二月十五日
全体としてはあの方の和らかな感情が可なりよくにじみ出ているのを一番うれしく感じました。始めから終りまでの苦悶も本当に涙を誘はれるやうな箇処がいくつもありました。他人の生活といふものは全く他からは幾分も本当には解らないものだとしみじみ思ひました。私はあゝした苦悶をつゞけながら六年間も一緒にゐらした清子様の辛抱づよさをおどろかずにはゐられません。私は他の種類の苦悶なら自分の気の持ち方一つでどんなにでも或程度までは堪え得ると信じてゐます。けれども夫婦の間の愛についての苦悶は一番たまらないと思ひます。私はあゝした一貫したあの方の苦しみがたゞそれより他の何でもないのにひどくおどろきました。さうしてお二人の辛抱づよいのに感心しました。
(らいてう氏に・伊藤野枝)
手紙を読み、俄然「愛の争闘」が気になってきた。伊藤野枝にしてもらいてうにしても、それから岩野清子にしても、今となっては活動家であった一面位しか知られていない。そうした一面しか知らないと、その人のものを読んでみようという気には余りならないのだけれど、こうした私信や日記や随筆なんかを読むと、付随して読みたい気持ちが湧いてくる。
私もまた、葬送のフリーレンを読んでいるのだけれど、性格的には私はフリーレンに近く、そして世界の理解の仕方はユーベルに近いと思う。要するに直感派なので、共感が必要なのだ。私は高校生には「こころ」を読む前に「自転車日記」を薦めたい。




