狂愛
好きな方を独占したい。
その想いを独り占めしたい。
自分だけのものにしたい。
そんなことを考えてしまうのは、果たして罪なのでしょうか?
私はそうは思いません。愛しているというのなら、当然の思考であると考えます。
誰かに分け与えるくらいなら、自分ひとりに愛を注ぎ込んで欲しい。
心の底では、きっと皆さんもそう思っているはずでしょう?
私だけが特別であるはずがありません。
己の本心をさらけ出すを恐れ、他人と違うと言われることに対する怯えから、その気持ちを表に出すことができないだけです。
世間体というものは全く厄介極まりないものですね。とはいえ、私には関係ない世界の話ですが。
そのようなものに縛られているようでは、己の想いを貫くことなど叶わないのですから。
ふふっ、他の方達も、もっと自分に素直になればよろしいのに…まぁだからこそ、助かる部分も多いのですけど、ね。
ああ、自己紹介が遅れてしまいましたね。
申し訳ありません。私は神泉寺櫻子と申します。
取り立てて特徴も取り柄もない、どこにでもいるただの平凡な女です。
そんな人間ですから人様に語れるような話もないのですが…そうですね、それでも敢えてお話をさせて頂けるのなら…そう、恋の話でもしましょうか。
ふふっ、突拍子もなかったでしょうか?
でも、こういう場で女が語る話といえば、恋にまつわるものであると、相場が決まっているでしょう?
私も女ですから、もちろん興味は尽きません。
他の方のコイバナも知りたくはあるのですが、今回はどうか私自身の身に起こった出来事を、どうか話させてくださいませ。
私、実は恥ずかしながら、とある方に恋をしているのです。
その方の名前は三代和人様。
聡明で、凛々しくて、慈悲深く、そしてなによりお優しい、とても素敵なお方です。
そう、優しいのです、和人様は。
誰にでも。いいえ、それこそ人以外であったとしても。
たとえ畜生であろうとも、目の前にある命に対し、無償の愛を注げるのが和人様というお方。
私が和人様をお慕いすることになったきっかけもそう。
思えばあの方の優しさに触れたことが、この恋の始まりでした。
その日のことを、今でもよく覚えています。
あれは梅雨に入り始め、雨がよく降るようになった、5月の末の日のこと。
その日、何事もなく学校が終わり、放課後を迎えた私は、ひとり家路に着いていました。
地面を叩く水の音。傘の上で跳ねる雫の重さを感じながら、少し早足で、いつも通っている道を歩いていたのです。
ああ、すみません。
言い忘れていましたが、私、雨が嫌いなんです。
もちろん好きという方もいるのでしょうけど、どうにも濡れるのが苦手でして。
特に濡れた衣服が肌に張り付くあの感覚が、たまらなく不快に感じてしまうのです。
だからその日もなるべく濡れることのないよう、傘を体に付かづけ、私はただひたすらに足を動かしていました。
早く帰りたい。
その一心で、周りの景色など目に入ってすらいない状態。
他のことはどうでも良い。そのはずでした。
―――大丈夫かい?
ですが、その時でした。
誰かの声が、不意に私の耳に飛び込んできたのは。
「…………!」
その声を聞いたとき、私は自然と立ち止まっていました。
何故かはわかりません。まるで雷に打たれたかのように、その場から動くことが出来なかったのは確かです。
まるでスポンジに水が吸い込まれるかのように、すぅっと私の中に入り込んできた声。
その声はどこから聞こえてきたのかと、思わず視線を彷徨わせ、辺りを見渡すと―――そこにあの方はいたのです。
雨が降り続ける視界の悪い夕暮れの街角。
コンクリートの壁伝いにかがみ込む、私と同じ学校の制服を着た、ひとりの男の子が、確かにいました。
「こんなに濡れて可哀想に…ほら、これを食べな。少しでも元気になるといいんだけど…」
私は彼から目を離すことができませんでした。
何故、どうして?そんな疑問が生じることすらなく、ただじいっとその背中を見つめながら、耳と感覚を研ぎ澄ませます。
なにかを呟いているようですが、それが誰に向けられてのものなのかはわかりません。
そのことが、私の中に苛立ちを生みました。
名前も顔も知らない彼が、私ではない他のなにかに関心を寄せている。
私はここにいるというのに。私は彼を見つけて、こうして見つめているというのに気づきもしないだなんて。
その事実が、私の心をどうしようもなくかき乱しました。
私の考えを、身勝手という方もいるでしょうね。
ですがそれは、この身を焦がすような激情を知らないから言えること。
あの瞬間、私の心に火はくべられてしまったのです。
薪は私。火をつけた彼なのに、私を見もしないことが、ただただ許せなかった。
ほの暗くも激しい、身を焼くような怒りの赴くままに、私は足を踏み出しました。
いつの間にか動くようになっていた体を十全に使いながら、私は一歩一歩確実に、彼の元へと近づいていきます。
その度に心臓が飛び跳ね、鼓動が大きく高まるのを感じましたが、それでも歩みを止めることだけはしませんでした。
やがて彼の背後で立ち止まり、私は声をかけたのです。
「あの、どうなされたのですか?」と。
……ああ、今思い返せば、もっといい言葉があったでしょうに。
声の震えを抑えようとただ必死で、言葉選びに気を遣う余裕もなかったと今なら理解はできますが、それでも思い出すたびに顔が熱くなるのを実感します。
私の声に振り向いたあの人の顔も、同時に思い浮かんでしまうのですから、尚更でした。
―――え?
