目覚め、そして出会い
死
それは逃れられない運命。
普段は遠くにいるのに気がつけば足元まで迫ってくるそれは、急転直下な勢いで私の尊き命を摘み取り弄ぶ。
腹の熱も消え暗転した視界に徐々に光明がさしてくる。
ここは天国が地獄か、はたまたそのどれでもないものなのか。
短くもそれなりに満足であったと思える人生だったかは私次第だがまだ調べたりないことは沢山あったな。
顔に生暖かい空気があたる、これが死後の世界の空気というものなのか。
って言うか強烈に生臭い!
獣臭さを濃縮したような香りに顔をしかめるとだんだん意識が覚醒し、体が動くことに気付き、恐る恐る目を開ける。
そこには生前より…いや死んだかはまだわからないけども…まあともかく昔から様々な場所で見た存在の顔があった。
毛深い顔につぶらな瞳、大きな鼻と食塊をすりつぶすことに重きを置いた平たい歯。
そして立派な角…所謂哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科。
ぶっちゃけウシの顔面がでかでかと目前にあった
「…牛!?」
蘇生して一言目にこう叫んだのは人類でも稀な気はするがともかくあまりの牛の視線に動けぬまま状況を整理しよう。
叫んだらめちゃくちゃ睨み利かされてる、刺激したら控えめに言っても私なんぞ車輪に轢かれた牛糞の如く地面の染みとなることだろう。
(そーっとだ…そーっと抜けるんだ)
じりじりと体をずらしウシの下から抜けようとしてあることに気付く。
何とも珍妙なことにこの牛は私の顔を覗き込むように座っているのだ、丁度人間の子供が地面にいる蟻を見るように膝をつき目線を下に落として。
「っ!」
口から出かけた叫びを全力で口を押さえることで飲み込む。
顔つきは牛なのに類人猿に近い骨格だと!?…いや足は偶蹄の特徴を持っている…やはり鯨偶蹄類…と言うかそれは…進化論を根幹からぶち壊す存在ではないか!
「ミノ…タウロス…?」
静かに言葉を発すると仮称ミノタウロス氏はゆっくり首を傾げて此方を不思議そうに見つめている。
「は…はは…ミノタウロス…ミノタウロスか…神話上では牛と人間のハーフだったかな…迷宮に迷い込んだ人間を食らう化け物…だが幻想ではなく今目の前にいるのだ!ただ人に近い骨格の牛?いやしかし見逃さないぞその手!一見蹄のように見えるが独立した関節のある三本の指を箸のように束ねているな…つまり物が持てる…ならば投擲も工作もヒューマンの専売特許では無いではないか!」
素晴らしい!素晴らしすぎる!
頭の血管が開くような錯覚と同時にえもいえぬ爽快感が身を包む、私は今この瞬間に無常の感動と喜びを覚えている!
研究したい!つま先から先祖の進化傾向まで全てだ!
すると怪訝な表情(と言っても牛だから殆どわからないが)を浮かべる仮称ミノタウロスがゆっくり口を開く。
「…大丈夫かぁ…あんた…見た所人間みたいだけんど…頭でも打ったんかぁ?こんなとこで寝てたら獣共に喰われちまうぞ。」
それは、低いながらも若さや張りを兼ね備え、少しなまっていながらもどことない知性を感じさせる男性の声だった。
「…あ、はい…喋れるんですね…すみませんテンション上がっちゃって…命だけは…」
出来る限り少ない動作で正座姿勢を取る、可能ならば土下座も辞さない。
「なんもなんも…命何て取らんよ…殴られたわけでもあるめえし…それよりあんたは…もしかして別の世界から流れて来た人間かぁ?」
「別の世界…ここはどこなんですか!私は…確か…死んだはず…」
「あぁ…やっぱりそうがぁ…たまぁに居るんじゃ、そうやって流れて来ちまう奴が…大概は人間の国まで行けりゃあ保護して貰えるだろうけんども…ここからじゃあ随分かかるなぁ…」
「わ、私以外にもこっちに来た人間が…?」
「噂でももう何十年も前だがらなぁ…おらぁはあんたが初めてだ。」
仮称ミノタウロス氏が三本の蹄で頭、丁度角と角の間をコリコリとかきながら子供に話すように優しく質問に答えてくれる。
なんだこの牛、母性が凄いぞ、これが吊り橋効果というものなのか!?
や、違うな。
別に惚れはしない、だって牛だもの。
「んだらぁ…取り敢えず村さ来い、長にはおらから話してやる…人間は嫌われてっけんども、どのみちここに居りゃあもうじき日は落ちる…殺されるこったあるめえ…」
「村…」
仮称ミノタウロス氏の言葉通りなら原始的な村…所謂コミュニティーを作り上げているのか…人間は嫌われている?敵対人種…だったら既に私は死んでいるか。
「あんた、名前なんてんだ?…おらはタロス、スーロンとカルファの子。」
仮称ミノタウロス氏はタロスと言うらしい。
「ああえと…森近…一葉といいます…」
「もりちか?かずは?名前が二つあるんかぁ?」
「いえその…家族をまとめる際のチームの名前というか…」
「よくわがんねえげど…モリチカだなぁ?…そっだらとっとと村さ行くぞ…夜はあぶねえ。」
すっと立ち上がると裕に私の身長を超えてなお有り余るその体格は目測だけでも2Mを軽く通り過ぎているだろう。
そして全身にバランスよくついたトラックのタイヤを刻んで張り付けたような筋肉…人によってはときめいてしまいそうだ。
「ん、こっちだ。」
タロス氏が歩き出した後ろを追う。
ヤバい、めっちゃ速いなタロス氏。
まあ歩幅が段違いだからな、合わせてくれてるんだろうけど追い付くのでやっとだ。
「…モリチカ、背負ってやるからこっちこい…」
少し前を歩きながらこまめに後ろを見ていたタロス氏が見かねたように地面にしゃがむ。
めっちゃ気遣われてる…
「すみません…遅いし体力もなくて」
「人間だからなぁ…弱ぇのは当たり前だぁ…」
背中に身を預けるとしっかり手で尻を支えてくれた…肩の関節稼働域の広さ的に本格的に骨格が人間…いや二足歩行向けの関節構造なんだな。
走る速度はおよそ30km/hくらいは出ているか?
「あのタロス氏…つかぬことをお聞きしますが…この速度でどのくらい走っていられます?」
「んん?…これくらいならまあ…日が上がって沈むのを二回繰り返すくらいだなぁ」
2日…?なんだその馬鹿げた持久力…しかも反応的に本気で走ったら相当早いな。
これはいよいよ敵対したら逃げ切ることもできなそうだ。
ふとタロス氏の後ろ姿に遠き日の父が浮かんだ…あれは私がまだ幼い頃、公園の帰りに遊び疲れてしまった私は歩きたくないと泣きじゃくって父を困らせ…でも最後には仕方なそうに背負ってくれたっけなぁ…
まあこんなに逞しくはないから幻の父の姿はすぐに消えたが。
タロス氏、推定体重350Kg超