chapter 1 初仕事は異世界で
「む、無理です!謹んでお断りしますぅうう!!!」
静謐なはずの図書館の最奥部。
貴重な魔法書ばかりが並ぶ部屋の中央には一枚板の見事なテーブルがあり、利用者が本を閲覧できるようになっているのだが。
その日は、主任司書が逃げる新人を取り押さえることに使われていた。
「そう言われてもね……。ハルカ、魔法書に関する新人研修だと思ってーー」
「それでも物語をつくるのは絶・対に無理です!自分が書いた本が仕事場に置かれるだなんて、恥ずかしくて死ねます!!……うぅっ」
ハルカ=アグライア、18歳。
今日から夢にまで見たアリスティア王立魔導図書館で働けることになったのですが、職、失いそうです。
約10分前。主任司書であるルティア様に呼び出され、初めての仕事にわくわくしていた自分を恨みたい。
「気になるなら、裏に隠しておいてもいいから!それに、あなたが綴るんじゃないわ!」
「それじゃあどうやって本にするんですか!」
「本の中に入るのよ。そこで主人公として生活してちょうだい」
「………へ?」
「だから、この本の中で異世界生活を満喫していらっしゃい、っていう話よ」
抵抗する気配が無くなったからか、ルティア様はそっと拘束していた腕を離し、傍にある椅子に腰掛けた。
「異世界生活を満喫……」
「そう。司書の仕事をしてもらう前に、魔法書に触れてもっと知りましょうっていうことなの」
「なるほど……。でも、どうして本の中に?」
「百聞は一見にしかず、よ。それに今から頼むお仕事は、魔法書の修復も兼ねているの」
ルティア様は、奥のカウンターから1冊の魔法書を取り、そっとハルカの前に置いた。
「この本は、中に入った者の物語を自動で書き起こしてくれる魔法書なんだけど、どうにも物語が途切れているのよね」
「えっ、それって魔法回路に異常があるってことですか?」
「それがどこにも異常なし。物語の進行自体が止まっていること以外、特に分かってないのよ」
ルティア様の説明では、最近この本を閲覧した人間はいないという。
置かれている件の魔法書をパラパラとめくってみると、あるページを境に白紙になっていた。
ストーリーの舞台は、精霊と共存する世界。
光・闇・火・風・水・土の6種類の精霊が存在し、それぞれのバランスを保ちながら人間と共存しているらしい。
しかしとある人間が闇の精霊に加担し、世界を崩壊に導こうとしている、といった、いかにも王道ファンタジーな話だ。
物語はその冒頭、精霊を鎮める『精霊の乙女』の選定試験の当日で止まってしまっている。
「――として旅を……、ってハルカ。聞いているのですか?」
「へ!?あ、申し訳ありません!」
ルティア様の声でハッと現実に戻ってくる。
どうしよう、物語に目を通していてルティア様の話を全く聞いていなかった。
(それにしてもこの魔法書、どうして途中で止まっているんだろう?)
主人公がいなければ、物語はスタートしないはず。
ルティア様も言った通り、中に入った人間の物語を書き起すのであれば、少なくともここまでは物語を進められる要素があったということだ。
(主人公がいなくても話に影響がなかった?他の可能性は考えたくはないけど、主人公が消え――)
「ハルカ!謝ったそばから自分の世界に入るんじゃありません!」
「はい!聞いてます!」
「……まあ良いわ。とりあえず大事なことだけ伝えておくわね」
ルティア様は魔法書を手に取り、物語が途切れている箇所をなぞった。
魔法書の文字が光を帯び、組み込まれた魔法が発動する。
「あなたが本の中ですべきことは2つ。物語を終わりまで導くこと。そして、この魔法書に密かに入り込んだ人物がいないか探すこと」
「あの、本の中に入って戻って来れない……、なんてことは」
「帰りたくない、とあなたが思わない限り無いわ。たとえ物語の途中で死ぬようなことがあっても、それは一種のエンディングよ」
「そのエンディングは嫌です……」
「ではそうならないように頑張っていらっしゃい」
「え!?待ってくださ――」
気をつけてね、というルティア様の声を最後に、魔法書の光に包まれた――。