返ってきたのはたった一言。
言葉ですらない疑問の声。
私を見上げる顔にも好意などというものは欠片もなく、ただ驚いているということだけが伝わってくる、そんな表情が浮かんでいました。
「…………!!」
だけど、それで十分でした。
ええ、本当に。十分すぎて余りある。
人が恋に落ちるのは一瞬という格言がありますが、まさにそれです。
それはきっと、一目惚れ。
雨の降る梅雨の日、振り向いて私を見上げてくる名前も知らないその人に、私は恋に落ちました。
それからの日々は、あっという間でした。
彼の名前、彼の学年、彼の趣味、彼の好きな食べ物。エトセトラ、エトセトラ。
今では空で口にすることができます。あの日から私の興味は、全てあの方に注ぎ込まれているのですから。
和人様のことを知るたびに、私の身は歓喜に震えました。
和人様のことを考えるたびに、私の口は熱い吐息を漏らします。
和人様。和人様。和人様。
私の頭の中にはもう、あの方しかいませんでした。
和人様のことを考えるだけでこうも幸福な気持ちで満たされるというのなら、和人様に触れられたら?優しい言葉を投げかけられたなら、私は一体どうなってしまうのでしょう。
ただひとつ言えるのは、きっと今以上の幸福が待っているだろうということ。
それを考えるだけで、思わず身震いしてしまいます。
あぁ、和人様。
どうか私に、貴方の慈愛を―――
「みゃーご…」
幸せに包まれていた私の身は、次の瞬間背中に氷柱を放り込まれたかのように、一瞬で冷ややかになりました。
「お前か…」
吐き出された言葉もなんとも冷たい。
億劫に感じながら、私はベッドから立ち上がり、部屋の片隅へと向かいます。
「畜生の分際で、腹だけは空かせるのね。全く、いいご身分だこと」
取り出した袋から適当に封を切り、受け皿に餌を放り込むと、私は再びベッドへと反転します。
背後でカリカリと餌を食べる音が聞こえるので、それが鬱陶しかったのも離れたかった理由ですね。
ご察しの通り、あの日の猫は私が引き取りました。
その理由はただひとつ。和人様との繋がりを生むためです。
私は本来動物は好きではありません。
汚いし臭いし、なにより媚びる姿勢を好みませんので。
そんなわけで引き取りはしたものの、早く手放したいのが本音です。
名前もつけていません。情がわくことはあり得ませんが、単純に呼ぶのが面倒ですから。
お前で十分事足りますしね。
それになにより。
あの方の関心を未だ引いてるその事実が、私には到底受け入れがたい。
和人様と話すたびに、あの子は元気かと聞かれます。
その顔は慈愛に満ちたもので、この猫のことを本当に心配しているのが伝わってきました。
―――話しているのは私なのに。
私を通して、この畜生のことを見ている。
それが本当に、度しがたい。
ドンッと、大きな音が響くほど、私は床を踏みつけました。
背後でビクリと怯える小さな気配。
それを感じて、私は思わずほくそ笑みます。
―――ざまぁみろ。お前などがあの方の興味を引くなんて、本来あってはいけないんだ
少しだけ心が満たされるものの、それでもやはり、まだまだ足りない。
欲しい。和人様が。
和人様の全てが。
私だけを見て欲しい。
他の何もかもを捨て去って、私のことだけを考えて欲しい。
強く強く、そう思います。
でも、そのためにはどうすれば良いのでしょう。
私だけをみてもらうには、みてもらうためには、どうすれば―――
「にゃあ…」
思案に暮れていた、その時でした。
またも聞こえてきた猫の鳴き声。
今度はなんだと横目で見ると、受け皿の周りに餌が散らばっているようです。
「ちっ…」
さっきの反動でこぼれたか。
面倒な。拾う手間を考えると苛立ちが収まらず、腹いせに腹でも蹴りつけようかと思ったのですが…
「餌…」
餌。そう、餌。
餌だ。こぼれた猫の餌を見て、私はある気付きを得ます。
ああ、なんだ。
私はもうとっくに手に入れてたんじゃないか。
彼を釣るための餌を、私は手中に収めてた。
それに気付き、私はゆっくり猫に目を向けます。
猫は何故か、未だ怯えているように見えました。
…………ふう。少し話疲れてしまいましたね。
今日はここまでにしましょうか。
これから用事がありますので。
ちょうどいい頃合いですね。時間もピッタリで、後は待つだけ。
まぁ念のため、道具のチェックだけはしておきましょう。
……うん、大丈夫。檻も首輪も丈夫みたい。
少し暴れた程度では、問題ないと思います。
万が一のときは薬もありますし、準備は万全。
あとは…あ、ちょうどチャイムが鳴りましたね。
間違いなく、あの方でしょう。
ようやくこの日がやってきました。
ふふっ、二つ返事で頷いてくれたのはとても嬉しかったですよ。
もちろん嫉妬もしましたが、これからのことを思えばいくらでも我慢できました。
さて、これ以上待たせるわけには行きませんね。
それでは迎えに行きましょう。
これから私達が、幸せになるために。
絶対に逃がしませんよ、和人様。
そう。永遠に、ね
たまにはホラー仕立てもありかなって