二月十二日
そのうち一度、扁理が彼女の母の留守に訪ねてきたことがある。
扁理はちょっと困ったような顔をしていたが、それでも絹子にすすめられるまま、客間に腰を下してしまった。
あいにく雨が降っていた。それでこの前のように庭へ出ることもできないのだ。
二人は向いあって坐っていたが、別に話すこともなかったし、それに二人はお互に、相手が退屈しているだろうと想像することによって、自分自身までも退屈しているかのように感じていた。
そうして二人は長い間、へんに息苦しい沈黙のなかに坐っていた。
しかし二人は室内の暗くなったことにも気のつかないくらいだった。──そんなに暗くなっていることに初めて気がつくと、驚いて扁理は帰って行った。
絹子はそのあとで、何だか頭痛がするような気がした。彼女はそれを扁理との退屈な時間のせいにした。だが、実は、それは薔薇のそばにあんまり長く居過ぎたための頭痛のようなものだったのだ。
(聖家族・堀辰雄)
聖家族は大学の教養の単位で読み、面白かった。「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」という冒頭も、短編らしく一目で惹き付けられる、すぐれたものだと思う。
リルケの、マルテの手記では「特別な死を」という一節があるが、「特別な恋愛を」求めても良いのではないか。それとも世の人々は皆、特別な恋愛を求めながら平凡な恋愛を、どうしようもなく、しているのだろうか。




