〔63〕完結というもの
ちわ。
新着活動報告を眺めていて、よく覗き見させていただいているユーザさんがエッセーランキングの「短編ガチャ+α」についてのことを書いてて――それを読んで久々にランキングを見たんだけども……な話。そこから「完結とは?」についてを考える。
以前と違う考えを書いているかもしれないが、人間、変わらない部分と変わる部分ってものがあるので今の考えということで。
作品がそれで完結かどうかは、読者には決められないです。知りませんよってことなのに、読者に「そのお話は終わってないでしょ」て言われてもな〜をずっとやっていることにビックリですわ。内容は、そこから派生した全然違うことでしたけど、読者が終わってないって言っても正直、書いた作者さんの物語だから〜な部分であって目くじら立てるほどのことじゃないと思うのであります。
どういう最後を迎えるか――長編だろうが短編だろうがそれを読むのが面白いじゃんと思う。読者として、これまでの読書歴や小説に限らず物語があるものを見てきてラストを予想するってことはあるけれど、その作品を書いた人がどうするか読むのが楽しいから読書はやめられないのだ。
私の期待を満たしてくれるものなのか、期待した以上なのか、はたまた何も得られないのか……
得られるものが少なかったから「短編ガチャ」の話が未だあるのだろうなあとは思いますが、そこにあるのはただただ個人的なことでしかない。もしかしたら「嫉妬」の二文字だったとかね。
くだらないとは言わないけれど、そもそも短編ガチャに文句を言う前に自分が満たされるほどの短編かどうか見極められてなかったということはないのだろうか?
文字数で面白さは決められませんが、だいたいなろう若しくはよくお邪魔しているムーンだと5000字以上、出来れば15000字ぐらいあると私はどんな最後が待っていても満足する。読み応えを感じられることが多い。
で、読み応えを感じるとはどういうことか次に考えなければいけないのですが……
読了後、どれだけ物語について想像しているか。
だろうと。
あそこが良かったここが気になったとか、主人公や登場人物のセリフや行動とか、色々。ほんと色々。もっとわかりやすく言えば「あの場面の"絵"いいな〜」と想像出来たかどうかであります。
酷く言えば、脳内で絵にもさせてくれない、絵にするのも面倒くさいと思わせてくれちゃった作品は、ほぼ途中で読むのをやめているもんです。
でも、これも「人それぞれ」でしかない。――が、満たされなかった数とまだ読んでない数はどちらが多いのかはたぶんわかるのではないでしょうか。
きっと、読んでない。全部、読んでない。ランキングに載っているのしか読んでない。そこにあるので決めようとしているだろうその読書にあーだこーだ語れる何かがあるとは私は思わない。長いタイトルとか嫌いっていってるからあまり言えないことですが(汗)ブーメランだわ〜
けど、もう面倒くさいな、の一言である。
「運営に言えよ」でね、短編自体なくして連載と掌編にしたら? とかね。短編はもう○○字以上じゃないと投稿出来ないとか。5000字以上とか? あとは、短編好きだという読者が大っ嫌いだろう『反応が良かったら連載書く』を禁止事項にするとかね。
正直、互いのユーザーが愚痴ってどうのこうので何か変わるとは思わないので、どうぞ運営さんに言って下さいとしか思わないのだが、読む自由と書く自由は同等ではないのかな〜。なんといいますか、愚痴エッセーはいつもどこか足らない。一方的だと思う。
そして、それを読むのもまた楽しいと思ってしまうのだから、どうしようもない(笑)それでも、決着をつけたいなら運営に訴えるしかない。又はなろうを捨てる――
以上です。
愚痴って燃えてごちゃごちゃしているのを遠目で見て関係ないと思っている人間には、「お祭り騒ぎで盛り上がって楽しんでんだなぁ…」ぐらいにしか見えないもんであります。
目の前のものが近いか遠いかでだいぶ違って見えるものであります。当然かもしれないけれど、密度の高いとこで見たくもない人の毛穴見ているような……どうでもいい奴の吐息を感じるほどの近さにわざわざ行くような。そんな感じ? 意味不明か(笑)まあ、好き好んでムカつきに行くか、うまい空気を求めて旅するのか――かな?うん。




