鋭きは紙飛行機と猫の爪
頬に鋭い痛みが走った。
仕事帰りの冬の夜道に、真っ白な紙飛行機が街灯に照らされてゆっくりと墜落した。背後から追い抜きざま、その主翼が頬を掠めたらしい。
振り返ってみても、紙飛行機の主はおろか、誰の姿もない。どこか高い所からでも飛び立ったものだろうか。
頬を指先でなぞる。幸い、出血はないようだが、疼くような痛みに、実家の猫を思い出す。
幼い頃に親戚から譲ってもらった、産まれたばかりの仔猫の一匹だった。俺と妹は何故かその一匹に魅了され、二人で両親に頼み込んだのを覚えている。
季節外れの雪の日に貰われ、全身が真っ白な柔らかい毛で覆われていたばかりに、ユキと安直な名前を付けられたその猫に、遊び相手である俺と妹は毎日のように引っかかれていた。
今年の春、就職に伴い一人暮らしを始めることとなったが、ユキにとって長年住み慣れた家から離れるのも良くないだろう、という判断から泣く泣く別れたのだ。
以来、慣れない仕事に追われて実家に帰ることも出来ず、ユキにも会えていない。
紙飛行機を拾い上げる。ユキと同じ真っ白な全身に、虫の知らせのようなものを覚え、半ば走るようにその場を後にした。
帰宅するなり、実家に電話を掛ける。数コールの後、「もしもし」と母ののんびりとした声が答えた。
「ユキは元気か?」と単刀直入に尋ねる俺に、母は「お父さん! ちょっと!」と慌てたように電話の向こうで声を上げる。
母は「ちょっと待ってね」と保留にすることもなく待たせる。
しばらくして、電話を代わった妹が「久しぶり! 元気?」と呑気な声を出す。
「ユキは?」と再び尋ねるが、妹は「それが、実はね」と声の調子を落とした。
嫌な予感が強まった俺は「何かあったのか?」と焦りながら尋ねる。
「それなんだけど」と何かを言いよどむ妹が「痛っ!」と声を上げた次の瞬間、ユキの甘い鳴き声が聴こえた。久しぶりに聴くその声に慕情が募る。
「私に登って引っかくくらい元気でーす」と笑う妹に、「家族揃って性質の悪い冗談はやめろ」と非難する俺に、ユキが同意の声を上げた。
「ごめんごめん」と笑いながら謝る妹に、「年末には帰る」と告げて電話を切る。
ユキが元気だったことに安堵の溜息を吐く。
片手に持ったままだった紙飛行機を見ると、無意識に力を込めていたのか、手にした部分が歪んでいる。
俺は窓を開け、それを冬の夜空に飛ばした。歪んだはずの紙飛行機は、不思議と落ちることなく、視界から消えていった。