〔47〕肉汁の如く
人のことを何だかんだ言える立場じゃないんでしょうけどね、やっぱり気になるし、何というか褒めるなら的確に褒めたらいいのに……と思うことがある。それを思うと私が自分の思うままに描けるようになりつつあると自覚を持てるのは、的確に褒めて下さった方があったからなんだと有り難く思うのであります。
「その顔…おかしくはないか? 崩れてやしないかい? バランスはおかしくはないかい? 確かに世の中顔付きや体型は様々ですけれど、『わーイケメン、わーカワイイ、わー素敵、わー…』、それ以上言えないことを悟ろう」
そして、いっぱい観察して描きまくって、描きまくって、自分の絵を眺めまくって、「味」を目指すか、「世の中に追随する」のか決めるのであります。
正直、頭を抱えてのたうち回って悩む方はふわふわした「味」物語で、すんなりやることを一から段取り良く出来るのは「追随」物語でしょう。――とここまで書いて思ったのは、まるでテンプレ非テンプレ話のどちらを書くかのようだ…であります。
しかし、「味」って何だろうと自分で言っといてわからない。見る相手すら私自身のことをよく知らないのに「味がありますね〜」など言えんだろう。
味……
ただ、目指したいところがあるんだろうが目指すところまでたどり着いていないと何となくわかる「追随」物語のものに「味があるますね」と褒めることは違うだろうと思うのであります。褒めるなら色や構図、線、とかじっくり見てから相手に伝えるべきだろう。「味」じゃないよ、味=下手くそは違うんだと思うのであります。
が、「味とはなんぞや」の答えが『好み』だったら、自分の出汁で勝負しようと考える作者は、人からの評価を強請っていてはいけないのだ。
という、まとまらない話。
「もっと上手くなりたい!」と思う人――作者から「どうしたらいいんだろう?」という言葉が出て来ない以上、きっと上手くはならないのではと思ってしまう。傷付けてしまうかもしれない云々の前に、そもそも作者が「味」なのか「追随」を目指しているのか、見る側にはわかりゃしないのだ。なんとなくわかるか…
だから、見る側に残された道は、「何となく褒める」ぐらいしかなく、それが第三者には地獄のおべっかにしか見えないのであります。
人間、成長するには何が必要なんだろうかと考える今日の朝でありました。




