〔7〕自分次第
創作していると、まあ、お作法指摘といいますか、ネガティブな発言を目にすることがあるかと思います。自分自身に対してでも、誰かへのメッセージ、不特定多数へ向けて……自分の好きなように思うままにやっているはずが、
「〇〇する人は下手くそ」
「上手い人とは〇〇する人」
とか、気にしちゃいないはずがふと見た瞬間に、自分がどちらの人間なのか無意識に考え出している。
はっきり言って――そんなことわかりませんよ。ただそのやり方が合っているか合ってないかって話じゃないのかと思うんですよね。「そういうことを私もやってみたらもしかしたら…」と縋って正しいことをやっているのか悪いことをやっているのかと、他人の意見に委ねようとしてしまうのであります。
自分のやっていることは間違っちゃいない……なんて。
正直、誰にもわかりませんよ。
だってあなたは私じゃないし、私はあなたじゃない。
こうしたらいい、という意見はその人の成功例からとか、単なる受け売りの押し付けからとか、「私ならこういうのが好き」の個人の嗜好の話で、そのやり方、目指しているのが自分と合致しているなら納得出来るでしょうが、「それじゃないんだけど…」と納得出来ないなら不愉快の何ものでもない。
でも、相手も自分が何を目指しているか知りはしませんので、特定の誰かへ「下手くそ!」なんて簡単に言えないだろうし、自分自身を「〇〇が出来ていないから下手なんだ」とか「〇〇が出来ているから上手い」と偉そうには出来ないと思うのであります。
面白いの意気投合が作者と読者、読者と読者の繋がりが続くか続かないかくらいで、繋がらなかったからって辞め行く理由にもならないのです、きっと。
誰にとっての上手いか下手か――分けて力説している人の作品をはたして自身は「イイネ」と読むことが出来ただろうか?
決めるのは自分。
自分は一体、何を書きたいのか……そんなこと自分にしかわからないのであります。だから、このエッセーは私の独り言で、誰かのためになるかならないかなんて知ったこっちゃないのです。