価格化を後押しして市民の背活を豊かにし、人類の文明レベルを一段階底上げしてくれる。
だが、悲しいかなこのような技術は軍事技術にも当然転用可能だ。
この小型携帯型ラジオの技術は、軍が使用する無線機の小型化に直結する。
否。
単に小型になるという話ではない。
これまで無線を持ちえなかった中隊や小隊、果ては分隊単位までが無線通信を使えるようになる。
これは軍がより柔軟に素早く動けることを意味し、戦術規模での戦闘の展開速度で敵を圧倒することが可能になるだろう。
「あぁ、君の推測通りだ。まぁ、もうしばらく普及には時間がかかるがな」
基本的な製造技術や概念は『謎の特許』という形でエウリカブルグの研究者に伝えていたので、試作品は割とすぐに出来上がった。
だが、量産となると課題が山積してくる。
こうなると研究者というよりエンジニアの出番だ。
高純度のゲルマニウムを精製する基本的な理論はあっても、その理論を実行に移す生産理論と設備が確立できなくては意味がない。
各種のドーピング理論も同様だ。
(こんな時日本人の力を借りれたらなぁ)
何を隠そうこの辺りは日本人が一番得意とする分野だ。
理論が確立されている部材の生産コストを下げ、歩留りをあげ、より精密に作る。
まさに昭和の日本人が世界で1番得意としてきたことをライヒで行う必要がある。
勿論、ライヒもその辺りの素養は十分にあるが前世日本人の、それも電機メーカー勤務の技術者の身としては日本と共同開発をしたい、したいのだが物理的な距離もさることながら防諜体制に疑問符がつく日本と最先端技術の共有は現時点ではリスクが高い。
半導体技術は絶対英米には渡せない。
特に高純度ゲルマニウムの精製技術は絶対にダメだ。
今後、半導体生産を拡大するにあたってどうしても防諜体制が緩くなる局面が訪れる。
半導体製造というと、高度に機械化された生産ラインを思い浮かべそうなものだが初期の半導体製造はその真逆だ。
大勢の工員、それも手先が器用な女性の工員が大活躍することになる。
そうなると完璧な防諜体制など不可能だ。
どこからともなく半導体の製造方法が漏れてしまう事が予想される。
そもそもスパイなど使わなくとも、戦場でいずれは鹵獲され敵の研究機関で解析される定めにある。
だが製造法が分かったとて、材料が無ければ同じ事。
半導体製造には高純度のゲルマニウムやシリコンが必要で、こればかりはいくら鹵獲品や完成品を研究したところで製造法には辿り着けない。
だからこそ素材分野は最後の最後まで日本が優位性を保つ事が出来たのだ。
なので半導体の生産は、高純度ゲルマニウムウエハースの製造はエウリカブルグ内で最高機密保持体制のもと行い、電極の取り付けやドーピングなどの大規模な労働力が必要な工程に関しては出来る限りの防諜体制を敷きつつも、近隣都市で行うことになるだろう。
(まぁ、当分は歩留まり改善との果てなき戦いだな)
10個作って1個もまともな完成品がないといった事すらあるのが今の半導体生産の現状だ。
そんな現状を聞き『そうですか・・・それは残念です』と声が小さくなるグデーリアン。
新しい軍の姿を一瞬夢見ただけあって、落胆したようだ。
『それではこのラジオを売ることはできませんな』と、シャハト大臣も声のトーンを落とす。
「そのとおりだ、シャハト大臣、グデーリアン将軍。だがな、諸君。半導体はまだ赤ん坊のようなものだ。私は諸君に約束しよう。この半導体は間違いなく世界をかえる技術になる。光栄に思いたまえ諸君。諸君らは今まさに歴史が変わる場に居合わせているのだ!」
俺は重点的な追加投資の必要性を彼らに懇々と説くのだった。