十一月七日
これから先、やつはどうなるのだろう。死ぬことがあるのだろうか?
死ぬものはみな、あらかじめ何らかの目標を持ち、何らかのやることをかかえている。そして、そのためにあくせくする。だがオドラデクの場合、こういったことが当てはまらない。
(家長の心配 フランツ・カフカ/大久保ゆう訳)
最近またラノベを読み出した。というのも、物語の構造論を読んでいたら、身近な物語の解像度が上がったので楽しくなってきたのである。
思うに異世界転移物って、それもクラス転移物って、「飛行機が墜落してサバイバル」に近い気がする。偶然居合わせた彼らが、いかにして生き残るのか、突然激変した環境下で、どんな人間ドラマが繰り広げられるかがおもしろさの中心になる。
導入は結構ハラハラするから読めるし、世界観が分かってくるから面白いと思う。でも中盤のダレ具合が半端じゃない。前半ドキドキさせた分余計に感じる。
そもそもこの中盤ダレ問題は異世界物の構造的な問題であると思う。生活基盤を整えたり武力を得るまでが一番の山場になってしまっていて、それ以降はただ女の子とイチャイチャしたり俺つえーするだけになってしまう。要するに次の主題を見つけられていないのだと思う。
復讐は話の展開上合わせるのに丁度よさそうだけれども、中盤で復讐譚を始めるには、主人公にとって大事な人が死んだり、挫折して心折れたりしないと始められない。これが今のラノベ読者には受け容れられないからと、今の作者は避けるのだろう。とすると、ざまぁものや追放ものは、復讐譚を何とかやろうとして成った形だったのか。物語の初めなら、あとは上がっていくだけだから、現代の心の折れた読者にも読める。
中盤がダレるという話だった。
つまりは緊張感なのだと思うけれども、意識さえしていれば防げそうな気もする。戦いのルールを変えたり、ステージを変えたり。序盤に挫折を持ってきて、そこから逆に場面を追っていき、中盤でいったん本来の“起”を持ってくるとか、やりようはいくらでもある。……と、机上ではいくらでも言えるのだけど、いざ書くとそう楽でもないんだろうな。
でもこんなふうに展開を考えたりしていると、まだまだやれる気がしてこないか、この狭い世界も。




