死にそこなった僕-1
僕が高校生活を送れるようになったのは、初夏というには暑すぎるゴールデンウィークが明けた頃だった。連日、テレビで「今年一番の最高気温を更新した」と伝えるニュース番組を見ながら、僕は少し緊張していた。
僕は同じ日に中学を卒業した同級生たちより一年遅く、高校一年生になった。その理由は他でもなく、高校入学前に急性骨髄性白血病が発覚したからだ。
あの日――病名を宣告された日から、僕の世界は一転した。
まず、入学予定だった高校に病気療養の旨を説明し、ひとまず三カ月の休学を申請した。もちろん三カ月で学校に通えるようになるなんて誰もが考えていなかっただろう。ただ、あまりにも過酷な治療を受ける僕を勇気づけるための母なりの配慮だったように思う。
しかし、三カ月経っても半年経っても学校に通うことはできなかった。時々、一時退院はできていたものの日常生活を送るのは難しいものだった。
それでも、文字通り吐きながら治療に耐え続けた僕は、桜が咲き始める頃に退院することができた。一年前、散りゆく桜を病室から見つめることしか出来なかった僕は、まだ蕾のままの桜を見つめた。
「――死にそこなったな」
こんなことを言ってしまうと誰かに怒られてしまうだろうか。
でも、僕は一年前、散りゆく桜を見ながら「ああ、これが人生最後の花見なのかな」と本気で思っていたのだ。それなのに僕は生きている。生きてしまっている。生き残ってっしまったのだ。完全に死にぞこないだ。
春先に退院できたもののすぐに高校へ復学――まあ一度も登校したこともないのだけど……とはいかなかった。定期的な通院や手続きなどもあって、結局、高校へ通うことになったのは大型連休明け。
大型連休も観光地が賑わいを見せているというテレビの情報番組を家で見ているだけだった。無菌室で過ごした経験をした僕にとって、人混みの中に出掛けて行くのは気が重い行為だ。それに、わざわざ「今年一番の暑さとなっています」とか「今年初めての夏日を記録しました」と伝える場所に行こうとも思わなかった、
連休明けに初めて腕を通したブレザーの制服。治療で痩せてしまったためか、鏡を見ると何とも不格好な姿の僕がいる。
「いずれ、ちょうどよくなるか……」
そう、自分に言い聞かせる。
初めて高校へ登校し、まずは職員室の教師たちに声を掛ける。登校初日だけは母も一緒だ。
職員室から何人かの先生がこちらへやって来て、応接室と書かれた部屋に通された。どうやら隣には校長室があるらしく、先生の一人が校長らしき人物を呼んで来る。
「本日から登校できることになりましたので、よろしくお願いいたします」
母が丁寧に頭を下げた相手は、学年主任だと名乗った。
「こちらこそ……長い闘病生活、日下部くん本人もですが、お母様も大変苦労されたでしょう」
入院中、一度も見舞いに来ていないお前に何が分かるのだ。声には出さず、心の中でそう吠えた。