〔8〕理想と現実
ちわ。
理想と現実――またのタイトルを『脳内と腕前』。
想像し、妄想し、それを形にする。言葉であったり絵であったり、何らかの作品とする。作品でなくても料理や仕事、やろうと思って現実に実行すること。
頭の中では完璧に出来て上がっているものの、いざ作ってみると簡単には出来ないことが多々あります。どれだけ練習しても、上手くいかなかったり、上手くいったり……
そんな現実で、必ず、思い通りのいくことってありますか?
私は、目を描くことが好きで描いてきましたが、思い通りだったか?と考えると、半々であります。
赤であったり、茶色であったり、琥珀色、ブルー……目の色は思うままに自在に出したい色が塗れるようになったと思いますが、虹彩を入れたりする作業になると正直頭が真っ白になります。
もしかしたら、「こうするとこう!」という感覚をまっさらにして遊びたいからかもしれません。自分自身のことなのに好奇心を抑えられないのであります。
ま、目を描くことにやっと慣れてきて出来るようになったのかもしれませんが、他の部位を描くことはどうだろうか。
作品を作るとき、頭の中で形は出来ているときとふんわりと色だけ漂っているときがあります。
前者は、描き終わったあとにすごく達成感と満足感を得られるますが、窮屈でもあります。
後者は、底なし沼です。やってもやっても終わりが見えない、見えない分、想像も終わらず次から次へと無知難題が押し付けられる感じです。「あんたこれは描けんの?」と試され、打ちのめされ、今の自分というものを見せつけられる――精神的に苦痛ではあるもののそれもまた楽しい。
簡単に言えば、プロットありかなしかであります。
どちらがエタりやすいかというと、プロットなしでしょうか。それかなんとか完成させてもやたらと時間……いやあっという間に日にちが経っている。作品に向き合った時間は少ない。
創作は、どちらがいいかわかりません。プロットなしはネガティブ要素は多いですけれど、自分を見つめるのにすごく私は役に立っております。
出来ないことも出来るようになっていたとか、出来ないことはやっぱり出来ないけどどこまで理想に近付いているのか、目安になっているのであります。
ただ、完成させることは大事なんだと絵を描くようになってから、素人ですが絵と向き合うようになってから思うようになりました。
前は、完成させられずエタっても仕方ない――なんて思ってたんです。それでも、次は出来なかったことを改善させて完成させようって感じで。
でも、終わらせられなきゃ次はないんですよね。いつまで経っても、いくら書いて書いて連載中がいっぱい出来上がっても、未完がただむなしく重なっていくだけで、何も成長しちゃいない。感じられない。
一つの絵を完成させて、その完成までに考えたことややったことって一度では身に付きませんが(不器用なんで)、次に繋がっていると思うんですよ。
プロットありでもなしでも、どちらにしても完成させることは大事なんだと。もう……物語を書くことに絵を描く以上の楽しみを見出だせなくなってしまいましたが、まあ、書くことが好きなら完成させてやって下さい。自分自身のために。
また、プロットがあるなら「絶対に」とは言いませんが、完成させるべきかなとも思います。……プロットありでエタる人がいるのかはわかりませんけれど。
細かなプロットがあってもしエタるというのは――何か別のことが足りないのかもしれません。作品というより自分自身を見つめる。
理想と現実――作品だけのことでなく、書いている作者自身のことでありますから、完成させるって現実の自分と折り合いをつけることではないでしょうか。
そして、妥協のハードルを徐々に上げて、成長するのであります。以上です。
理想は妥協しません。