23 エース-2
1938年 8月 バルト海 某所
「12ノット、13ノット、14ノット・・・15ノットに到達しました!」
『おおぉ!』艦橋内でどよめきが起きる。
隠密が命の潜水艦で不用意な大声はご法度だが、今回ばかりはそれを咎める人間はいなかった。
X型潜水艦 U-30の艦長を担うオットー・クレッチマー中尉も声こそあげなかったものの内心では感嘆の声を漏らしていた。
それほどまでに水中で15ノットというのは桁外れの数値だったのだ。
(こんな最新鋭艦の艦長になれるとは・・・潜水艦隊に志願してよかった)
今年ようやく26歳になったばかりのクレッチマーだったが、これまでの勤務態度が評価されたせいなのかどうか、スペイン沖での哨戒任務から帰国すると同時にこのライヒ最新鋭の大型潜水艦に配備された。
クレッチマーがつい先日まで乗り込んでいたU-23は750トンほどの小型潜水艦であるVII型だったが、今乗り込んでいるX型は1200トンにもなる大型潜水艦だ。
これでも諸外国の潜水艦と比べると小柄な部類ではあり実態としては中型潜水艦といったところではあるいが、Ⅶ型の小ささを知るクレッチマーからすると十分大型だった。
そしてただ大きくなっただけでなく、VII型とは多くの変更点があった。
一つ目はなんといっても水中速力だ。
Ⅶ型では7.5ノットにとどまっていたが、X型では倍の15ノットだ。
隠密性を重視するクレッチマーにとって、全力航行時の騒音はあまりにも大きすぎると感じてしまうところではあるが、大容量バッテリーからくる水中航行可能時間及び距離の大幅な拡大は魅力的に映った。
それ以外にも、魚雷の搭載本数が11本から18本へと大幅に増大したうえ、燃料搭載量の拡大で航続距離自体もかなりのびている。
総じて、継戦能力が大幅に向上した形である。
唯一、砲兵装だけは削減されており88mm砲は撤去され、わずか2丁の20㎜対空機関砲のみがX型の砲兵装となっている。
これに関しては、海軍内でも様々な意見があったみたいだが、クレッチマーはあまり気にならなかった。
(わざわざ無防備に浮上している間に戦闘する必要もないだろう)
敵商船を拿捕出来なくなるといった問題はあるものの、水中機動力の向上を開発部は優先した故の砲兵装の省略なのだろう。
「これにて速力試験は完了とする。進路そのまま主機半速前進」
クレッチマーの命令を操舵手が復唱する。
「進路そのまま半速前進」
今回の試験航海の肝である水中での速度発揮の確認が無事終わったことで、艦内に弛緩した空気がながれる。
しばらくすると機関長が艦橋にやってきてクレッチマーに話しかけてきた。
「艦長、この艦が量産されれば海軍のあり方が変わりますな!」
クレッチマーよりも年かさの機関長が興奮した声で話しかけてくる。
「あぁ、そうだな機関長。この艦が海軍に大量配備されれば間違いなく水中での戦いはライヒが圧倒的に有利となるだろうな」
(それこそが心配の種でもあるのだがな)
と内心おもいつつ、クレッチマーは機関長の言葉に頷く。
X型は確かに強力な潜水艦だ。
ライヒが水上艦の予算を削ってでも配備するのも頷ける性能だ。
だが、なぜここまで高性能な潜水艦が必要なのだろうか?
大型戦艦の建造を中止したことで、ライヒの海への挑戦はとん挫したとライヒ海軍を含め世界の海軍関係者は考えていたが実際はどうだ、水中行動力を向上させたことで制海権なんてお構いなく通商破壊が可能な海軍をライヒは実現しようとしている。
(このライヒの狙いを知った時、イギリスは黙っているだろうか・・・)
英独海軍協定によってライヒの潜水艦保有量はイギリスの45%に本来制限されている。
戦艦の建造中止し、その代わりに潜水艦を建造するという通告をイギリスに対し行った結果、ライヒの潜水艦保有可能な量はイギリスの保有量に対し100%まで拡大されているが、そこでライヒは止まらないとオットーはみている。
『過酷勤務の潜水艦要員への福利厚生』と題打って、潜水艦1隻あたり3組のクルーが割り当てられることになり、潜水艦部門の要員募集は大幅に拡大された。
表向きは1隻あたりの要員割り当てを増やすことで乗組員たちが多くの休暇を取れるようにするといった制度だ。
末端のクルーは無邪気に喜んでいたが、決して人的資源にも経済的にも恵まれている訳ではないライヒのなかでも、さらに予算的にも人員的にも恵まれない海軍がそんなお優しいことを善意100%でやると思えるほどクレッチマーも初心ではなかった。
海軍の公式発表ではライヒの潜水艦保有数は1940年までに60隻まで潜水艦を増やすということだが、どう考えてもそれ以上の規模拡大を目指しているとクレッチマーは感じていた。
100隻どころかクルーの数の分だけ建造することを目指しているとしたら200隻近く建造することを上層部は目指しているんじゃないかとクレッチマーは疑っていたのだ。
(だが、沈黙は金だ)
そんな事を考えているとはおくびにも出さず、『静かなるオットー』は黙ってクルーの動きを見守るのだった。
だが、この時のクレッチマーはその想像をすら超える軍拡が待っているとは知る由も無かった。