〔9〕読者と作者
ちわ。
ちょいととあるエッセー作品を読んでね、すでに似たようなことを別のユーザさんが言っておりましたらごめんね、ですがたいていどこぞの誰かと似ているもんですから〜てなことで。
読者と作者の関係について――
今、このとき、やっと自分の考えがハッキリしたので忘れないうちに書いておくのであります。
気付くまで、この考えに至るまで、評価や感想等について愚痴愚痴とご自分の作品を省みず、思い通りの反応をしない読者を責める作者が大嫌いでした。ま、その気持ちは変わっていないのですが、嫌う理由は「私自身が評価をあまり気にしないから」だと、その…相手と考え方が違うので理解出来ずに拒否していたのだろうと思っていました。
でも、モヤモヤしてて……それもハッキリした答えではなかったんです。
それが今日、わかりました。気付きました。
読者と作者ってどこまで行っても平行線なのだろう、と。読者も勝手に自分の読書道を進んでいるし、作者も同じで自分の物書道を進んでいる――ときに読者は興味を持ち、作者が通った道の言葉という小石を拾ってみたり、小石が光って見えれば気に入って作者の作った道に自分の読者道をより近付けて手を伸ばし拾い続けてくれる。
しかし、拾い続ける者が全てファンというわけでもなく。近くを通った通りすがりが啄んでみたり…蹴っ飛ばして転がして遊んでしまうこともあるけれど、だからって道が崩れてしまっていることなんてない。ツンツンされてるぐらいだと思う。そんなツンツンぐらいでなくなっちゃう危うい道なら、その道を作る前から何か材料が足らなかったんだと思うのであります。
戻って道を補強しに行くか、戻らずとにかくゴールまで作り続けるか、それは作者次第ですからどちらがいいかはわかりません。
ただ、読者と作者の距離が近いですから、いるかいないかよく見えるし、声だってお互いよく聴こえる。
どっちもどっちですよ。
それと読者だけが作者の道に近付いてくるわけではないと思うんです。作者も「オイラの道どう?」ってそこでやってんですから、すでに道を誰にでも見られる場所に作ったら見えますよ。
見えますけど、見せられた読者が「面白い道作ってんじゃん」と反応してくれるかどうか――興味がわかなかったらそりゃあその近辺から離れます。
自分の読書道をぐるりとUターンさせたり、右折左折させたり……作者も同じに曲がってみたり。
小説家になろうっていうだだっ広い箱庭でそれぞれ道を作っているだけです。
そうそう! あのゲームみたい!
『DEATH STRANDING』――デススト。自分でプレイしていないので詳しくは言えないので興味がある方は調べて見て下さい。ストーリーでなく道を作るってところ。そして、人が作った道に沿うこと。交わって繋がっているようで繋がっていなくて同じ世界で繋がってる……
問題は、作者で読者で読者で作者のユーザさんではなく、読者で読書道を貫いているユーザさんではないでしょうかね。
やはり作者側に立ってみなけりゃわからん気持ちもあると思うのであります。だから、あーしろこーしろではなく、作るってことは思う以上に、考えている以上に、まー色々悩んで苦しいときもある。どんな感想を持つかは読者さん次第ですけどね。
――ということで、何が言いたいのかわからなくなったので以上です。
思い出したので追記〜
読者と作者は混じり合いはしません。そう思います。近付いて近付いて一緒になっているようでも、よおく目を凝らすと別の道を行っている。その道はやっぱり自分が作って来たのだと、途中どこで休憩して何で補強したのか。
私は、なろうのどこら辺で道を作っているんでしょうかね……わかんないけど気ままに創作を繋げております。




